37 : Lynn

「一体、何がどうした」

「説明は後だ。リン、お前、怪我を自分で直してたろ? あれって、他人にも使えたりしねぇか?」

「は?」


 いきなりのことで、一瞬意味がわからなかった。

 怪我を治す? あたしが?


「そ、そんな事できるとは思えないんだけど……」

「いや、お前さ、ペトラにぶん殴られても無事だったろ。お前自身がヴィヒタみたいになってるんじゃねぇかと思うんだよな」

「……どういうこと?」

「いいか、リン」


 珍しく、ヘルマンニが真面目な顔であたしを真っ直ぐに見る。


「できるはずだ。もし出来なければ、何もかも終わりだ」

「わからない、わからないよ、何のこと?」

「いいから、すぐにお前はハイジと一緒にノイエのもとへ向かえ。詳細は追って連絡する」

「連絡って、どうやって?!」


 ヘルマンニの剣幕にオロオロしていると、ハイジがあたしの肩をぐっと抱いて言った。


「わかった。とりあえずどちらへ向かえばいい?」

「ハイジ?!」

「話が早くて助かるぜ。えーと……あっちだ!」


 ヘルマンニが指を指すと、ハイジは「わかった」と即答する。


「行くぞ、リン」

「わかった!」


 即答。

 ハイジが行くというなら、四の五の言う意味はない。ただ付いていくだけだ。

 あたしの返答と同時に、ハイジは走り始める。


(速っ……!)


 あたしも慌てて後を追う。

 そう言えば、ハイジの走るところってこれまで見たことがなかったが、その体格からなんとなくさほど速いイメージはなかった。

 しかし、その走りはまさに虎のよう。

 無駄がなく、しなやかで、あたりの風景を置き去りにするなめらかな走り。


(これじゃ、ノイエ君とやりあってる間に追いつかれるはずだ)

(元陸上部員としては負けてられないね)


 ここで時間停止を使う意味はない。

 あたしではハイジを連れていけないし、あたしだけではノイエ君のところまでたどり着くことは不可能だろう。

 それに、ヘルマンニもハイジと行けと言った。

 あたしとハイジのツーマンセルが正解だというのなら、それに勝ることはない。


『あ、あー、聞こえるか、リン』

(ヘルマンニ?!)


 いきなり頭にヘルマンニの言葉が聞こえてきた。


(な、なになになに)

『落ち着け。今、ヨーコの能力を使って話しかけてる』

(テレパシー?!)


 ヘルマンニの気配が脳内に感じられて気持ちが悪い。


(ハイジが側に居さえすれば、いつでも俺たちと話ができる。あまり離れずにくっついてろ)

(ヴィーゴさん?! な、ななな)

(落ち着け、リン)

(ハイジ!)


 なんだこれは。

 まるで音声ヴォイスチャットではないか。

 ヴォリネッリ随一の暴力装置たちが、近代的な情報共有までやってのけるとは……これではこの世界に彼らに勝てる組織など存在しないだろう。


『いいか、よく聞け。ノイエは生きてる。止血だけされて転がされてるだけだが、一応息はある』

(う、うん……)

『それで……ハイジ、リン。二人ともよく聞いて理解しろ。特にハイジ。お前、ノイエが『はぐれ』だと確信してたな?』

(ああ、あの二人の子どもだというのなら、少なくとも中つ国ミズガルズの人間とは言えないだろう)

『……くそっ、言い辛ぇな……! ハイジ、聞け。ノイエは『はぐれ』じゃねぇ!』

(ありえん。お前がおれのために言ってくれているのはわかるが……)

『違ぇよ! あいつは……『はぐれ』なんかじゃねぇ! あれは……』



# Jouko



「嘘だろう……!?」

「……残念ながら、間違いねぇよ」

「前は……前に会ったときはそんな事言っていなかっただろう?」

「あのときはまだ、あのガキも小さかったからわからなかったんだよ!」


 ヨーコは顔面蒼白のまま呆然としている。

 それもそのはず……。


だと?!」


 たしかに、アゼムの髪はうねるような巻毛だった。

 それは間違いなく、ヘルマンニから送られてきたノイエの映像と酷似している。

 しかし、少なくともアゼムはそんなことを一言も言っていなかった……!


「師匠の最後の日だけどよ……師匠の本心を知りたくてよ、おれは師匠の心を覗いてたんだ。もちろん、ちゃんと師匠にもそれを伝えて、だけどよ」

「だからどうした?」

「あの時も、師匠は『おれの子がいるかも知れない』って、それを随分気にしていた。だから『隠し子ですか』と言ったら、師匠は否定しなかった」

「だからって、あの少年が師匠の子だと?! 信じられるか!」


 ヨーコはアゼムのことを師として、父として尊敬していた。

 しかし、それ以前に、ヨーコにとってはアゼムはまず恋愛対象だったのだ。

 故に、簡単に認めることはできなかった。


 まさか、アゼムが保護した『はぐれ』に手を出したなどと……!


「いや、それについてはそういうことじゃねぇと思うぞ」

「……何故そんなことが言える?」

「いや、カナタちゃんさ、アゼム師匠にホの字だったじゃん。ねんごろになっても仕方ねぇだろ。美人だったしさ」

「……いや、しかし……」


 ヨーコは混乱したまま、考えを巡らせている。

 こんなヨーコは珍しい、とヘルマンニとペトラは驚いた。


「そうなると、色々納得は行くんだよ。モーリのことは覚えてるか?」

「ああ、もちろん覚えている」

「カナタがモーリと結婚したのは、師匠が死んでしばらく経ってからだった。その頃、カナタのお腹はすでに大きかったはずだ」

「……それで?」

「つまりモーリは、カナタのお腹の子が誰の子が知った上で、カナタと結婚したんだと思う」


 なんだ、それは。

 他の男の子を身ごもった女と結婚するだと?


