Laakso - 4 : Petra
どうしてあたしは女なのだろう。
▽
あたしが傭兵団の一因として認められから、もう五年は経っている。
強くなった自覚はある。
『魔物の森』の空気は、人を強くする。
人を望む姿に変えてくれる。
谷では、日々の糧を手に入れるためにあらゆる努力が必要だ。
辺りは魔獣だらけだし、歩くだけでも困難が伴う。
だが、どのような苦労も自分をより高みへと連れて行ってくれるための成長痛だと思えば、どうということはなかった。
始めは、女として認められたかった。
街や戦場では皆があたしをちやほやと持て囃したが、谷の男たちはあたしなど眼中にない。
ただの『弱い奴』。
ヘルマンニのバカだけはあたしに色目を使ってきたり、酒に酔えば絡んできたりしたが、他の男どもはそうした目で見るどころか、ただの末っ子扱いをしてくる。
訓練中も、彼らと比べて体力のないあたしがヘバッたり、痛みに耐えかねて動けなくなると、決まって「まぁ、女だものな」と憐れむような目であたしを見た。
その目が、あたしには耐えられなかった。
だから女を捨てた。
体を強化することだけを願えば、『谷』はそれに応えてくれる。叶えてくれる。より強く、大きく作り変えてくれる。かつて少女のようだった
どんどん大きくなっていく体。
街の男たちを魅了した自慢の肉体はもう見る影もない。
アゼムやヨーコ、ヘルマンニよりも体が大きくなった。すでに女の体格ですらなかった。そのうちに、街や戦場に出てもあたしに色目を使ってくる男は減っていき(ヘルマンニだけは相変わらずだったが)、終いには「あいつは女じゃねぇよ」などと陰口を叩かれたりもした。
(はんっ! こっちは端からお前たちみたいな弱っちい男に興味なんてないんだ、余計なお世話だね!)
(むしろ、女を捨てるためにやってるんだ。望むところさ!)
そうだ。あたしが認められたいのは『谷』の男たちだけ。
もっと言えば、あたしの目標、あたしの生きる目的である、いつも暗い顔をした一人の男だけ。
––––ハイジ。
あたしを敵陣から攫ってきたくせに、何もせずに放り出したバカ男。
いつも悲しい顔をして、運命に抗いながら必死に戦う美しい獣。
いつの日か、この男に追いついてみせる。
いつの日か、この男を癒やしてみせる。
それだけを胸に、あたしは今日も魔獣を狩る。
だが、彼らの態度は変わらなかった。
いつまで経っても、あたしは彼らの末の妹扱いだ。
いくら鍛えても、こんなに体が肥大化するほどに努力しても––––彼らには届かない。
本当の仲間になれる日はきっと来ない。
▽
「……うそでしょ」
絶望の知らせだ。
目の前が真っ暗になった。
––––ハイジが負傷。
一命はとりとめたものの、片腕切断、片目損壊、四肢及び全身の健の断裂、数十の刀傷と矢傷––––生きているほうが異常な状態だったという。
幸運にも超一流の治癒師が従軍していていなければ、確実に死んでいただろう。
(……癪だけど……凄腕の治癒師を手配していた
(ハンデがありすぎるだろ)
(でも––––結局一番ハイジの近くにいるのはこのあたしだ!)
だから油断しきっていたのだ。
これだけ努力しても差は縮まるどころか広るばかり––––
彼が負けるはずがないと。
「嘘じゃないようだ」
随分と冷静な態度でヨーコが言った。
こいつは何故かあたしを目の敵にしているクソ野郎だ。嫌がらせこそしないものの、まるであたしが居ないかのように振る舞う。まるで嫌がらせをする価値すらないとうように。それでいて、聞いたことには最低限の言葉で律儀に返答するあたりが厭らしい……これでは、あたしだけが被害妄想に取り憑かれているかのようではないか。だがわかる。こいつがどれほどあたしを徹底的に嫌っているか。お互い様だ。あたしもヨーコとは相容れない。こいつの考え方が理解できない。
ハイジのことが心配ではないのだろうか?
