第27話 再会、そして再開の兆し

 窓ガラスを突き破った先。

 教室の中央では、水びたしのザラメが茫然自失で俺を見ていた。


 その顔に、全身が強張る。

 理由は明白。俺を両目に捉えるザラメの表情は、見たことのないものだったから。


 例えば。

 救世主に縋った挙げ句、望まぬ形で喪うような。

 あるいは。

 夢を見つけた挙げ句、粉々に砕かれるような。


 失望……と言えばそれまでだが、それだけで片付けて良いのか迷っちまう。


 てっきり、「怖かったですぅ」とマヌケ面を晒していると思っていた。そうであってほしかった。

 頭にこびりついて、忘れられそうにない。


 どう声をかければ良いものか。

 悩んでいると、ザラメの方から徐ろに口を開く。

 水に濡れた口元が、やたら色っぽく艶めき……。


「ふぇ……」

「ふぇ……?」

「ふぇええええんこおりざあああああん!!!!」

「うおい?!」


 思いっきり抱きついてきた。

 弾みで後ろに倒れ込む。


「ごっふぁ! いきなり飛びつくなよ!!」

「だっでえ、こわがったでずもおおおおん!! 」


 前言撤回!

 さっきのは俺の見間違いみたいだ。

 こいつがアンニュイになるわけなかったわ。


 火災警報器から降り注いでいた雨が止む。

 教室中は水浸し。

 倒れている俺の背面も、服ごとびちゃびちゃだ。


 その水気も気にせず、ザラメは俺の背に手を回し、力いっぱいに抱き締めて……。


「いだだだだだ!! くるっ、苦じいって!」


 デカい胸がぐいぐい当たる。

 手でザラメを押しのけようとするも、抱き締める力は変わらない。

 助骨と背骨から、断末魔の叫びがするんだが?!


「こら、どけっての!」

「……」

「ザラメ!!」

「……」

「いい加減に……!」

「…………」


 急に、自分を締め付ける力が抜けるのを感じた。


「ザ、ザラメ……?」


 ザラメは返事をしない。

 ぴくりとも動かない。


「おい、ちょっ大丈夫か? しっかりして……」

「そっとしておきたまえ、青年」


 後方から声がかかる。

 振り返ると、デウスとコスズが立っていた。


「眠っているだけだ」

「あっ」


 確かに、耳を澄ますとザラメの寝息が聞こえる。


 デウスは優しく微笑みながら、俺とザラメの傍でしゃがみ込んだ。

 愛おしげにザラメを撫でながら、デウスは言う。


「急激な力の濫用で、体力を消耗したのだろう。今はゆっくり、寝かせてあげようではないか」

「あげようではないか……」


 色々と力が抜ける。

 と同時に、全身がジンジンと悲鳴をあげ始めた。今まで抑えていた痛みが、思い出したかのように襲い来る。


「はぁああああ、なーんでこう今日は骨折り損なんだよぉ」

「ザラメに抱きつかれて、骨折り損だとぉ?! なんとずるい!!!! けしからもごがっ?!」

「デウス様……ザラメ、起きちゃう……」


 デウスの口に、お手製の氷塊をぶち込むコスズ。

 デウスはなんかもごもご言ってる。

 そんなデウスに構わず、コスズは俺に尋ねる。


「郡……ツカイマ、どこ……?」

「あいつなら、校舎の入口にいると思うぞ」


 目を回していたミドウを思い出す。そんでもって、俺をホールドして眠るザラメを一瞥する。

 能天気にはしゃぎ回るあいつと、泣きそうになっていたこいつ。腹の中で、何かがゴポゴポ煮えているのを、否が応でも自覚した。


 俺の答えを聞いたコスズは、不審げに首を傾げていた。


「いなかった……」

「は?」

「ツカイマ……いなかった。ね、デウス様……」

「ふが」

「壁……壊れてただけだった。ね、デウス様……」

「ふが」


 確かめるようなコスズの問いに、氷をガリガリ噛みながら、頷くデウス。


「逃げたってことかよ」

「もがっ、んぅ……いや、それはないだろう。あのツカイマ……ミドウは、この場所に依存している。無条件に、学校から出ることはできない」


 氷水で濡れた唇をハンカチで拭きながら、デウスは答えた。


「いずれにせよ、もう一度捜索する必要がある」

「今から……?」


 コスズの問いに、デウスは窓の外に視線を向けて言う。


「いや、今からは厳しいだろう」


 つられて俺も外を見ると、紺色の空の足元……地平線が赤らんでいた。雲は紫がかっており、夜が明けたんだと思い至る。


「ここを“再起”する時間も必要だからな」


 続いてデウスは、俺がぶち抜いた窓に目をやる。


「再起?」

「欠陥前の状態に戻す、ということだ」

「そんなことできるのか?」

「できるとも。私は神だぞ?」

「あ、そうだったな」

「忘れてたの?!」


 すっかりさっぱり忘れてた。


「でもお前、力を失ったんじゃなかったか?」

「そうとも。だが、この程度の小規模な“再起”なら、今の私にも可能だ」


 腐っても神ってことか。

 そう思っていると、徐にデウスが立ち上がる。


「では、始めるとしようか。ザラメと先にここを出ておいてくれ。少し時間がかかるのでな」

「分かった」


 俺はザラメを負ぶる。

 いくらこいつが軽いとは言え、疲弊した足にはなかなかの負荷だ。小刻みに震えている。


「わーい、こんぺーとうがいっぱいでしゅぅ……」


 呑気に寝言とかマジでこいつ……。

 起きたらボーナスせがんでやろう。とびっきりの労働費だ。


「コスズも疲れただろう? 一緒に帰りたまえ」

「うん……」


 コスズは素直に頷く。


「じゃ、後は任せた」


 教室のドアを開けた俺に、デウスは爽やかな笑顔で答える。

 だが、扉を閉め切る間際――。


「…………これも、捧げられなかった弊害か?」


 眉間に皺を寄せ、デウスは呟いた。

 いつもの残念っぷりからかけ離れた、この世界の“先”を見るような目つき。自分に向けられたわけじゃないのに、身体が引き攣る。


「であるならば、私の為すべきことは……」


 魂を圧迫するような重苦しい息吹に、一瞬呼吸を忘れる。冷たい声音に、心臓を鷲掴みにされたような心地がした。


 ————ただ、“瑕疵”を消し去るのみ。



















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