第26話 各々、ココロここに在らず
時刻は、午前3時半を過ぎた。
俺……郡遠弥が向かうは、校門だ。
「アイツのことだ。今頃、なんちゃらファイアでどうにかしてるだろ」
靴下を履いた足で、廊下を速歩きする。
帰ってとっとと寝るとしよう。
……ったく。俺が来た意味は微塵もなかった。
「ん……?」
遠くから微かに、ジリリリと音が聞こえる。
虫の音ではない。
聞き馴染みのない、機械的な響きだ。
——そしてその音が、どうにも引っかかった。
まるで、誰かに助けを求めるような――聞いていられないほどに、悲痛なものだったから。
……暗闇のせいで感傷的になってんのか、俺。
やっとこさ、校舎の入り口だ。
右手には金属製の下駄箱が並び、タイルの床には簀の子が敷いてある。
ちなみに、左手にあるのは壁だ。玄関から入った場合、その直線状に壁があり、左右に廊下が伸びている……という構造になっている。
簀の子の前に置いてある靴を履き、真っすぐ扉に向かう。
ガラス張りの分厚い扉から、ぼんやりとした暗闇が見える。
その扉の手すりに、俺は手を掛けて——。
「なっ……!?」
その手に包帯が巻きつく。
両腕に絡みつき、後ろに引っ張られる。
これじゃあ扉を開けられない。
「出てっちゃダメだヨっ」
焦る俺には場違いな、朗らかな女の声がする。
振り返ると、十数メートル先で、おかっぱ頭の女が笑っていた。
何に対してかは知らないが、いたく楽しそうだ。
ベージュのセーラー服。そして茶色のスカート。
間違いない、この学校の制服だ。
だがこいつは、この学校の生徒じゃない。
重力を無視して宙に浮き、首と足には、包帯が巻かれている。
明らかに、某キョンシーや某神側のヤツだ。
「……お前か。ザラメを連れ去ったのは」
「ご名答!」
「そんで、デウスのツカイマだな」
「またまたご名答! ミドウっていうんだヨ!!」
名前はこの際どうでもいい。
今はともかく、この拘束をなんとかしねぇと。
だが、解こうとすればするほど、包帯はきつく巻き付いてくる。
「あだだだだだ!! 腕もげるって! 加減を知らねぇのかお前は?! 道徳学んでねぇのか?!」
「難しいからわかんなーい!」
「こんのっ、ヒトデナシが……!」
デウスは義務教育を叩きこめや!
とんだ問題児だぞこいつ!!
「何が目的だよ、お前ぇ……!」
「この世界を“恋”で埋め尽くすことだヨ! そうすれば、皆トキメキでいっぱいになるでしょ? せんせーが言ってた!!」
得意げに、ミドウは語る。
恋だのトキメキだの言ってる間にも、拘束はキツくなっていく。
……つーか、随分距離を取りやがって。
為す術がないと思い知らされ、屈辱的な気分になってくる。手も届かないのが、触れることさえできないのが、もどかしい。
「こっちにっ、来いよ……! 一発しごいて……」
「体罰反対っ! そんなの絶対意味ないヨ!!」
どの面下げて言ってやがる!?
「ここだと雰囲気出ないもんね。別の場所でインタビューといこうかな」
「っ!!」
胴体と両脚、額の辺りにまで包帯が及ぶ。
そして次の瞬間、縛られた部位が勢いよく後ろにもっていかれた。
引っ張られる力と逆向きに足を踏み出すも、ヤツの方が一枚
少しずつ、引きずられていく。
「わっ……せーい!」
多分こいつも、相当な力で引っ張っている。
ん? 待てよ。
相当な力で?
と、いうことは……。
「大人しく……ついてきてヨ!!」
この言葉に、素直に従えばいい。一か八か。
押して駄目ならなんとやらだ!
俺は力を抜く。
すると、ミドウに向かって急発進!
勢いよく後ろに飛んで……
「えっちょ、来ないでふぎょ?!」
庇うように袖から出した包帯ごと、壁へとストライク!!
「ってぇ……」
「ハラホレだヨぉ……」
ぶつかったところが人型に抉れ、ぽろぽろと欠片が落ちていた。
ミドウは、壁にめり込んだまま目をぐるぐる回して気絶している。
そりゃそうか。こいつは壁に直撃したもんな。
俺はこいつの包帯がクッションになっていたから大したことなかったわけだが。
ミドウの周りには、シロップの容器が5、6個散らばっていた。
拾い上げて見てみるも、特段変わったものじゃない。コーヒーに入れる、ごく普通のガムシロップ。
と、今はそんなもの気にしてる場合じゃない。
とりあえず。
こいつがまた動き回られても厄介だ。
今あるテープで括っとくか。
ミドウをぐるぐる巻きにし、扉の取っ手に留めておく。
「はぁ……あとは」
このまま帰っても後味が悪い。
……それに、宛はある。あってしまうのだ。
俺は再び、校舎の奥へと目を向ける。
そして、鳴りやまない警報音の発信元へ、歩を進めた。
————
ミドウさんがテレビの中に姿を消して、そのテレビも、電源が切れてしまいました。
……また、静かになりました。
唖然と、画面を眺めていたザラメでしたが、
——これから、どうすれば良いのでしょう?
膝を折って、そこに顔を寄せます。
誰もいない、“異”空間。
影もかき消す、真っ暗闇。
だけど頭は、真っ白け。
音もしないから、無理くり身体を動かして、服を擦らせてみましたが……。
それが無意味とすぐ気づきます。
呼吸が次第に浅くなるのを感じて。
ザラメの世界が小さくなるのを感じて。
身体が、影法師になったみたい。
分からない。
どうして胸が、ざわざわするの……?
自分の心を抑えられないからでしょうか。
ザラメの身体を、緑の炎が包みます。温度のない幻が、ザラメを呑み込みます。
そして、知らないはずの景色がよぎるのです。
————ああ。
こんな夜のことでした。
焦点の合わない、ぼんやりとした暗闇。
“夜”という監獄で蹲る私。
不吉に喚く、不躾な野鳥。
他人事のように外を照らす、松明の火。
そして——。
“貴方”の手を、確かに掴んだあの記憶。
どうしてか、知っている。
知らないはずなのに、憶えている。
憶えているから、思ってしまう。
口に出してしまう。
「怖いよ……」
夜の学校よりも、ポルターガイストよりも。
ひとりぼっちが怖くって。
それは、ひとりじゃないことを知ったから……?
“あの人”の手をとってしまったから……?
天井から、ザアザア水が降り注いでいます。
ジリリリと、火災警報器が鳴り響いています。
さっきから、ずっとそんな感じ。
だけどそれさえ、酷く遠くに感じられました。
夜は更け。
心は溺れ。
なす術なく、ザラメは深く沈んでいって……。
と、その時。
「しゃらくせええええええ!!!!」
底なしの静寂が、一瞬で破られました。
窓があっけなく割れ、机が飛び込んできて……
「……って、そんなことありますぅ?!」
ザラメの驚きも他所に、人影が着地。
その正体を見た途端、ザラメを覆っていた炎がかき消えてしまいました。
「忘れもんだ」
降りしきる人工の雨の中。
散らばるガラス片を意に介すことなく。
——郡さんが立っていました。
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