第29話 追懐、緑青のプロローグ

 時刻は朝の6時を過ぎている。

 太陽は地平線を離れ、眩く輝いていた。澄んだ青い空に、羽衣のような雲が揺蕩う。

 そんな朝の訪れを見守りつつ、佐藤は大きく伸びをする。


 旧校舎の生徒会室。窓から光差すこの教室だが、ポルターガイスト異変のおかげで、人の来る気配はない。

 教室の壁際には、学校で取った金色のトロフィーが十数個並んでいた。その上、生徒会の目標の書かれた縦長の紙が画鋲で留められている。

 反対側の壁沿いには、書類のつまった棚がある。

 過去の書類がびっしり仕舞われているが、その中に、一冊の日記帳がひっそりと身を潜めていた。手のひらよりも一回り大きいぐらいのノートだ。表紙は緑青色で、題名も名前も書かれていない。


 佐藤はそれを取り出し、最初のページを開く。


 日記に書かれていたのは、ずっと昔の記録。

 と言っても、仰々しいものではなかった。書き手の一日が、数行で端的に記されているだけだ。

 いつの世界のモノかは分からない。

 人の手の加わったモノ……日記などは、神による再構築の影響を受けずに残ることがある。


 そのオーパーツたる日記によると。

 著者はここの生徒のようだ。字が丸っこいため、書いたのは恐らく女性。


 最初の行には、こう書かれていた。


 ——“私”は、トキメキを探している。


 “彼女”は、毎日欠かさず続けていたようだ。


 担任が結婚して、嬉しそうにしていたこと。

 紅葉したカエデが、学校を朱く彩ったこと。

 学校にお泊りして、流星群を見たこと。

 食堂のカレーに、星型の人参が入っていたこと。


 大小に関わらず、見つけたトキメキが書き留められている。高校1年の春から、高校3年の秋まで。


 ……そう。秋まで。

 ここで“彼女”の記録は途切れている。


 佐藤は、憐憫を交え息を吐く。

 彼女の行く末が、察せてしまうのだから。


 ページを捲ると、また丸い字が目に入った。


 ——“トキメキ”って何?

 “みどう”の、欲しかったもの。 

 “みどう”が、この世界に満たしたかったもの。


 その字は、“彼女”のものではない。

 とてもよく似ているが、別人のもの。


「教職ってのは、分かっちゃうんだよなぁ」


 そこからは、別の彼女による日記だ。


 ——せんせーが言ってた。恋はトキメキだって。恐怖に追い込まれると、恋をしやすくなるって。


 これが、ほんのひと月前の記述で……。


「うーん……ふわぁああ」


 ソファの上で、モゾモゾと人が動く。

 ちょうど、彼女が目を覚ましたようだ。

 佐藤はノートを棚に戻し、少女の顔を覗き込む。


「起きたかい?」

「ふえ……せんせー……?」

「そ。おはよう、ミドウちゃん」


 ゆっくり上半身を起こすミドウ。

 目を擦り、辺りを見回しながら問いかける。


「生徒会室?」

「御名答。ここなら、誰も来ないだろ?」


 続いて、自分の眠っていた白いソファに視線を落とす。


「せんせーが運んでくれたの?」

「うん。にしてもびっくりしたよ。なんせ君、包帯でぐるぐる巻きになって気絶してたんだからさ」

「あうう、とんだ失態だったヨぉ……」


 残念そうに肩をおとすミドウ。


「まあまあ。紅茶でも飲んで元気だしなよ」


 ソファの前にある机には、紅茶の入った紙コップが置かれていた。


「冷めないうちにどーぞ」

「やったぁ! せんせーやっさしい!」


 ミドウは足を揃えて座りなおし、コップに口を付けて……。


「あっっまぁ……!!」


 コップを口から思いっきり離した。


「せんせー甘すぎ!! デロ甘だヨぉ! 砂糖何個入れたの?!」

「砂糖は入れてないよ。シロップを4つほど……」

「入れすぎだヨ!! 糖尿病まっしぐらだヨ!」


 紙コップをテーブルの上に戻す。


「没収したのに、これじゃあキリがないヨ……」

「やっぱ君か、どうりで減りが早いと思った」


 簡単に察しがつくから、呆れることも無い。

 佐藤は小さく息をつき、話を移す。


「ところで、僕の呼んだメンツはどうだった? 君の求める“トキメキ”は見つかった?」

「良い感じだったヨ! もう一押しで上手くいきそうだったんだけど……」

「失敗しちゃったか」

「しちゃったんだヨぉ……でも、諦めないヨ!」


 ミドウは勢いよく立ち上がり、両手を高く掲げた。その眼差しは、やる気に満ちている。

 そんな彼女を、佐藤は肘をつきながら見上げる。


「……続けるんだ」

「もちろん! だってね――」


 自分を“自分”と言い切れない。

 だからミドウは、哀しげに笑う。

 逆光に、彼女の姿は翳り――


「見つけなきゃ、アタシは“みどう”になれない」


 どうしようもなく空っぽな笑みに、彼は唇を僅かに噛みしめる。

 そして思い出す。


 ポルターガイストとは、人の“心”そのものだと。


「せんせーは、協力してくれる?」

「まぁ、ここまで来たらね」


 佐藤はスマホを取り出し、郡の番号を打ち込む。

 画面に耳をあて、呼び出し音を聞き流しながら、顔を上げた。


 彼の目に映るミドウは、姿も形もはっきりとした少女で。

 そして彼女の顔は、不安そうで、頼りなげで。

 それでも彼女は、変わらず笑っていた。


 ——自分を生んだ、“みどう”に重ねて。





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