35 : Lynn
「その
ハイジがあたしの角を軽く撫でながら言った。
「うん、できないみたい」
「だが、伸ばすことはできるんだろう?」
そうは言うが、実は自分で意図的に角を伸ばせるとわかったのは、つい今さっきのことなのだ。
なにせ、これまではどうにかして角が伸びないように頑張ってきたので、実際のところまさか自分で伸ばせるとは思っていなかった。
「この角、嫌な気分になると伸びるんだよ」
「嫌な気分とは?」
「うん……孤独感とか、怒りとか、悲しさとか、そういう
「–––そうか」
ハイジは少し悲しそうな目であたしの角を撫でる。
(……これが本当にハイジ?)
(随分と表情豊かというか……っていうか、こっちが本来のハイジなのか)
ハイジは「これまでは自分の感情を持つことが許されなかった」と言った。
ということは、いつものやたらと冷たい態度やら、ドライ過ぎる対応も、朴念仁の唐変木っぷりも全部、自分の感情を殺した結果だったわけだ。
……よくこんなのに惚れたな、あたし。
(だけど)
(自分では感情を殺したつもりだったんだろうけど、見てたらわかるんだよね。鉄面皮だったけど、あんなに冷たいのに、この人はいつだって優しかった)
ハイジが怪訝そうな表情になった。
「……何かおかしいか?」
「ううん。なんでもない」
どうやら笑ってしまっていたらしい。
「では、この数日はよほど辛かったのだな」
「そうね。でも、もういいわ」
「もういいとはどういう意味だ?」
「だたのやけくそよ」
あたしがそう言うと、ハイジは困ったように笑う。
こんな表情をする人だったんだなぁ。
「角を石で砕いてただろう」
「……見てたの?」
「ああ。……おれには想像もできないのだが、自分の角を砕くのはどんな気分なんだ?」
痛むのか? とハイジが気遣うように言った。
もちろん痛むし、頭が揺れて吐き気が来るし、ろくなもんじゃない。
でも。
「痛いことは痛いわ。でも、それよりハイジとは
「馬鹿なことを。お前は何も変わってない」
そう言って、ハイジはまた角を撫でる。
「そうかな」
「おれと一緒に来ると言ったあの日から何も変わっていない。戦い方を覚えて誰よりも強くなったが、そんな力がなくとも、お前はもとから強かった」
(うぅ、ハイジの声が優しいぞ)
(くそー、抱きつきたい……)
抱きつきたいが、今はそんなことをしている場合じゃないのだ。
行動するならすぐに行動すべきだ。
すべきなのだが。
(ハイジ、ずっと角ばかり撫でてる。どうせなら頭を撫でてくれたらいいのに)
(やっぱり気になるんだろうな)
「ふむ、やはりか」
「何?」
「角が小さくなった」
「え、うそ!?」
自分の角を触ると、変わらず角がそこにある。
「……小さくなってる? あんまり変わらなくない?」
「いや、小さくなった。もう少し触れていてもいいか?」
「い、いいけど」
なでり、なでり。
「ちょ、ちょっと恥ずかしいんですけど」
「我慢しろ」
そんなことをしても、角はなくならないだろう、と思ったが、
(あ、あれ?)
角が縮む感覚があった。
どういう感覚なのか、自分でもよくわからないが、たしかに角が小さくなっていく感覚がある。
「な、ななな、なにこれ」
「先ほどは
「何これ、どういうこと?」
「魔獣もそうだが、攻撃本能が強ければ強いほど角が大きい。だが、敵の少ないところだと角は小さくなる」
確かに、エイヒムの森の兎たちの角は短かった。
「だから、お前が落ち着けば角が小さくなると思った。どうやら間違いではなかったらしい」
そういって、ハイジは角から手を離す。
「ほら、もう殆どわからない」
「……うそ……」
触ってみると、ちょっとした子鬼みたいな角になっていた。
「さて、行くか」
「え?」
「ノイエの様子を見に行くんだろう? ––––おそらく無駄だとは思うが、行くならば急ぐべきだ」
「じゃあ、角なんてほっとけばよかったのに」
「ばかを言うな」
ハイジはムッとした顔であたしを睨む。
そしてぷいと顔をそむけ、つぶやくように言った。
「自分で自分の角を砕くなど……二度とあんな真似をさせられるか」
* * *
廃墟を後にしたあたしたちは、崖を見上げる。
崖は、まるで襲いかかる波のような形をしていて、かなりの高さがある。
さすがの
「あんなところから落とされたのか……」
「ちゃんと受け止めただろう」
「そういう問題じゃないわよ」
くそう、ヘルマンニめ、めちゃくちゃしやがって。
「どうやって登るの?」
「こっちだ。もう道は残ってないだろうが」
ハイジは迷いなくザクザクと歩き始める。
慌ててそれについていくあたし。
「そういえば、ここって結局どういう場所なの?」
「駆け出しの頃、師匠に修行を付けてもらった場所だ」
「それって、ヘルマンニたちと一緒に?」
「そうだ」
ハイジは躊躇なく歩いているが、とてもではないが道とは言えないただの鬱蒼とした森である。
道なき道をあるきながら、ハイジが昔の話をポツリポツリと話してくれる。
「傭兵として鍛えてもらいながら、ずっとここに住んでいた。上の連中の他にも、何人か兄弟弟子がいたな。皆死んでしまったが」
「……傭兵だものね」
こうして聞くと、死が随分と身近に感じる。
だが、あたしが殺してきた敵兵にだって人生があり、その人に関わる沢山の人がいたはずだ。同情するのは筋違いというものだ。
「その他にも、保護した『はぐれ』なども居たな。中には師匠に稽古をつけてもらって、能力を開花させた者もいた」
「あたしみたいな?」
「いや、お前みたいな極端なやつは居なかった」
どういう意味だ。
「あたし、極端なの?」
「極端だとも。師匠がヴァルハラに行く頃には、おれもそれなりに力を付けていた。しかも、師匠の力を受け継いだんだ。おれの肌に傷をつけることができる人間が出てくるとは夢にも思わなかった」
自分が傷つけられた話だというのに、ハイジは随分と嬉しそうだ。
「何故嬉しそうなの?」
「何故だろうな。もしおれに傷をつけたのがヨーコあたりだったら、流石に悔しかったかもしれんが、お前だからな」
だからどういう意味だ。
「あたし、強くなったかな」
「ああ。そんな角が無くても、もうお前に勝てるやつなんてそうそう居ないはずだ」
そこまで強くなる必要はなかっただろう、とハイジは言う。
(ハイジを圧倒できるくらいにならないと、相棒として認めなかったくせに)
「でも、ノイエ君には勝てなかったよ」
「いや、能力を使わなければ余裕で勝てたはずだ」
「え、そうなの?」
「おれには無理だがな」
ん? どういうこと?
