Love conquers all. ~海の奇跡~

鈴谷凌

第1話「灯台」

 潮海しおみ灯台。全高25メートル、光度50万カンデラ。光達距離こうたつきょりにおいては30万キロメートルに及ぶ。

 日本各地のものと比較すると大した数字ではないそれは、他に取り立てて持て囃すものもないこの潮海町しおみちょうにとってはある種シンボルのような存在で、この町唯一と言ってもいい産業である漁業を、その輝きで以て支え続けてきたのだという。


 寂れた田舎をどこか小馬鹿にした、無駄に態度の大きい都会出身の教師の授業だったはずだ。

 町民からすれば無礼にも思えただろうその態度は、同じくこの町に引っ越してきたばかりの当時の私にとっては、どうでもよいことだったけど。


「やっぱり気持ちいいな、風」


 そんな潮海に対する認識を改めてくれたのが、この展望台から望む景色だった。

 黄昏たそがれ時。港に停泊する船と往来する人々の流れには心が踊らされ、夕焼けに染まる段々に並ぶ住宅群は見ていると心が和む。

 どこまでも広がりを見せる海原だけはどうにも苦手だが、その彼方から吹きすさぶ風は、いつだって私の淀んだ思考を洗い流してくれ、私が特に気に入ってる部分でもあった。


 幼い頃に初めてここに連れられてからというもの、こうして展望台に一人で足を運ぶことは、十八になる今となってはもはや日課と化していた。

 それほどまでにこの景色に魅入られ、気付けばこの町に対する愛着もまた深まっていた。


 しかし、愛が深まれば深まるほど、困難もまた膨れ上がるもの。せっかくリフレッシュをしようとした心がまたもや沈みかけているのを感じて、私は自身の頬を勢いよく両の手で抑えつける。


「私どうすればいいんだろ」


「んー、どうすりゃいいんだろうなぁ」


 返答など全く期待していなかった単なる独り言だったというのに、どういう訳だろうか聞き慣れた声が私の耳を打つ。


 弾かれたように顔を向けると、そこにはやはり見知った男性の姿が。私が予想していた人物、そして私が現在悩んでいる元凶ともいえる人物だ。

 今日も今日とて港を奔走していたのか、愛用の作業服は海水に濡れ、独特な海の香りを漂わせている。


「……航平こうへい君、音を立てないで上がってくるのはやめてって……!」


「はは、悪いな。みおの姿が下からでもみえたから、つい」


 精一杯に頬に膨らませた抗議も、航平君は涼しく受け流す。彼はそのまま歩いて私の方に近づいてきて、ちょうど私が先ほどやっていたような体勢で展望台からの景色に目を向けた。


「う……」


 突然距離を詰められたことにより、私は明後日の方向へと視線を投げた。声をかけてきたのは彼からなのに、当の本人はこの調子で何も言わない。

 それに加えて先ほど私が悩んでいたのはばっちりと見られているのだ。気まずくなるのも無理はないだろう。


 私が必死に耐えている間にも張り詰めるような沈黙は続く。

 眼下を行く人々の声、空を飛び交う烏鳴からすなき、打ち付ける潮騒しおさいの音すら聞こえてくるようだった。


 だがいつまでも雑音に紛らかしていても仕方ない。いい加減耐えかねた私は意を決して重い口を開き――。


 ぐうぅぅー。


「え……?」


 私の耳が正常ならそれは腹の音だった。盛大な響き。それに私のものではない。

 ということは答えは自ずと一つに絞られるだろうと、私は半ば呆れた心地で隣を見やる。


「あー、そうだった。もうすぐ夕食の時間だぞ、って言いに来たんだった」


 そういって航平君は可笑しそうに笑った。この時ばかりは健康的に焼けた精悍せいかんな顔も形無しだった。

 何とも間抜けな珍事に、私はそれまで抱えてきた悩みを忘れてしまいそうになる。


「自分のお腹の音で思い出すなんて、へんなの」


「いやいや! 飯の件は本当だって! ただなんか、お前が悲しそうな顔してたから――」


 揶揄からかう私に段々と航平君の言葉尻は弱々しくなり、終いにはぐったりと項垂れてしまった。

 どうやら彼なりに私の慮ってくれていたらしく、その可愛らしい仕草も相まって思わず笑みが零れてしまう。


 航平君は照れたように頭を掻くと、一つ咳払いをしてから言った。


「話したいことがあるんだが。帰りながら、どうだ?」

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