21
「あれはおれの古い知人だ。最後に会ったのはかなり昔だし、随分と雰囲気が変わっていて気づかなったが……、あの巻毛だ。間違いない」
「でしょうね。名前は?」
「……ノイエ。フルネームは、ハルバルツ・ノイエ・ハーヴィストだ」
「……ハルバルツ?!」
「言っておくが、おれと血の繋がりはないぞ。あの子の親がおれから名を取って付けただけだ。ただ、ノイエという名はおれが付けた。親に請われてな」
「名前はハイジから取って、呼び名もハイジが付けた? ……なんだか縁が深いわね……。それに、随分とあなたに執着があるみたいだったけど、どういう関係なの?」
「……その前にリン。お前、あれを見てどう思った? つまり……『何』に見えた?」
「何って……」
それは、魔力を通した視点の話か、それとも肉眼で見たときの話か。
「肉眼のほうだ」
「なら、簡単ね。あの子もあたしと同じ『はぐれ』でしょう。確か、はぐれには黒目・黒髪しか居なくて、例外はないのよね?」
他ならぬハイジが言った言葉でしょうに。
しかし、ハイジは珍しく煮え切らない様子だった。
「そうか……やはりそう見えるか」
「何? 違うの?」
「うむ……一つ訂正しておくと、はぐれが例外なく黒目・黒髪なのは間違いないし、この世界の人間の瞳が青いのも間違いではない。ただ、一つだけ例外がある」
「例外……?」
「両親ともが『はぐれ』の場合だ」
「……ああ!」
それは想定外だった。
『はぐれ』がそもそもこの世界ではイレギュラーな珍しい存在だから、その可能性は無意識に除外していた。
「ということは、あの子は?」
「あれの存在を知ったのは、もう十七・八年も前になるか。おれが保護した二人の『はぐれ』の間に生まれた子供だった」
「…………」
その話はあたしを混乱させるに十分だった。
この場合、その子は『はぐれ』になるのだろうか、それともこの世界で産まれたなら、この世界の人間と言えるのだろうか。
元の世界でも血統主義と生地主義はあって生地主義が主流だったはずだ。しかしこれはそういう問題とは無関係であるように思う。
『はぐれ』は神隠しの被害者であり、つまり元の世界から
答えは出ない。
全ては神隠しの神がその子をどう認識しているかでしかないからだ。
「で? ハイジとあの子はどういう関係なの?」
「その説明はなかなかに難しい。ただ、少なくともあれの目的はわかる」
「……ハイジと、あたしを殺すこと?」
「そうだ」
なるほどそれは明確だ。なにしろつい先ほど、あたしは殺されかかっている。
一体どんな恨みを買っているのか––––いや、ハイジに限って子供の恨みを買うようなことはないはずなのだが。
だが、何よりも先に確認しなくてはならないことがある。
「……それだけじゃないよね、ハイジ」
ハイジを睨む。
あたしには、ハイジに詰問するだけの理由がある。
「あたしから見ても、あの子の剣の腕は大したことはなかったわ。まぁ、あたしは負けちゃったわけだけど」
「そうだな」
「でも、ハイジも勝てなかった。いえ、
あの時、ハイジは明らかに手を抜いていた。
「何故?」
殺そうと思えば、すぐにでも殺せたはずなのだ。
ノイエ少年の言葉を思い出す。
–––––違うっていうなら、ぼくを殺せばいいじゃないか。ほら、簡単でしょ?
そうだ。ハイジは殺せるのに殺さなかった。あの敵を見逃したのだ。
「ハイジ、何故あの子を殺さなかったの?」
あたしの詰問に、ハイジは眉根を寄せ、ムッと口を噤んだ。
「
今のあたしには魔力がない。つまり威圧はできない。体だって万全とは言えないのだ、殺気だって少しも漏れていないはずだ。
それでも、ハイジは苦々しい表情で答えた。
「……あれが、『はぐれ』かもしれなかったからだ」
「ッ…………!!」
その言葉は、あたしの怒りを爆発させた。
「『はぐれ』だから何だっていうの!? 敵なのよ!? こうしている間にだって、あいつは味方を殺しているかも知れないっていうのに!」
あたしが怒鳴っても、ハイジは苦しげに顔をしかめるだけで、返事は帰ってこない。
そして、怒鳴りながら思った。
違う。そういうことじゃない。
敵とか味方とか、そういう問題じゃないんだ。
このやり場のない怒りの理由。
あの敵であればどんな弱卒でも一切の容赦をしない、苛烈な戦士であるハイジが、
モヤモヤとした漠然とした思いが、急速にまとまっていく。
そして、あたしは気付いた。
気付いてしまった。
(––––ああ、そうか)
本当は気づきたくなかったその理由。
––––
––––ハイジにとって大事なのは『はぐれ』であること!
