第13話 お日様みたいな君へ 〜日向の回想〜

 お姉ちゃん手作りのお洋服を着て鏡の前に立った僕は、くるっと回って見せる。


日向ひなた、似合ってるよ。可愛い」


「ほんとう?」


「うん。本当によく似合ってるよ。

 だけど、ここの丈は、もうちょっと調節した方がいいかも。後で直しとくね」


「ありがとう。お姉ちゃん」


 ファッションデザイナーを目指しているお姉ちゃんは、幼い僕を着せ替え人形のようにして毎日、手作りのお洋服を着させられていた。

 最初は言われるがままに着ていたけど、小学生になった頃には自然とファッションに興味を持って、オシャレをすることが大好きになってた。

 たまにはスカートを履いて出かけることもあった。どんな服でもとにかく着てみたいし、着こなしたいと思っていた僕にとって中性的な見た目は、カッコいいも可愛いも思いのままにした。

 しかし、僕の性別が男だと言えば、周りからは冷たい目で見られてしまうことも同時に知ることになった。だけど、あの頃の僕はそんな反応も気にならないくらいに純粋にオシャレを楽しんでいたんだと思う。


 好きな服を身に纏えば、毎日がもっと楽しくなる。

 そう知ってしまったから。


 中学1年生。

 制服は校則に従って男性用の物を着用していたけど、持っている小物や言動からか、女の子から可愛いと言ってもらえることが増えた。僕もその言葉が嬉しくて、積極的に交流していた。

 一方で、その様子を見ていた男の子からは揶揄われることが凄く増えた。

 それでも仲良しのクラスメイトの子は、直ぐに反論して守ってくれて、これ以上酷い状況にはならなかった。


 中学2年生。

 進級にあたり、クラス替えが行われたことで僕の環境は大きく変わった。

 両親が有名な人らしく、必然的に学年内で権力を持っている女の子が同じクラスになったことで、僕はその子を中心に、いじめを受けるようになった。

 そして、いつの間にか負の連鎖は広がり、クラスが変わっても遊んでくれていた子も「用事があるから無理」という返答から単純な無視へと変化していった。

 僕は堪らず担任の先生に相談したけど、真剣に取り合ってもらえることは無く、挙げ句の果てには色んなダメ出しと共に「お前は駄目だ。もっと男らしくしろ」と言われる始末だった。


 次々に突き刺さる言葉の刃。


「何だよ、こいつ」

「女々しい」

「浮気症」

「気持ち悪い」

「消えろ」


 中学3年生の進級間近、ぴんと張り詰めた糸は切れてしまった。


 進級に必要な単位は満たしていた。そのこともあってか担任は然程気にすることも無かったけど、形式として一応、家庭訪問に訪れた。

 お母さんに家庭での様子を聞いた後、会うのが嫌だった僕は最後に顔だけ見せた。けど、「元気そうだな。春からまた来いよ」と言われた時には何も分からなくなってしまった。


 中学3年生。

 僕が教室に居ることは無かった。初日は両親の付き添いの元、登校することが出来たものの、いざ1人で自分の学年がある階に向かおうと階段を登っていくと吐き気や頭痛、動悸が止まらなくなっていった。結果、教室まで辿り着くことは叶わなかった。


 久しぶりの学校を保健室で過ごした僕は、その日以来、2度と学校に足を踏み入れることは無かった。


 さらに、居場所である家に引き篭もるようになり、周りの目が怖くて出かけることも出来なくなった。

 また、小学校を入学する前に友達に誘われて始めたダンスも自信が徐々に無くなって辞めてしまった。


(カッコいいって、可愛いって何だったけ。僕って、みんなにとって、どんな存在なんだろう。

 ……僕は、どうして生きているの)


