第11話 秘密のパジャマパーティー
桜花サキさんのラジオ番組の生出演も無事に終了し、ラジオ収録ブースを出ると、張り詰めていた私の緊張もすっかり解けた。
それでも忘れずに関係者に挨拶を済ませて、室内では少し暑い為に脱いでいた薄手のカーディガンを再び羽織って、ビルの外に出た。
5月とはいえ、ほんのりと吹く夜風は、まだ肌寒い。カーディガンを羽織ってきて正解だった。そう思っていると、
「お疲れ様です。お家まで送迎しますので、準備出来ましたら、車に乗ってくださいね」
「は〜い。
「いえいえ。é4clat(エクラ)の皆さんをサポートすることが私の仕事なので。全然、大したことじゃないです」
彼女は大したことじゃない、と謙遜するが、マネージャー業務も一筋縄でいかないことは容易に想像がつく。それでも疲れを顔に出さずに「帰りますよ。乗ってくださいー」と声を掛けるのは、私達é4clatのマネージャーを担当している佐藤彩花さんだ。
今日のラジオ放送中も心配そうに見つめながらも、サキさんがブースの外の反応を伺った時に佐藤さんは、にこやかな笑顔で手で大きな丸を作っていた。
佐藤さんの笑顔を見れば、不思議と不安は無くなったので、やはり味方でいてくれる存在とは偉大である。
そんな佐藤さんの声掛けで、私達は車の後部座席に乗り込む。
「そういえば彩花ちゃん。言ってた通り、今日は僕のお家、寄らなくていいですよ。冬羽ちゃん
「……日向、冬羽。2人は、いつからそういう関係になったんだ? 恋愛禁止とは言われてないが、ユニット内は…」
「夏樹くん。僕たちの関係は健全です! というか、昨日言ったでしょ。冬羽ちゃんとの新ユニット会議をする為に、冬羽ちゃん家で、お泊まりするって」
ことの始まりは、ライバー活動を開始する前のレッスン期間にまで遡る。
* * * * *
12月にオーディションの合格が決まった私と日向とは違い、それ以前にオーディションに受かっていた夏樹と玲。
当初、決まるはずだったé4clatの正式なユニットメンバーが確定しなかったこともあり、本来é4clatで担当する予定だった『テクニカルノヴァ』通称テクノヴァのアニメエンディング曲をSoare(ソアレ)という急遽、夏樹と玲の2人で組んだユニットで担当することになった。
また、その曲は本来の人数である4人で歌う歌詞割にしていたこともあり、2人で歌うにしては、かなり息継ぎなどが難しく困難だったと合同レッスン時に聴いていた。
それでも2人は聴き手に違和感を与えず、完璧に歌った。これが、夏樹と玲の実力だ。
テクノヴァ放送前、エンディング曲の歌手情報は非公開とされ、関係者の数少ない者しか知らなかった。また情報公開は最終話の放送前に行うこと、担当歌手は声優事務所ダイヤモンドダストからデビュー前の新人が担当するという情報が第1話の放送後に発表されて、大きな話題となった。
謎に包まれた上に、かなりの重圧がのしかかる中、歌手情報は公開。VTuberが担当、ということで批判した者がいた一方で、多くの視聴者が本格的に歌唱するのは初めてだとは思えないくらい素晴らしい歌声や事務所の方針を理解している者は受け入れ、Soareを絶賛した。
結果、どちらのプロモーションも大成功に収めたのだった。
しかし、そんな裏事情を伝える訳にもいかず、私がデビューする前から明らかに開いていく差を見届けることしか出来ない、そう思っていた時、日向から声をかけられたのだ。
「冬羽ちゃん、僕たち2人でユニット組もう」
レッスン終わり。まるで「この後、ご飯行かない」みたいな軽いノリで日向は提案してきたように思えたが、日向も冬羽から提案の内容を疑っていると考えたのか、言葉を補うように伝えた。
「一応。言っておくけど、余り者同士で仕方なく組むとかじゃないからね! 冬羽ちゃんと一緒に2人で、色んな景色を見たいって思ったからユニットを組みたいんだ。…だから、どうかな」
そう言われて差し出された右手を私は、迷う暇も無く、力強く握り返した。
受け入れた提案は、今も後悔はしていない。だって、あのままé4clatとしてデビューしていたら、私はきっと眩い輝きに目を細めているばかりだっただろう。
日向も、夏樹と玲を見ていて同じような想いを抱えていたのかは分からない。しかし、誘ってくれたことへの感謝の想いと共に、新たな光になって返していければと心に決めていたのであった。
* * * * *
「──冬羽ちゃん、冬羽ちゃん。聞いてる? もう着いたって」
すっかりデビュー前を懐かしんでいた脳内に、日向の声で意識が呼び戻される。首を傾けて車窓の外を見ると、私が居候をしているマンションの玄関前に着いていた。
