36 : Lynn

「ヘ・ル・マ・ン・ニ〜〜〜〜!!」

「うひぇあ!?」


 あたしが飛びかかると、枝の上のヘルマンニは驚愕の表情で後ろにひっくり返った。

 木から落ちるかと思ったら、器用にくるりと回って、ひょいとまた枝の上にしゃがみ込む。

 器用なことだ。サルかあんたは。アライグマじゃなかったのか。


「な、何すんだ?!」

「何すんだ、じゃないわよ、何なのよ、あのトラップは!」


 シャッ、と短剣を抜くと、ヘルマンニは流石にヤバいと思ったらしく、顔を引きつらせた。


「そこになおんなさい、斬ってあげるから」

「ちょ、ま、待て、待て待て待て!」


 あたしがガーッと歯を剥き出して襲いかかると、ヘルマンニはひょいひょい避けながら必死に言い訳する。


「しょうがねぇだろ! 殺さねぇように仕掛けようと思ったらああなるんだって!」

「なにが殺さないようによ! あたしじゃなかったら百パーセント死んでるッ!」

「お前に合わせて作ったんだからあたりめぇだろうが!」

「何が腹が立つって、のがわかるところよ! ほんっと性格悪い!」

「やべ、バレた」

「バレたじゃないわよ、たたっ斬ってやる!」


 あたしとヘルマンニが追いかっけっこをしているのを見て、ペトラがハイジに声をかける。


「ハイジ、止めなくていいのかい?」

「問題ない」

「ヘルマンニ、殺されそうなんだけど……」

「問題ない」


 うん、実際そうなのだ。

 本当に殺す気なんてない。

 そもそも依頼したのはハイジなわけで、ヘルマンニにしてみれば八つ当たりも良いところだろう。


「フン」


 ヴィーゴが鼻を鳴らす。


「そう簡単にヘルマンニを殺せるわけ無いだろう」

「まぁ、そうなんだけどさ……あ、掠った?」

「うひゃぁあ! ヤバい、マジで! おいハイジ、お前の女だろ! 止めろよ! おれの命があるうちに!」

「問題ない」

「あんたそればっかりだね!?」


 ハイジは肩をすくめ、眉を上げてへの字口だ。いつもの「措置なし」のときの表情である。


「どーどー、リン、落ち着け。な?」

「くっ……ほんっと憎ったらしい……」


 もちろん、時間を止めてやれば屠るのは簡単なのだろう。でも、あたしにそれをするつもりはない。

 とはいえ、割と本気で追いかけてるのに、ヘルマンニに剣先が届く気配はない。

 流石である。


 ヘルマンニを追いかけるのを諦めて、フーフー言いながら三人のもとに戻る。

 ハイジが目だけで笑って言う。


「気は済んだか」

「……もういいわ」


 あたしも諦めの表情を返してやる。


 もとより、意趣返しにちょっと驚いてもらっただけだ。

 地力では勝てないことを認識させられただけで終わった気もするが。

 

 まぁ、ヘルマンニは敵ではないのだ。能力チートを使って打倒したところで意味はない。

 つまり、あたしもまだまだだということだ。

 とはいえ、ヘルマンニもいい年である。ゼハー、ゼハーと肩で息をしながら、恐る恐る帰ってくる。


「お、お前、本気だったろ……」

「本気だったらとっくに殺してるわ」

「ヘルマンニ。リンの角を見ろ。端から殺す気なんてない」

「ああ、問題ないってそういう……」


 ペトラとヘルマンニが揃って肩を落とす。

 どうやら、あたしの角が感情とリンクしていることをすでに理解しているようだ。


「そう言えば、ペトラもよくもやってくれたわね……」

「えっ、今度はあたしかい?!」


 ペトラが思わずといった風に後ずさる。


 そう言えば、ペトラの格好が何時もと違う。

 昔、パーティを組んだ時の軽装とも違う、革鎧姿。

 太ってはいるが、それ以上に鎧みたいな筋肉。

 ハイジが熊や虎だとすれば、ペトラの印象はサイが近いかもしれない。


(これが––––『重騎兵』ペトラ)

(これこそが傭兵としての正装ってわけか……光栄ね)