 自室にあるベッドで寝転がり、ふとした時に泣いてしまう。

 そんな日々を過ごす中、僕の手で命を終わらせる行為をしなかったのは、間違いなく、お姉ちゃんがずっと声を掛けてくれていたからだ。


「日向。いつでも話聞くからね。愚痴でも嬉しかったことでも、何でもね」


 お姉ちゃんは優しい。


「日向〜、もう直ぐバレンタインだからクッキー焼いてみたんだ。美味しく出来てるか、試しに食べてみてよ。大丈夫。沢山作ったから」


 お姉ちゃんは何でも出来る。


「日向、見て。この前あったコンテストで優秀賞取ったんだよ。凄いでしょ〜」


 お姉ちゃんは……すごく、眩しい。



 時は経ち、高校に進学した。

 誰かと一緒であれば外出が出来るようになった僕は、家族が勧めてくれた高校のオープンキャンパスに行くようになったことが大きなきっかけだった。

 そこは今まで見てきた学校とは違い、校風がかなり自由で、服飾を学べる授業があった。専門学校と比べると簡易的なものかもしれないが、もっと自由に色んなことを勉強したかった僕にとって、これ以上ない程にぴったりで、無事に入学試験に合格した時は家族総出で喜んだ。

 寮に入ることも考えたけど、まだ家族と離れることが怖くて、実家から電車を乗り継いで数時間かけて通った。しかし、それほどの時間をかけても全く苦しくなく、むしろ高校生活はとっても楽しかった。


 ここに、僕をしいたげる人は誰もいない。それを証明していくように性別関係無く、みんなが優しく接してくれた。

 放課後や休日には友達と出かけたり、僕がオシャレが好きだと知った時には、服やコスメのことを教えて欲しいと、アドバイスを求めてくれるようになった。


 これまでの学生生活が嘘だったように。


 好きなことを好きだと言える。そんな世界は、存在しないと思っていた。

 でも、ここにはあった。僕がずっと夢見ていた世界が。


 そして、今まで見ていた世界とは余りにも、ちっぽけな場所だったと知ることになるとは、この時、考えてもいなかった。


 それは高校卒業を控えた年のこと。

 学校から帰ってきた僕に、お姉ちゃんがスマホで見せてきたのは『Project étoile 追加メンバーオーディション開催中』と書かれたホームページだった。


「SNSで流れてきたのを見たんだけど、これ応募してみたら、どうかなと思って。

──『小さくても眩い輝きを持っている』その輝きを思いっきり解き放てる場所──

 それこそ、今の日向が求めている景色じゃないかなって思ったんだけど……勿論、応募するかは日向の自由だし、するって言うなら、お姉ちゃん、精一杯応援するからね」


 部屋に戻り、そのオーディションについて詳しく調べてみる。すると主催者は声優事務所で、所属者の欄には知ってる名前も多く書かれていた。


 アニメは小さい頃から見ていたけど、声優さんを意識して見るようになったのは、つい最近だ。


 友達から一緒に行く予定だった子の代わりとして誘われて行った声優さんのイベント観覧。

 声優さんが出演するイベントに参加したことが無くて不安だった僕は事前に作品を視聴しておいた。しかし、声優さん自身のパーソナルな話や巧みな話術によって余計な心配をする暇も無いくらいに楽しかった。

 そこから、声優という職業を意識するようになったと思う。


 だからこそ、このオーディションは運命なのかもしれない。


 そう思い立ち、応募フォームを埋めて送信ボタンを押した1ヶ月後、僕は最終審査に合格してデビューが決定したのだ。


 家族にも報告した時には、このオーディションを見つけて勧めてくれたお姉ちゃんが1番喜んでくれた。


「おめでとう、日向! これで日向の魅力が、さらに広まっちゃうな〜。楽しみにしてるね」


 大好きなお姉ちゃんからの激励を受けて、より一層、気合いが入る。


 その後、詳しい説明や契約も済ませてレッスンが始まる期間までは、もう少しで終わる学生生活を謳歌していた。


 しかし、合格が決まった約1週間後。悲惨な出来事が僕たち家族を襲った。 


 お姉ちゃんが事故に巻き込まれてのだ。


 遺体を見ても、火葬されて骨になった姿を見ても、事実を受け入れることが出来ず、もはや涙も出てこなかった。

 それでも家に置いてある遺影に毎日、手を合わせるようになって、やっとお姉ちゃんがいないことを認識していったと思う。

 

