第7話 競泳勝負のゆくえ

 曹瑛と榊は折り返し地点の三角岩に到達し、休む間もなくビーチに向かって泳ぎ始める。もはや互いに無言だった。表情を失った顔には達観の色が滲んでいる。


「伊織の奴、意外にタフだな」

 伊織はマイペースで少し先を泳いでいる。水面に顔を出した榊がしみじみぼやく。

「ガキの頃から地元の海で泳いでいたらしい」

 伊織の地元、瀬戸内海には大小の島が点在している。自宅近くの浜辺から一番近くの島までよく泳いだ、という話を聞いたことがある。


 ビーチが近付いてきた。榊の目に光が宿る。腕も脚も重りをつけているような疲労感がまとわりついているが、奮起して腕を大きく伸ばした。派手な水音に、曹瑛も目の輝きを取り戻す。

「貴様にだけは負けるわけにはいかん」

 榊がニヤリと笑う。

「面白い、まだそんな世迷い言をいう元気があるか」

 曹瑛は目を細める。二人は真っ直ぐにビーチに向かって勢い良く泳ぎ始めた。


 背後から水音が迫ってきたと思うと、曹瑛と榊が猛スピードで通り過ぎていく。

「二人ともやっぱり体力が違うな」

 伊織はぷかぷか浮かびながらのんきに感心する。

 曹瑛がすくっと立ち上がった。ここは広い遠浅の海だ。すでに足が立つ場所に到達していた。榊も砂を蹴って立ち上がり、そのまま全力疾走を始める。


「榊さん、頑張れ」

 ビーチから浮き輪を振りながら高谷が声援を送る。

「負けたらあかんで、曹瑛」

 劉玲も面白がって叫ぶ。

「あのパラソルに先についた方が勝ちだ」

 榊がゴールを設定する。曹瑛は無言で頷く。二人はパラソル目がけてダイナミックなフォームで水を跳ね上げながら併走する。どちらも互角で全く譲らない。


 不意に目の前にカラフルなビーチボールが転がってきた。続いて小さな男の子がそれを追って走ってくる。

「くっ」

 曹瑛は反射的にバックステップで引いた。榊も急激な方向転回をして立ち止まる。二人は肩で息をしながら互いに睨み合う。男の子はボールを手にして母親のところにひょこひょこ走りながら戻っていった。

「うちの子がすみません」

 母親が会釈する。榊は手を振って応えた。伊織も息を切らして海から上がってきた。さすがに疲れたようで、レジャーシートにへたり込む。


「俺の勝ちだな」

 榊が腰に手を当てて曹瑛に向き合う。

「寝言は寝て言え」

 曹瑛は不快感を露わにして榊を睨み付ける。二人の剣呑な雰囲気に、劉玲が割って入った。

「二人ともよう頑張った、引き分けや。お疲れさん」

 劉玲はクーラーボックスから冷えたドリンクを取り出す。榊にはプレミアムモルツ、曹瑛にはオレンジジュースを投げて寄越す。

 千弥と孫景も戻ってきた。


 目の前に広がるエメラルドグリーンの海は太陽の光を受けて燦々と輝いている。美しい海の景色はいつまでも眺めていたい。


「やめてください」

 ビーチの方で鋭い声が上がった。見れば、若い女性グループが輩に絡まれている。

「あれ、ジェットスキーで暴走していた奴らだわ」

 派手なファイヤー柄のスイムスーツに見覚えがあった。千弥は眉根をひそめる。一緒に観光船でやってきた若い女性四人組だ。輩は五人、彼女たちにひつこく絡んでいるようだった。


「俺たちと一緒に遊ぼうぜ、女ばかりじゃ楽しくないだろう」

 サイドを剃り上げ、てっぺんを編み上げたブレイズヘアの男がへらへら笑いながら肩を竦める。日焼けした大柄の男に詰め寄られて女性たちは萎縮している。

「ジェットスキーに乗せてやるよ、楽しいぜ」

 金髪ウルフカットの男は金のネックレスを弄びながら女性の顔を覗き込む。

「キャッ」

 腕にトライバルタトゥーを入れた男が小柄な女性の腕を掴んだ。女性は驚いて小さく叫ぶ。家族連れやカップルたちは無法者が怖くて遠巻きに伺っている。


「おい、やめてやれよ。嫌がってるだろう」

 孫景が立ち上がり、声を上げる。張りのある声はビーチに響いた。輩五人が一斉に振り向いた。周囲の観光客が彼らを白い目で見つめている。

「お前には関係ねぇだろうが」

 タトゥー男が顔を歪める。ガタイのデカい孫景に内心ビビったものの、仲間もいる安心感から強気な態度に出た。仲間を引き連れて大股でこちらへやってくる。女性たちは心配そうに様子を見守っている。


「邪魔しやがって気にくわねえな」

 巨漢のブレイズヘアが孫景の前に立つ。孫景よりもやや低いが腕に自信があるのだろう、血走った目を剥いて威嚇している。

 榊が無言で立ち上がり、サングラスを外す。鋭い眼光がこちらを見据えている。とてもカタギとは思えない迫力に、輩たちは思わず息を飲む。曹瑛もゆらりと立ち上がった。感情の読めない冷たい瞳に、背筋に氷を突っ込まれたように鳥肌が立つ。

 こいつら一体何者だ、とタトゥーとウルフカットが顔を見合わせる。


「お前たちが遊んでくれるのか」

 坊主頭が背後から近付いてきた。日焼けして鍛えられた上半身はつやつやと輝いており、腹筋は六つに割れている。

「人数が足りなくて困ってたところだ」

 楕円形のボールを慣れた手つきで弄んでいる。

「ビーチフットボールか、面白い」

 榊が口角を上げる。輩は五人、20台後半から30代前半、軽薄だが皆身体を鍛えている印象だ。太腿にもがっしり筋肉がついている。


「ビーチフットボールは五対五の競技だ。ラグビーとアメフトを組み合わせたスタイルで、タッチでタックル成立となる」

 榊の説明に孫景は頷く。曹瑛も腕組をしたまま無言だが、ルールを把握したようだ。

「そうだ、よく知っているな」

 坊主頭は話が早い、と仲間にコートの線引きを命じる。ブレイズヘアとウルフカットが木切れを拾い、簡易コートを作り始めた。


「血気盛んやな、俺は千弥ちゃんと島を散策してくるわ」

 劉玲が千弥を誘う。フットボールの試合も気になるが、島の地形に興味を持つ千弥は劉玲についていくことにした。

「孫さん、頑張ってね」

 二人仲良く手を振って遊歩道へ歩いていく。伊織は弾かれたようにシートから立ち上がる。

「え、じゃあ俺もプレイヤーってこと」

 今いる面子は孫景、榊、曹瑛だ。残った二名は伊織と高谷しかいない。小学生の頃のドッジボールですら勢い良く飛んでくるボールが怖くて逃げ回っていた伊織は頭を抱える。


「マジかよ」

 観戦するつもりだった高谷も状況を察して慌てて立ち上がる。

「あんな筋肉ダルマとフットボールなんて、俺つぶされちゃうよ」

 高谷は青ざめる。不安そうに榊を見ると、孫景と腕をぶつけ合って盛り上がっている。これはもう止められない、高谷は白目を剥いた。

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