「あ。ごめん。佐藤さん、送って下さってありがとうございました」
「いーえ。今日は、生放送で疲れていると思うので、ゆっくり休んでください」
「はい。お疲れ様でした」
コンクリートに足をつき、車のドアを閉め、日向と共にマンションのロビーに入る。
フロントに常駐しているコンシェルジュさんに、軽く頭でお辞儀をしてエレベーターの中に入って階数のボタンを押す。
時計の針は10時を過ぎたこともあってか、途中で停まることなく、あっという間に箱は上昇していく。
「わー、エレベーター広っ。ていうか、ここコンシェルジュいるんだ…間違いなく、お金持ち……あのさ。冬羽ちゃんのお兄さんって一体、何者?」
「えっと、会ったら分かる、かも?」
まだ兄の正体を知らない日向に上手く誤魔化すことも出来ず、ただただ話を受け流していると、目の前の扉が左右に開いて目的の階に到着してエレベーターを降りた。
廊下をすたすた歩き、部屋の前に着く。ドアの前に立つと、今日はいつもより、外の世界を隔てる扉が重々しく感じてくる。
それでも私は勇気を振り絞る為、何回か深呼吸をして鍵穴に鍵を挿す。カチャ、とロックが開いた音が聞こえて、ゆっくりと玄関扉を開ける。
「ただいまー」
弱々しい声は恐らくリビングまで響かずに、玄関でとどまってしまっただろう。
既に帰って来ていると聞いていたが、いつもより声に対する空白があったことで今日に限っては寄り道をしていて家に居なかったり、返事が返って来ないかもしれない、と思っていた矢先、いつも通りに兄がリビングから姿を現す。
「おかえりー」
声と共に、ひょこっと姿を現した遥。ただ、いつもと違ったのは、その後に付け足された文言と日向の様子だ。
「こんにちは。
「え……えーっと、もしかして、
「うん」
「──わぁぁぁぁぁ。う、嘘だ。えっ本当。どういうこと。ね、冬羽ちゃん、これ、どういうことなの。聞いてないよ〜。
手土産、持って来れば良かったよ〜」
「ちょっと落ち着いて、日向」
余りにも動揺する日向に、戸惑う遥。しかし、そんな遥の様子も目に入らないようで、日向はその場に座り込んでしまい、頭を抱える。
無理も無い。だって自分の大好きなアニメに声の出演をしている上、今をときめく超人気声優が、同じユニットにいるメンバーの兄として家に居たら、誰でも驚くだろう。
「あー、ごめん。驚かして。
……冬羽。とりあえず
「分かった」と言って、日向に声を掛けるが反応が無く、肩を掴んで揺らして何とか立ち上がらせる。
靴を脱いで家に上がった後も、暫く日向は放心状態で、背中を押さないと歩けない程であった。
* * * * *
「あ〜もう。びっくりしたんだからね。
まさか、霜月遥さんの妹が冬羽ちゃんだったなんて。というか、そもそも霜月さん、って言ったら同じで分かんなくなっちゃうから…遥さんに妹がいることも知らなかったし」
お風呂上がり、ヘアバンドをしている影響でおでこが丸見えになった日向が、改めて驚きを露わにする。
それでも、お風呂に入ったことでリフレッシュされたのか、ひとまず落ち着いた表情で過ごしていた。
「……隠しててごめん、日向」
俯きそうになる顔を頑張って上げて、日向の方を見つめながら申し訳ない気持ちで謝る。
「えっ、怒ってないよ。むしろ兄妹なこと、教えちゃっても大丈夫だったの?」
「うん。一ノ瀬さんにも遥にも伝えてあるし、大丈夫。それに日向には、先に言っておきたいと思ってたんだ」
ユニット名を決める為に「お泊まりパジャマパーティーをしよう!」と決めた時、当初の予定では日向が1人で住むアパートに行く予定で話を進めていた。
しかし、一ノ瀬さんとの雑談中にこのことをさりげなく伝えると「男女が同じ屋根の下、2人っきりで夜を過ごすのは流石によろしく無い」と言われ、プロデューサーストップが入ってしまった。
このままでは滅多に無い、お泊まりイベントとパジャマパーティーの話が無かったことに……そう思った時、咄嗟に言ってしまった。
「私の兄の家なら、大丈夫ですか?」と。
そして一ノ瀬さんは困惑の表情を示した。何故なら、私の兄が霜月遥であることを知っている貴重な人物であり、日向が実際に兄に会えば遥であることに気づいてしまうであろうと予想してのことだろう。
日向は、そんな事情も露知らず「お兄さん、東京に住んでたんだね〜。あっ、もしかして『知り合いの家に時々泊まらせてもらってる』ていうの、お兄さんのお家のこと?」と言ってきた。
私は返事を返そうとする前に、一ノ瀬さんに耳打ちをした。兄の正体については、いつか話そうと思っていたことであり、それが少し早まっただけ。また普段から色々と気にかけてもらっていて、新たなユニットを組む日向には、先に伝えておきたい、と。