 ある日、僕は、ふと高校生になってから再び始めたダンスの大会に出場した時に預かっていた手紙があったことを思い出した。

 不安になったら開けて、と言われていたけど結局、読む時間が無くて、封は切られていない状態だったのだ。


 このままでは、きっと読めなくなる。


 僕はまだ耳に残っているお姉ちゃんの声を思い出しながら、閉ざされていた手紙を開いた。


『日向へ。

 私は日向のきらきらな笑顔が大好きだよ。だから、それを忘れないようにね。

 でも、どんな日向でも私にとって間違いなく、世界で1番可愛くてカッコいい弟で、オンリーワンの存在だからね。

  離れていても、お姉ちゃんは日向の味方!

 みんなに最強に可愛いくてカッコいい、春風日向を魅せてきて。

 遠くても、ずっと応援してるよ』


 お日様みたいに眩しい笑顔と共に、頭の中で再生される声。


 大好きなお姉ちゃんの姿がそこにはあった。


 僕は瞳から溢れる涙を拭けずに、震える手で便箋を強く掴み、滲んでいく文字を眺めていた。


* * * * *


 冬羽とわちゃんとのレッスン初日。


 発声練習に始まり、歌にダンス、演技、マイク前の立ち回りといった様々なレッスンの説明を受け、試しに歌とダンスをやってみることになった。

 説明によると、日替わりでレッスン内容を変えていくらしいが、ダンスはともかく歌などは全然慣れていないこともあり、確実に疲れが溜まっていく。

 レッスンが終わって先生が退室する姿を見送った後、帰ったらしっかりお風呂に浸かってマッサージしないとな、と思いつつ、タオルで汗を拭う。ついでに壁際に置いてあるペットボトルを手に取りキャップを緩めながら、僕は冬羽ちゃんに話しかける。


「お疲れ様。流石に慣れてないことやると、疲れてくるよね」


「……そうですね」


 出会ってから間もないこともあり、彼女はまだ固い表情を見せる。


「そういえば葵斗くんから聞いたんだけど、冬羽ちゃんって僕とそんなに歳、変わらないんだよね。確か、ひとつだけ年下」


「は、はい」


「だったら、敬語じゃなくていいよ。

 それに僕たち、これからは同じユニットでやっていくでしょ。ね?」


「……分かりました。じゃなくて、分かった。春風さん」


「ん〜、苗字じゃなくて名前とか呼び捨てでいいのにな〜。まぁ、いっか」


 たわいもない会話をしながら、レッスンを通じて、少しずつだけど僕たちの心の距離は縮まっていったと思う。


 それは、とあるレッスン日のこと。

 今日は担当している先生が用事があるみたいで、いつもより早くレッスンを切り上げることになった。


 でも、課題が上手くいかなかったと感じていた僕は先生にお願いして、レッスン室をもうちょっとの間、使わせて貰えることになった。

 それを見た冬羽ちゃんも「一緒に居残り練習、してもいい?」と言って、今に至る。


 歌を口ずさみながら慎重に、そして大胆にステップを踏む。


(──ラスサビは、周りも意識して。リズムが速くならないように……)


 今までソロが中心だった僕にとって、複数人でのダンスは、また新たな刺激になって楽しい部分もあったけど、歌いながら踊るのはやっぱり大変だった。

 歌に集中すればダンスのフォーメーションを入れ替える時にぶつかってしまったり、ダンスに集中すれば歌が棒読みになっちゃったり、中々上手くいかない。


 先生からは、歌いながらでもよく動けていると褒めてもらったけど、取材や収録といったデビュー前にも関わらず既にハードなスケジュールで動いている天倉あまくら 夏樹なつきくんと宮秋みやあき れいくんから共有された動画を見た瞬間、ダンス初心者とは思えない圧倒的なパフォーマンスに驚きが隠せなかった。


 それでも、いつかダンスの振り付けを担当してほしいと言っていたプロデューサーである一ノ瀬 葵斗あおとくんの期待に応える為に、ここで心折れてる場合じゃない! と言い聞かせながら。


 僕はスマホで録画しておいた映像を見ながら、細かく動きをチェックしていく。


(うーん……やっぱり、このタイミングでズレちゃってるな)


「……どうしよ」


 思わず口から出た言葉も気にならない程に、僕は追い詰められていた。


「あ、あのっ。良かったら、これ食べない?