「いや、そこは、はぐれ同士で生きていくなら、そのほうが便利だったとか、そういう打算的な意味もあったんだと思うんだけどよ。でも、モーリって多分カナタの事が好きだったんじゃねぇかな」

「だからって……」

「考えてみろよ、カナタだけじゃなく、モーリだって師匠に救われたんだぜ? なら、カナタのためだけじゃなく、師匠のためにも一緒になろうと思ったんじゃねぇかな」


 そう考えると、一応は辻褄は合う。

 父親に似ていない子どもノイエ

 ハイジに父親像を求めたが、ハイジが父親であれば、目の色が黒いはずはない。

 だが、師匠なら、その血の半分は『はぐれ』だ––––。


「––––そういうことか––––!」


 ならば、今すべきことは何だ。

 決まっている。



# Heidi



『もしノイエが死んでみろ。ハイジ。お前が師匠の子を殺したことになる』

(……それは……!)

『師匠の遺言は覚えているか?』

(もちろんだ。片時たりとも忘れたことはない)


 全力疾走しながらも、ハイジは唸る。


 ––––何故気づかなかったのだ。


 ノイエは始めから言っていた。

 モーリは自分の父親ではないと。

 明らかに似ていない。欠片も似たところがなく、他に父親がいると確信している様子だった。

 それは、自分ハイジではなく、師匠アゼムであったか––––!


 ––––何故気づかなかったのだ!


 彼のあの畝るような黒髪は、師匠に瓜二つではないか!


(おれがそれを殺したとあっては……お前たちにも、師匠にも合わせる顔がない)

『ハイジ。大丈夫だ。リンがいる』

(あ、ああ……)

『それとな、ヘヘ。今まで黙ってたけど、俺も精霊と『魂の契約』を交わしてんだよ』

(……何を言ってる? ヘルマンニ)

『まぁ、大したことじゃねぇんだけどさ』


 ヘルマンニの様子は軽薄だが、どこか何時もと違って真剣さがにじむ口調だった。


『あの日さ、お前たちを見て、つい誓っちまったんだよ』

(……言え、ヘルマンニ。何を誓った)

『師匠の遺言を必ず果たす。そう誓った』


 ––––!!

 なんてことだ––––!!


『だが、おれには確信がある』

(何を……? 何を言っている?)

『あの日、おれは『黒山羊』の存在を見た。師匠も知ってるはずだぜ。『黒山羊』が、って』

(……リンか)

『まぁ、お前は死ぬこたぁねよ、だって『はぐれ』を殺したわけじゃねぇからさ。でも、もしノイエが死んだら––––おれは無事でいられるかね』

(お前といい、リンといい、どうして簡単に自分の命を人質にする!)

『いやぁ、ぶっちゃけ俺が死ぬだけだったら別にかまわねぇんだよ……でもさ、あれからもう二十年。ずーっと色々根回ししてきた努力が全部パーになるのはいただけねぇ。何よりも」


 ヘルマンニは、いつもの戯けた様子を抑えて、真剣な声で言った。


『俺たち全員の悲願じゃねぇか』

(……そうだな)

『ハーゲンベックは、戦えなくなった人間をまともには扱わない。一応兵站病院にいるにはいるが、ろくな治療は受けてねぇ。両腕はねぇし、止血はされてるが壊死が始まってる。もう長くねぇ』

(それを、あたしが直せばいいってこと?)


 ハイジとヘルマンニの会話は、あたしの知らない情報が多すぎて半分以上がわからない。


『魂の契約』––––ヘルマンニはそう言った。

 これの意味ならわかる。失敗すると死ぬってことだ。


(あたしがノイエ君を治すことができれば、何もかもがうまくいくってことね)

『さすがは『黒山羊』のリン、話が早い』

(わかったわ。なら、できるできないじゃなく、あたしはやってみせる)

『頼んだぜ、リン。お前ならできる。んだ』


 ヘルマンニがホッとしたような声を送ってくる。

 さっきまでぶった切ってやろうかと思っていたが、実際のところ、ヘルマンニが居なくなるのはこの上なく寂しい。

 いや、ハイジとヘルマンニ、ヴィーゴにペトラ––––英雄たちの誰が欠けても駄目なんだ。


(ヘルマンニ。方角はあってるか?)

『ああ、あってるよ。わりぃけど、あと半日ほど急ぎまくってくれや』

(任せろ。元は俺が撒いた種だ。––––俺のせいで二度もお前たちを苦しませるわけにはいかん。何としても間に合ってみせる)

(リン、聞こえるかい)

(ペトラ……!)

(あたしからも、どうか頼むよ。あたしは何にもできないけどさ……、ヘルマンニを死なせないでやっておくれよ。どうか頼むよ)

(わかった! 何が何でもやってみせるから、ペトラは安心して待ってて)


 あたしはそう言って、走るハイジの横へと移動する。


「ハイジ」

「何だ」

「……あたしを信じてくれる?」

「何? 何の話だ」


 ハイジが怪訝そうにあたしをちらりと見る。


「今からすることを、信じて受け入れてくれる?」

「……今更だな。たとえ殺されてもお前のことは信じている」

「ありがと」


 あたしは小さく礼を言って、眉間に力を注ぐ。


 ズルリ、と額に角が聳え立った。

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