あの時、状況を飲み込めていなかった日向も今となっては分かるであろう。
私にとって、兄がいること。その兄が霜月遥であるのを伝える上で、いかに悩んでいたかということが。
「そっか〜」
一方、気の抜けた返事をしてから日向は、私のいる方に向けていた顔を元に戻し、ゆっくりと目を瞑る。
数秒間ですら、とても長く感じる中、再び瞼を上げた彼は突然、ペシッと頬を叩く。
「よし! 気を取り直して、始めよう。ユニット会議。そのために、お泊まりパジャマパーティーを企画したんだからね。
あと、冬羽ちゃんに1つ言っておきたいことがあります!」
「は、はい…」
日向が私に対して珍しく敬語で話す。やはり怒っているのだと考えた、その瞬間、一気に高まる緊張感に耐え切れずに、思わず目を閉じてしまう。
そのまま瞼を震わせていると、怒号では無いが、いつもよりも確実に落ち着いた声色で告げてきた。
「今度からは、僕のことも頼ってください」
日向が発した言葉と同時に、私の右手は容易く捕獲され、お日様のように暖かい両手で包み込まれる。
目を開けて状況を認識すると、突然起きた出来事に頭が回らず、たじろいでしまう。何とか理性を保ちながら「ひ、ひなた?」と言って目線を送る。
すると、こちらの目線に気がついたようで、さっきよりも束縛が緩んだ手を離すかと思ったが、より手をぎゅっと握り、そのまま私の瞳をじっと見つめ続ける。
その表情は、笑顔と苦悩が混ざり合い、何とも表現しがたいものだった。
「……ほんとは悲しかった。隠されていたこと。でも、このタイミングで言ってくれたことは嬉しくて。なんて、矛盾してるよね、話してること。
あのね、僕。周りから見たら、そりゃ〜ぽわぽわしてて、信じられない部分もあるかもだけど、ちゃんと考えてるよ。
大切な友達を。冬羽ちゃんを裏切ったり、傷つけるようなことは絶対にしたくないって。初めましての時から、そう決めてたんだ。
ねぇ、冬羽ちゃんが、今でも僕のことを友達だと思ってくれてるなら、約束してくれる? もう2度と、僕に嘘をつかないって。
……それが、仲直りの条件!」
最後は普段の調子ではあったが、私に対して初めてあらわにされた日向の想い。
それは今まで1度も聞いたことが無い声色で、淡々と話された。しかし語った言葉には、嘘偽りも無く、日向が本気で思って、考え抜いた言葉であったことは、
「話してくれて、ありがとう日向。
本当は分かってた。いずれ、このことがバレた時、みんなを傷つけることになるって。
でも、私は真実を話すことが怖かった。
もしかしたら、ユニット内で私の居場所は無くなってしまうんじゃないか、って」
天才の兄を持つ妹として、周りからは兄と比べられる毎日。近所では「お兄さんと比べて、あの妹は普通の子よね」と散々、言われてきた。両親は「気にするな」と言っていたし、心配もかけたく無くて、ひたすら黙っていたが、それは非常に屈辱的であった。
私にも、きっと兄のように天才で素晴らしい才能を持っているに違いない! そう言い聞かせるように日々を過ごしていたが、威勢は長く続くことは無かった。
最初から分かっていた。私には普通であること以外には、何も持っていないのだ、と。これからも、そんな人生を送っていくことになると思っていた。
あの満開に咲き誇る眩い光、
そうだ。あの瞬間、決めたんだ。私は、サキさんのように、いつか自分にとっての輝きを見つけてみせると。
何より周りを見渡せば、共に輝く仲間であるé4clat(エクラ)の3人がいるではないか。
私の方が、勝手に遠くにいると感じていたのかもしれない。こんな手の届く距離に、頼れる仲間がいるのに。
「──だけど、私。決めたから。
これからは、ちゃんと仲間を頼る。一緒に眩い輝きになってみせる。
日向。約束、するよ。もう2度と、日向に嘘はつかない、って」
「……はい、よろしい。
それじゃあ、仲直りのハグ。ぎゅ〜」
本当は私に聞きたいことが山ほどあるだろう。しかし、いつもと変わらない様子で話を終わらせた日向のお日様みたいな心が、この日はいつにも増して暖かく感じた。
「じゃ、気を取り直して始めようか。
ユニット会議兼パジャマパーティー」
「うん」
いつか、
玲の言葉が正しかったかは、今も分からない。それでも、やっと腹を割って話し合うことが出来た私と日向ならば、これから作っていく景色を一緒に見られる、そんな気がした。
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