34 : Lynn

(あわわわわわ)


 まさかのハイジからのスキンシップにあたしはパニックになった。

 はっきり言って今はそれどころではないのだ。ハイジが死ぬかも知れないという時に、何をポーっとなってるんだ、あたしは!


「ハ、ハイジ、これはその、どういうことかな?」


 顔を真っ赤にしながら尋ねると、ハイジが軽く頭をなでながら言った。


「前に、お前が抱きついてきたことがあったろう」


 ああ、歩いて帰ってきた日か。


「あの時、お前は『もう少しこのまま』言った」

「言ったわね」

「だが、俺はお前を引き剥がした」

「そうね」

「悪かった」


 そう言って、ハイジはあたしの頭をより強く抱きしめた。


(あわわわわわ)


「訊きたかったのは、おれが解放されたと感じている理由だったな?」

「……う、うん」

「お前を––––大切に想うことが許されたからだよ、リン」

「?!」


 ハイジが、ハイジらしくないことを言った。


「おれはこれまで、誰かを特別に想うことは許されなかった。あのときもそうだ。ついお前を愛しく思った。だからあわてて引き剥がした。だが、もうそれを咎められることはない。––––こうして、お前を抱きしめることもできる」

「ハイジ……」


 あたしもハイジの背中に腕を回す。

 ハイジの体は固くて、大きくて、あたしの腕では手が届かない。

 あのときはベリリと引き剥がされたが、今のハイジはしっかりとあたしを抱きしめ、ゆっくりと頭をなでてくれている。


(でも)

(違う)


 できればずっとこうしていたかったが、あたしの目的は、ハイジの残された短い時間を甘い空気で過ごすことではない。

 あたしは勇気を振り絞っってハイジに告げた。


「ハイジ」

「なんだ?」

「あたし、あなたのことが好きよ? ……でも、もしハイジがあたしのことを大切に想ってくれるなら……返事をするのは待って」

「うん? だがもう時間はほとんど残っていないぞ?」

「そんなことない」


 あたしはハイジの胸に頭をゴリゴリと当ててやる。

 角が当たって痛いだろうが、知ったことではない。

 あたしをこんな風にしたほうが悪い。


「時間ならあるもん」

「そう言われてもな」

「ねぇ、ハイジ」


 離れ難かったが、あたしはハイジから離れ、ハイジの目をまっすぐに見る。


「あたしはあなたが死ぬなんて信じない。何を言われても。絶対に」

「だが、事実だ」

「ハイジ。何度でも言う。あたし、あなたのことが大好きだ。あなたの厳しさも、あなたの悲しさも、あなたの寂しさも、あなたの弱さも、全部。優しくしてくれたからじゃない。守ってくれたからじゃない。ただ、ハイジはハイジでいてくれたらそれでいいの」

「……どのみち、おれはおれでしかないが」


 ハイジらしい返事だ。


「でも、もしハイジが死んじゃったら、あたしきっと、本当の魔獣になっちゃうよ」

「それは困るな」

「だからさ、ハイジ。ギリギリまであたしとがんばろう? きっと死ななくて済む方法が見つかるよ」


 そこまで頑張って口にしたが、顔がクシャッとなって涙がこぼれ落ちた。

 泣き顔なんて何度も見られてきたけれど、今はみっともない顔をちゃんと見せておこう。

 だって、あたしはこれ以上ないくらい本気なんだから。


「あたし、ハイジがいなくなったら、この世界のこと嫌いになっちゃう。何もかも壊して、あたしも死んじゃうから」

「お前はそんなことはしない」

「ハイジがいてくれれば、しないよ。だって、あたしはハイジのいる世界を愛してるもの。それとも、ハイジ」


 あたしの額から、ズルリと角が伸びる。

 ハイジの目がギョッと見開かれた。

 一歩後ずさり、あたしを観察しているが、あたしはしっかり理性を保っている。


「このまま、あたしを魔獣にしちゃうの? ハイジ。それともそうなる前に––––あたしを殺す?」

「……むちゃくちゃだ」

「本気だもん」

「そのようだ。……今、角を意図的に伸ばしたな?」


 眉間にシワを寄せて、ハイジがあたしの角に触れた。


「世界を人質にするのか?」

「……何なら、そうなる前に殺してくれてもいいよ。ハイジが生きることを諦めるんなら、死ぬことなんてなんにも怖くないもん。むしろ、あなたに殺してもらえるのは悪くない」