「あいつの能力は二つある。一つは距離を変化させる」
「あれね」
あたしの能力にちょっと近いかもと思った力だ。
「あれのせいで、殺さずに打倒するのはおれには無理だ。手加減したつもりでも距離を変化させられると殺してしまいかねん」
「あれってそういう意味だったの?!」
あの時、ハイジは「勝てないから逃げる」と言ったが、まさか逆の意味だったとは。
「もう一つは、魔力の流れを断ち切る能力だ」
「……あたしの『加速』を発動出来なくしたやつね」
あのバチン! という感触を思い出して、思わず顔をしかめる。
「お前はよほど能力をうまく使いこなしていたのだろう、無駄がなかったから大したことにはならなかったが、闇雲に魔力を使うタイプだったら、体が弾け飛んで死んでいただろうな」
「ひぇぇ……」
そんな死に方だけはしたくない……。
「でも、あんなに練度が低いくせに、強力な能力が二つもあるなんて、よっぽど才能があったのかな」
「違う。どちらの力も、親から受け継いだものだ」
「へぇ、能力って遺伝するのね」
「いや」
ハイジはちょっと言葉を選んで、
「おれが師匠から力を受け継いだのと、同じ方法を使ったのだろう」
「…………ん?」
「つまり、殺したのだろう。ノイエは」
「……えっと、もしかしてご両親を?」
「そうだ」
その言葉を聞いた瞬間、体の中からブワッと魔力が溢れ出るのがわかった。
あ、と思った瞬間、角がズルリと伸びた。
––––親殺し。
元の世界でももちろんだが、この世界でも最大のタブーの一つのはずだ。
少なくとも、あたしの感覚には相容れない。
「……ちょっと刺激が強かったか?」
気配を感じたハイジが立ち止まった。
「……ごめん、また伸びちゃった」
「その角のままでヨーコたちと合流するのは、あまり良くないな」
「うー……」
ハイジが近づいてきて、あたしの角に手をかける。
また角を縮めるつもりらしい。
「ごめんね」
「いや、かまわない」
ハイジがあたしの頭を抱き寄せて、ゆっくりと撫でる。
(うひゃぁああ)
これは……だめだ。恥ずかしくて死ねる。
「うぅ」
「なんとかなりそうか?」
「なります、します」
「そうか」
(ふー……)
(角に意識をして、さきほどの角が縮む感覚を思い出して……)
すると、角がじわじわと溶けるように縮んで行くのがわかった。
(あ、できた)
もしかすると、ハイジに撫でられなくてもなんとかなるかも知れないが、そこは黙っておくことにしよう。
「……先ほどよりも早く縮められるようになったな」
「もう少し撫でてくれたら、もっと早くできそう」
離すもんか、とハイジに抱きつくと、ハイジは「そうか」と言って角に手を触れる。
するすると縮んでいく角。
(……いや、ますます人間離れしてませんか、これ)
(それに、ハイジってば、こんな娘のことが不気味じゃないのだろうか)
ちらりとハイジを見上げると、バッチリ目が合ってしまった。
「うひゃぁああぁ……」
「なんだ、その声は」
「……リンの鳴き声です」
そう言ってハイジの胸に顔を埋める。
「……面白い冗談だ」
「じゃあ笑ってよ」
「……笑い方を忘れた」
「じゃあ、早いこと思い出さないとね」
あたしがそう言うと、なぜか上からではなく、少し遠くから返事があった。
「そうだな、お前は少しくらいユーモアを覚えたほうがいい」
「つーか、甘ったるくて見てらんないんだけど……」
(……この声!)
(ヴィーゴさん?! それにペトラ!)
思いっきり抱き合ってたところを見られた!
あたしは慌ててハイジから飛び退くように離れたが、そこには、いつもの爬虫類みたいに冷たい目でこちらを見るヴィーゴと、呆れたように腕を組んだペトラが。
そして。
「よっ」
木の枝の上に、軽く手を上げたヘルマンニがしゃがんでいた。
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