ヨーコの表情を見ても、全く心が動いているようには見えない。仲間が死にかけたという凶報を、まるで「今日の夕食はうさぎだよ」とでも言われたかのように、平素と変わりない態度で受け取っている。
「––––心配じゃないの?」
「何がだ?」
「仲間なんでしょ?」
「要領を得んな。おれが何を心配すればいいんだ?」
「ハイジよ! 決まってるでしょ!?」
いちいち嫌味な言い方しかしないヨーコにあたしは爆発したが、ヨーコは「ああ」と、路傍に生える雑草でも見るかのような興味のない目であたしを見た。
「心配してどうする。すでに治療も済んで、命に別状はない。何も心配はいらん。ただ、そうだな……しばらくは使い物にならないだろうから、今後の傭兵団の運営に影響がありそうだ。それだけは心配といえば心配か」
マジなのかこいつ。
どうすればそんな––––気持ちの悪い考え方ができるんだ。
「……もういい」
あたしが背を向けると、ヨーコはたった一言、
「今日の食事当番はお前だったな。忘れるな」
と、まるで独り言みたいな口調で言い捨てた。
▽
谷へ帰ってきたハイジは、今までに見たこともないほど憔悴しきっていた。
「大丈夫なの? ハイジ……」
思わず駆け寄って話しかけたが、ハイジは一言「問題ない」と答えただけだった。
あたしは、ハイジに頼ってほしかったのだ。
そのために何もかもを投げ捨てて、今日まで頑張ってきたのだ。
留守がちなアゼムやヨーコの替わりに剣の訓練に付き合えるように、徹底的に剣技を磨いた。食事だって自分が当番のときはハイジの好みにあわせた味付けを目指した。気味の悪い黒髪の素っ頓狂な娘を預かるためにエイヒムに拠点を作りもした。
彼は礼こそ言うものの、その目はいつも『はぐれ』の保護にばかり向いていて、その瞳にあたしが映ることはついぞなかった。
あたしには彼が必要だったが、彼にはあたしが必要ない。
その事実は、あたしをいつも苦しませた。
だが、今度という今度は尋常ではない。
いつも大木のように逞しいハイジが、まるで触れれば壊れる薄氷のように儚く見える。
あたしは鬱陶しがられることを覚悟して、ハイジに問い詰めた。
「ねぇ、体ならまた鍛え直したらいいじゃない。元気出してよ。それとも、何かあったの?」
「……何もない。心配するな」
その言葉は、まるであたしを気遣うような言葉だが、そうでないことはあたしが一番解っている。邪魔だから心配などするな、とあたしを突き放す言葉だ。
あたしはグッと唇を噛み締め、それでも無理に笑ってみせた。
「そ。もしあたしに何かできることがあれば言って。そうだ、なにか食べたいものでもあるなら……」
「ペトラ……ありがとう。だが、少しそっとしておいてくれ。今晩にも師匠から話があるはずだ。その時まで––––悪いが一人にしておいて欲しい」
「……わかった」
声は届かない。
あたしがこんなに心配していても、彼には少しも届かない。
それでも、一人にしておくことが彼のためだというのなら、あたしは我慢できる。
あたしは「じゃ、行くわね」と軽く言って、その場を後にした。
「………すまん」
後ろから、ハイジの小さなつぶやき声が聞こえてきた。
▽
「あんた、それ本気で言ってんのッ!? 自分の師を……その力がもったいないから殺す?! あんた……あんたは……ッ!」
「……師匠の最後の願いだ。聞き届けたい」
––––違う。
そんな事が言いたいんじゃない。
あたしは、アゼムのことを心配しているんじゃない。
だって、アゼムはどのみち死ぬのだ。ならば、死ぬ前に自分の経験値を弟子に継承したいというのは、とても合理的じゃないか。
でも、だけど、なぜ––––なぜハイジなのだ!
ハイジはもうとっくの昔に限界じゃないか!
そんなことをさせたら、きっと彼は耐えられない。絶対に壊れてしまう––––!
(嫌だ!)
(嫌だ嫌だ嫌だ! ハイジ、どうかそんなことをしないで––––!)
でも、口から飛び出したのは、なぜか全く違う言葉だった。
「そんなにしてまで強さがほしいかッ!」
「そんなわけがあるかっ!」
ハイジが激高する。
いつの間にか剣を抜いていたあたしは、鍔迫しながらハイジに訴えた。
ハイジ、そんなことしたら、壊れちゃうよ。
どうか思い直して。
あなたはもう十分強い。
これ以上強くなんてならなくていいんだ。
これ以上苦しむ必要なんて無い。
だから––––どうか。
「なら……一秒でも長く生きて欲しいと思うのが当たり前だろっ! 強さ?! 経験値……?! ああ、そりゃあ大事だろうさ! あたしだって強くなりたいッ! でも、恩師を殺してまで手に入れたいとは思わないね!」
ああ、どうしてあたしはこんな言い方しかできないのだろう。
あたしは、ただハイジに苦しんでほしくないだけなのに––––––––。
あたしは想像する。
もし、あたしがハイジに心から請われて、自分を殺せと言われたら、あたしは彼のために彼を殺せるだろうか?
––––無理だ。
どんなに冷たくあしらわれても、眼中に無くても、相手にされなくても––––あなたが生きていてくれるだけで、あたしの心はこんなに暖かい!
なのに、彼は自分を殺してまで、師の願いを叶えようというのか––––。
「俺が殺したがってるみたいに言うな! 俺だって……俺だって師匠を殺したくなんかない!」
わかってる。わかってるよハイジ。
でも、どうか壊れてしまないで。
お願いだから、あたしを見てよ––––!
「何なら、ペトラ、お前が殺せばいいっ! 喜んで代わろう! いつまで経っても弱いままのお前も剣も、師匠の力を奪えば俺に届くかもしれないぞ!」
その言葉は、あたしの心に矢のように突き立った。
耐えきれず、顔が歪み、涙がこぼれ落ちた。
力が入らず座り込む。
ああ、罰が当たった––––。
自分のことばかり考えて、彼のためを思うことのできないあたしは、きっと永遠に彼に認めてもらえない––––。
「うおおおおおおおおぉぉー!」
いつの間にか号泣していた。
もう生きているのも嫌だった。
ハイジがあたしの肩に手を置こうとしたので思わず振り払った。
こうして––––この日、あたしは彼に恋をする資格を失ったのだ。
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