「そんなことをするつもりはない。だが、どうすればいい?」


 ハイジは諦めたようにため息を吐いた。


「お前が世界を壊すか、そうなる前にお前を殺すか、共に生き残るか、三つに一つか。……悪辣なやつだ」

「そうでもしないと、ハイジ、自分のために動かないじゃないの」


 あたしが言うと、ハイジはキョトンとした表情を見せる。


「おれのためか?」

「あたしのためよ」


 フン、とハイジが笑って、


「なら、どうする」

「まずは、ノイエ君を尋ねましょう。本当に死んでいるかどうかもわからないし」

「……『はぐれ』をあそこまで傷つけた時点で許されないんだがな」

「それよ」

「ん?」


 あたしはずっと疑問だったのだ。

 そもそも、ノイエは『はぐれ』なのか。

 両親がともに『はぐれ』だったとしても、中つ国ミズガルズ生まれではないか。


「『はぐれ』かどうかは、おれの認識によるからだ」

「……じゃあ、ハイジがノイエ君を『はぐれ』じゃないと認識すれば、解決じゃないの」

「無理だな。おれはあの子の両親を知っている。どちらも『はぐれ』だ。だから、ノイエについてもすでにそう認識してしまっている」


(この頑固者め)


「でも、どちらにしても会いに行きましょうよ。行きてるとしたら、まだ本国には帰ってないでしょうし」

「それでお前の気が済むならそうしよう」


 ハイジは笑っているが、冗談ではない。

 何が何でも生き残ってもらわなければ困る。

 でないと、本気で暴れまわるぞ。 


「そういえば、ノイエ君がハイジに執着してるのって、何故なの?」

「おれのことを本当の父親だと思いこんでいるんだ」

「……はい?」

「だが、見ての通りだ。ノイエは黒い目と髪だ。仮に俺の子だとすればああはならん」


 心当たりもないしな、とハイジは肩をすくめる。


「……じゃあ、なんでそんな勘違いを?」

「あまりに父親に似ていないからだと言っていたな。それに、俺と同じ名前で、しかも呼び名も俺が付けたとなると、そういう誤解も生まれるのかもしれん」

「……説明はしたんでしょう?」

「した。数年前のある日、いきなり会いにきて、自分はおれの子だと。認めて欲しいと言ってきた」

「なんて答えたの」

「心当たりがないからな。おれの子じゃないと言ったよ」

「納得はしたの?」

「してないな」

「でしょうね」


 ハイジの話を聞く限り、どうやらノイエはけんもほろろに追い返されたらしい。


「……ノイエの父親は人格者だった。母親はちょっと奔放な性格だったが、夫を裏切るようなことをする人間には見えなかった。つまり、ノイエの勝手な勘違いだ」

「名前だけでそんなふうに思い込むなんて……」

「まぁ、たしかに父親には似ていなかったよ。ノイエは巻毛だが、両親は直毛だったし、母親にはよくにていたが、父親の面影はたしかに少なく見えた」

「ご両親はどこの人なのかな。混血ハーフだと思うけど」

「いや、両親ともに、お前と同じニッポンの出身のはずだ」

「……は?」


 ノイエの顔は、東洋の面影はあるものの、明らかな欧米人の顔だった。


「いやいやいや、でも、あの顔で日本人ってことはないでしょ」

「そうなのか? おれ達の目では見分けがつかないが」

「いや、でも、そうか、日本人だからって、遺伝子としては黒目・黒髪の欧米人である可能性もあるか……」


 でも、日本には外国人は少ない。それでなくとも珍しい黒目・黒髪の外国人が日本で、しかも神隠しに遭う確率って、どのくらいだろう。


「ね、その二人の名前は?」

「父親の名前はモーリ。母親のほうはカナタだったか……。日本では珍しい名前なのか?」

「モーリ? 日本人でモーリってのは……あ、毛利? 森?」


 わからないが、何かがおかしい。


「ねぇ、ハイジ。もしノイエが『はぐれ』じゃなかったとしたら、どうなるの?」

「……どうだろうな。わからんが、そもそも『はぐれ』かどうかは、おれの認識に寄るからな。精霊が決めるわけではないし、おれが『はぐれ』だと認識している以上、同じことだろう」

「冗談じゃないわ。諦める気はないわよ、あたし」

「だが、どうするつもりだ?」

「調べるわ。二日以内に。だって、ノイエが『はぐれ』でないとわかれば死ななくて良くなるんでしょう?」


 ハイジは肩をすくめる。


「そのつののままでか?」

「ッ……! け、削るもん!」

「そんなことよりも、おれとしては最後の時間をお前をゆっくり過ごしたかったのだがな」

「生き残ってから、いくらでもゆっくり過ごせばいいわ」

「理想は、最後はお前にとどめを刺してもらいたいのだがな」

「お互い様よ」


 あたしたちは見つめ合って、不敵に笑った。

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