「な、何だい、ジロジロ見て、気味の悪い」

「ペトラ……痛かったよ」

「だろうね。『投石機トレバシェット』を食らって生きてるのは、あんたで二人目さね」

「殺す気?!」


 なんてことをするのだ。


「死なないってわかってたからね」

「いや、本当に死ぬかと思ったけど……」

「馬鹿な子だね。あたしがアンタを殺すわけ無いだろ、リン。本当に馬鹿な子だ」


 ペトラがずい、と手を伸ばしてあたしの頭をクシャリと撫でた。


「ゲンコツの痛みを覚えておきなって言ったろ。どうだい? 忘れられなくなったろ?」

「おかげさまで……」


 くしゃくしゃと髪の毛と角をいじられる。

 うわー、やめろー。


「……角」

「ん?」

「短くなったじゃないか。なんなら前髪で隠せそうだ」


 ペトラはそんな事を言いながら、さらに無造作にあたしの髪型をいじる。

 髪型で角を隠せるか試してるらしいが、流石に無理がある。


「無理だよ」

「そうかい? 次の夏までになんとかなるとありがたいんだけどね」

「夏って、店員をやらせるつもり?」

「当たり前だろ。アンタのおかげで馬鹿みたいに忙しいのに、ニコだけで回るわけないじゃないか」


(えええええ)

(何考えてるんだ、この人)


 そもそも、あたしが傭兵になった時点で、食堂の店員としてはふさわしくないのだ。

 誰だって、金のために好き好んで戦争に参加するような人殺しに食事を運んでもらいたくはないだろう。

 あたしはお金のために傭兵になったわけではないが、客にすればそんなことは関係ない。


「客どもが、リンはどうした、無事なのかってうるさくてね……」

「はい?」

「ニコとアンタがいないと、調子が出ないらしい」

「えええ……」


 ありがたい話だけど……あたしはもうペトラの店で働くつもりはないのだ。

 それにしても。


(さすがはペトラの店の客だけあって、肝が座っている)

(普通、こんなややこしい女、居ないほうが良いだろうに)


 別に自分を卑下するつもりはないが、客観的に見てあたしの存在はややこしい。


「そういえば、店、休ませちゃったね」

「いや、ニコが開けてるよ」

「はい!?」

「晩は流石に無理だけどね、昼はニコが回してる。教会の子たちが手伝ってるよ」


 なんと!


「ちょっと目を話した隙に……!」


 あたしが驚いていると、ヴィーゴが声をかけた。


「お前ら、遊んでて良いのか?」


 それに対してハイジが返事した。


「いや、良くはないな」

「結局どういう事になったんだ? 継承は?」

「……リンを説得できなかった」

「駄目じゃないか」

「その割には、リンの様子が随分まともになってるけど」


 三人があたしを見る。

 何故か恥ずかしくなって、思わず角を押さえた。


「……なぜつのを隠す」

「よくわかりません」


 ハイジが呆れた顔で見ているが、とりあえずヴィーゴの言う通りだ。

 時間がないのだ。


「……ヘルマンニ。調べてほしいことがある」

「あいよ。何を調べる?」

「ノイエがどうなったか、調べて欲しい。あの怪我だ。すでに死んでいる可能性が高いが、もし生きているとすれば、搬送は不可能だ、近くにいるに違いない」

「あー、なるほど。ただ、今のあいつの見た目を知らねぇんだよな……」


 ヘルマンニが頭をガリガリと掻く。


「おれの頭を覗いても良いぞ」

「……何のことだ?」

「見られるんだろう?」


 ハイジの言葉に、ヘルマンニがうろたえる。


「気づいてたのか?」

「いや、師匠に訊いた。その上で、相談があればヘルマンニを頼れと言われた」

「あのオッサン、知った傍からすぐに暴露しやがった!」

「お前が悪戯に覗いたりしないことはわかっている。だが、今は急を要する。おためごかしはいいから、さっさと覗いてくれ」


 あたしにはハイジとヘルマンニの会話の意味がわからない。

 わからないが……ヘルマンニには、ノイエの現在を知る術があるようだ。


「……しゃあねぇ。悪ぃけど覗かせてもらうぜ」


 そう言うと、ヘルマンニの様子が変化した。

 目を見開き、視点が定まらず、中空に何かを探すかのように首をぐりんぐりんと動かす。

 少し気味が悪い。


 と。


「うっ……」


 ヘルマンニはピタリと止まると同時に、顔を引きつらせた。

 しかも、急にうずくまって、ガクンと膝をつく。

 さらに、慌てて茂みに這っていくと、


「う、お、オエッ……!」


 と、嘔吐し始めた。


「ヘルマンニ?!」


 あたしが慌てて駆け寄ると、ヘルマンニはバッと手をこちらに向けてそれを制す。

 ゲホゲホと咳き込んで「マジかよ」などと呟いている。


「……どうしたの、ヘルマンニ」

「……生きてるよ」

「え」

「だが、ヤバい。絶対に死なせたら駄目だ」

「な、何?」


 ヘルマンニは、顔面蒼白のままフラフラと立ち上がって言った。


「今すぐ向かうぞ。絶対に死なせるわけには行かねぇ」

「ヘルマンニ。何がどうした。言わないとわからんぞ」


 ヴィーゴの言葉に、ヘルマンニはグッと言葉を詰まらせながら、苦しげに答えた。


「もしノイエを死なせたら……何もかも終わっちまうぞ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る