 知り合いの人から貰ったんだけど、食べ切れなくて。それで、糖分補給にどうかなって持ってきたんだけど……」


 一緒に課題曲の練習に付き合ってくれた冬羽ちゃんは、どんよりとした空気が流れたことを気にしたみたいで、話題を変えてくれようとする。


 この期間、一緒に過ごしてみて分かったことだけど、恐らく冬羽ちゃんは明るすぎたり暗すぎたり、そんな両極端な空気が苦手みたいだ。


「ありがとう。わ〜、チョコレートか。

 それじゃあ1つ、貰っちゃおうかな」


 冬羽ちゃんが両手で大切そうに持つ箱の中から、個包装にされたチョコを1つ取って、びりびりと袋を破いてから口内に放り込む。

 噛んだ瞬間、口の中にほろ苦さが広まり、ほんのりと甘さが広がっていく。僕には少し大人な味だ。

 それでもこの味に病みつきになってしまいそうで、もう1つ貰えないか、お願いしようとした時だった。


「日向さん。迷惑だったら申し訳ないんだけど、1つ言いたいことがあって」


「なぁに。何でも言って」


「うん。……日向さんってダンスしてる時も、歌ってる時も。後、こうやって私と話している時もずっと笑顔だから、疲れないのかなって思ってて。

 もしも、日向さんが笑顔でいることが辛いと思ってるなら、せめて私と一緒にいる時は無理して笑顔を作らなくてもいいよ」


「そんな、無理してる訳じゃ」


「うん。分かってる、つもりだよ。日向さんがずっと作り笑いをしてるんじゃなくて、ちゃんと心から笑顔でいる時の方が多いってこと。

 でもね、どうしても伝えたかったんだ。

 私は日向が笑顔じゃなかったとしても、日向のことが好きだってことを」


 この時、姉から貰った手紙の言葉がフラッシュバックした。


『どんな日向でも私にとって間違いなく、世界で1番可愛くてカッコいい弟で、オンリーワンの存在だからね』


 大好きなお姉ちゃんが今も生きていたなら、こんな言葉を掛けてくれたのだろうか。と、冬羽ちゃんの言葉に重ねて思ってしまう。

 そして、その言葉を発した冬羽ちゃんから、お姉ちゃんの面影を探してしまう。


 どう考えても生まれ変わっていることなんて無いし、ましてや魂が乗り移ったとも思えない。


 つまりこれは冬羽ちゃんが持つ心からの願いであり、想いなのだろう。

  

(すごく、眩しい。まるで……お日様みたいだ)


「……それって、僕への愛の告白?」


「ち、違うよ。これは、あくまで日向のことが人間として好いているという意味であって、その、愛してるとかじゃ……」


「え〜、僕のこと愛してるんだ。照れちゃうな〜。でも、その気持ちには応えられないかも」


「だから、LoveじゃなくてLikeの方!」


「分かってるよ。Likeね、Like。つまり、僕のことが好きってこと」


「まぁ、そうだけど……」


 ちゃんと伝わっているか不安そうにしながら、今まで僕に向いていた視線が外される。


(そっか。いいんだ。そのままの僕、僕が描く春風日向のままでも)


 今、考えてみると呪いのようになっていた言葉は、僕の目の前に現れた新たな光によって、知らない内に絡まっていた心の鎖をゆっくりと溶かしていったのだった。


 それから。変に気が張らなくなった僕のパフォーマンスの質は徐々に向上していった。

 ダンスは僕の担当だからと1人で抱え込まずに、冬羽ちゃんや先生に素直に相談出来るようになった影響のようだ。 


 そして冬羽ちゃんにすっかり心を許して、前よりもコロコロと表情を変えるようになった僕は、夏樹くんと玲くんに負けたくない、もっと冬羽ちゃんと仲良くなりたいと考えて、早速、行動を移すことにした。


「冬羽ちゃん、僕たち2人でユニット組もう」

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