あたしを大切にしてくれたのは、ただ、あたしが『はぐれ』だったから––––!
目の前が真っ暗になった。
気づかなければよかった。
気づかないふりをしていれば、ずっと幸せで居られたのに!
ハイジにとっては、『はぐれ』なら誰でも––––あたしじゃなくてもよかったんだ。
つまり、あたしはパートナーなんかじゃなく、たまたま戦えたから隣にいられただけの––––
「リン!」
ハイジが驚いた顔であたしを見ていた。
(あれ? なんだこれ)
体中から魔力が溢れ出ていた。
確か、カラカラに枯渇していたはずなのに。
(でも、何だろう? これ、あたしの中にある魔力じゃない?)
(何これ、まるで使い放題だ。どれだけ使っても永久に枯渇しない膨大なタンクと接続されてる)
手のひらを見る。
ああ、間違いない。魔力の色があたしの色じゃない。でも、いくら使っても無くならない、ダムの水みたいだった。
ハイジを見る。驚愕の表情だ。軽く威圧すると、ハイジが苦しげに呻く。殺気––––はまずいか。ここは兵站病院だ、周りの怪我人に障る。
絶望感と喪失感で塗りつぶされた心が、万能感に塗り替えられていく。
そっか。
ハイジは『はぐれ』が大事なだけで、あたしが大事なわけじゃなかったんだ。
でも、それはあたしには関係ないよね。あの子が『はぐれ』だか『はぐれの子』だかは知らないけれど、敵には違いない。
ハイジが『はぐれ』だから殺せないと言うのなら––––あたしが。
「––––あたしが殺す」
「グ……ッ!」
ハイジが腕をクロスして顔を庇った。
ああ、いけない。殺気が漏れちゃってた。
でも、この程度の
じゃあ、あたしが守ってあげなくちゃ。
『はぐれ』を殺せない優しい優しいハイジの代わりに、あたしがあの子を殺そう。
「ハイジが殺せないっていうなら、あたしが殺す。敵は全部殺す。邪魔をする人間は一人残さず殺す。あたしの守りたいものを傷つけるものは一切合切例外なく殺す」
体が軽い。筋断裂を起こしたみたいに痛かった体が嘘のように動く。
立ち上がると、ハイジが立ちはだかった。
「リン、やめろ」
「どいて?」
ハイジってば、そんなにあの子を殺されるのが嫌なの?
「リン、その力を使うな」
「あの子が死ぬから?」
「そうじゃない! お前のためだ!」
「黙れ」
とっさにレイピアを抜いた。
いつものように加速すると、途端に世界が静止した。
違う––––加速しすぎて時間が止まっているように見えているだけだった。
しかし流石はハイジ。そんな汚泥みたいに重くまとわりつく時間の中でもすでに動いて、
でも、あたしの剣の方が速い。ヒタ、とハイジの首筋に剣を添える。
初めてまともに攻撃が通ったが、喜びの感情なんて一つも湧いてこなかった。
ハイジの顔が驚愕に染まる。
この人のそんな顔は……見たくなかった。
あたしは伸長をキャンセルした。加速には伸長がついてまわる。辻褄合わせからは逃れられない––––そのはずだったのに、この時あたしはキャンセルできることが当然のように思えた。
もう
ハイジもあたしを止められないようだし。
なら、
それに、
––––その子を目の前で殺したら、ハイジさんはどう感じるのかな?
ならば、あたしがあの子を殺したら、ハイジはどう思うのかな。
怒るだろうか、悲しむだろうか、それともあたしに失望するだろうか。
わからない。
でも、わからないならば。
(試してみればいい)
あたしは、時間を止めたまま、ハイジを置いてそこを後にした。
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