第8話 解決、サムゾラ異変

「よしっ、できた」


 シチューの完成だ。


 コトコトと音を立てるシチューが、美味しくできあがったことを告げていた。

 雪よりも少し肌色がかったクリームから、甘くまろやかな匂いがする。

 ニンジン、ジャガイモ、タマネギ、ブロッコリーといった野菜も、ほどよくしんなりしている。


「おお〜!」

「じゅるり……」


 鍋を覗き込むザラメとコスズ。

 ザラメの目はキラキラと輝き、コスズの口からはよだれが垂れている。

 紙のお椀に注ぐのを、二人は興味津々で見つめる。

 まるで、シチューを初めて見たみたいに。


「いただきまーす!」


 スプーン片手に、ザラメは元気よく声をあげる。それに続いて、コスズも真似するように、


「いただき……ます」


 と、呟いた。






「美味しい……美味しい……」


 コスズはあっという間に自分のシチューを平らげてしまった。

 俺の分に、じっと目をやる。


「あーはいはい、やるから。だからその物欲しそうな目はやめろ」

「あっ、ザラメのもあげますよ」


 ほぼ手つかずだった二人分のシチューを、コスズは吸い込むように食べていく。

 そんなコスズを見ながら、ザラメは口元を緩めていた。


「やっぱり良いですね」

「何がだよ」

「人が楽しそうに、美味しそうにご飯食べてるのを見るの。……そういうの見てるだけでも、分からないはずの“美味しさ”が、伝わってくる気がします」

「ふぅん」


 つくづく変わったやつだ。

 そう思っていると。


「そうだ! このシチューを、カフェのメニューにしちゃいましょう!!」

「は?」

「コスズちゃんにも好評なんですもん、きっとお客さんいっぱい来てくれます! というわけで郡さん! レシピ、教えてください!!」

「却下だ! この味蕾地雷製造機が」


 そんな会話をしていると、コスズが「ふふっ」と笑い出す。


「初めて……こんなに楽しいご飯……」


 目が髪で隠れているが、その顔は心底嬉しそうで。

 同時に――その言葉には、今までは楽しくなかったというを感じさせた。

 ザラメも同じことを思っていたらしい。


「今までのご飯、楽しくなかったんですか?」


 するとコスズは、俯きながら――空になったお椀に視線を落とし、ぽつぽつと語った。


「……ずっと……独り……ツカイマは、ずっと人間に嫌われてたから……それに、同じツカイマとも……全然会えなかったから……」


 そう小声で話すコスズは、たまらなく寂しそうで。

 しかし次の瞬間。

 ゆっくり顔を上げ、強く言った。


「だから……また、三人でご飯……食べたい」


 切実で、真剣な眼差しだった。

 それを黙って聞いていたザラメが、コスズの手の上に自分の手のひらを重ねる。


「もちろんです! いつでも大歓迎ですよ!!」


 そのキョンシーは、とびっきりの笑顔で答えた。






 山を降りるころには、空が暗くなっていた。

 木々を挟むようにできた道を――湿った土を踏みしめる。

 ここの雪は融けきって、だいぶ土が吸っているみたいだ。

 俺とコスズが並んで歩き、その後ろをバテたザラメが追いかけている。

 

「すなんな、リュック持ってもらって」

「ううん……シチューのお返し……」


 俺の荷物を全部持ってもなお、平然としている。

 見かけによらず、力持ちだ。

 さすがはツカイマ、といったところか。


「これからどうすんだ? 住むところとか」

「ブリキに戻れるから……平気……でも、時々ご飯必要……」


 もはやなんでもありだな、ツカイマ。

 そんなことを思っていると。


「あうっ!」


 後ろで、ザラメのこけた音がした。

 木の根っこに足をぶつけたらしい。


「うー、疲れちゃいました……郡さん、おんぶしてださい」


 ザラメが両腕を広げ、ガキみたいにねだってきた。


「は? 嫌に決まってんだろ」

「そこをなんとかぁ」

「一生ここにいろ」

「ちょっ、待ってくださいよぉ! こんな暗いところで一人はヤですぅ!!」


 速歩で、ザラメから離れることにした。


 空はますます暗くなる。

 お互いの顔もよく視認できないはずなのに、ザラメのヘタレ顔が見えるかのように想像できる。


「郡……良いの……? カノジョが困ってる……」

「カノジョじゃねぇから!」


 袖を引っ張るコスズも振り払い、ズンズン歩く。


「こーおーりさーん!! おんぶぅ! おんぶぅ!」

「……」

「郡さあああん!」

「……」

「おんぶうううううう!!」

「だああもううるせええええええ!!」


 こんなところで喚かれるのも鬱陶しい。

 しぶしぶ反対方向に歩き出した。


「おぶってやるから静かにしてろ」

「わぁい♪」


 腰を下ろすと、ザラメの体重がかかってきた。


「かっる」

「郡さん、女の子に体重のこと言っちゃダメなんですよ」

「じゃあ大丈夫だな」

「どういう意味です?」


 ザラメは、驚くほど軽かった。

 小学校低学年をおぶっているのかと一瞬錯覚したぐらいだ。下手すりゃ荷物の方が重い。


「……死んでんだな」


 こんなタイミングで、思い知らされるとは思わなかった。

 ザラメはいつもうるさくて、俺の邪魔するし……まさに、生きているみたいだった。

 心のどこかで、生きていると思っていた。


 だから、死んでいるこいつをおぶりながら、胸にしこりができたような……何とも言えない感情を抱いていた。

 ――こいつは、俺とは違うんだ、と。


 ザラメが肩をきゅっと掴む。

 それが俺を、現実に引き戻した。


「郡さんって、ゴツゴツしてますね」

「そりゃ、男だしな」

「でも、キライじゃないです」


 嬉しそうに、それでいて慈しむように。

 ザラメは俺に囁いた。

 子どもの秘密を、共有するみたいに。


「どうしてででしょう。今ザラメ、心がほわほわしてます。こうしているの、なんだか落ち着いて……これが、“あったかい”ってことでしょうか」

「さあな」

「きっと、そうですよ」


 しばらくすると、背中越しに、すぅすぅと規則的な音が聞こえてくる。どうやら、ザラメが眠ったようだ。


「はぁ……やっと静かになった」


 俺たちの足音だけが響く。

 ザラメが寝ると、こんなに静かなのか。


 おぶって歩く俺の様子をじっと見ていたコスズが、ぽつりと呟く。

 ニヤニヤ口角を上げながら。


「二人……お似合い……」

「だから違うって!」

「ヒューヒュー……」


 日の暮れた夜の山を、俺たちはゆっくり下っていった。

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