たった5分、されど5分


「いい加減父さんも携帯を持ってくれよな」

 

 少し時代錯誤な愚痴を呟きながらゆうきは周囲を木々に囲まれた少し開けた歩道を歩いていた。


 いつもお世話になっている自転車は、今のメガネがない彼にとっては逆に危険なため、今日は寮でお留守番だ。


 もしこれが、学期中であれば彼も母親の雷を覚悟して、母親に電話で相談していただろう。しかし、幸か不幸か今は夏季休暇中。自分の時間も楽しみたい彼は、しっかり休暇を取得しているため授業はひとつもない。


 そのため彼は、母に怒られずメガネを手に入れられる可能性を閃いてしまった。


 その名案とはーーー『比較的穏やかな父にSOSを求める』ことである。頭が悪いと思うことなかれ、彼は真剣である。


 ただし、ここでひとつ問題が発生してしまった。彼の父は少し頭が固く古風なため携帯を嫌っている。そのため、SNSを使っての連絡手段も使えず、結果、彼は父宛に書いた手紙を国際便で送るためメガネがないとても心細い状態でありながら、短くも長い散歩の途中なのだ。


 


 5分ほどいつもより多少ゆっくり歩いていた彼は、ひとつ目の信号の向こう側で空に伸びた肌色の何かが揺れているのを発見した。


「おーい!おはよう!」

 

 さらにその肌色の何かは彼が留学中のお米の国では珍しい、日本語を発信している。

 

 彼は咄嗟に手を振りかえしそうになって、思いとどまった。


 顔は、不明。声も距離があるため、曖昧。周囲の日本人の有無も、不明。つまり、あの揺れる肌色の標的が自分という確証はどこにもない。


 自分が手を振られてると思って反応したら、実は赤の他人で、挨拶の代わりに苦笑いを渡される赤っ恥だけは避けたい。


 そう決心した彼は、心を鬼にして無視を決め込んだ。




 間もなくして変わった信号に従い横断歩道を渡り終えた彼を出迎えたのは、少し不機嫌な見慣れた顔だった。


「おい、無視は酷くねえか?」

 

 やってしまった。

 

 瞬きの間にそう悟ったゆうきは、ここで早々に必殺の鬼札を切ることを決意する。


「ごめん、、、実は、、、メガネ無くしちゃって、、、」


 ここでのポイントは申し訳なさそうに下を向きながら、さりとてメガネをかけていないのがよく見えるように友人の方に上目遣いで顔を向けることである。


 計算通り、彼の友人はゆうきの顔の違和感に気づいたようだった。


「お、ほんとだ。なんか雰囲気違うと思ったら、メガネかけてねえな。なんだ、もしかして見えてねえのか?」


「そうなんだよ!だから拓哉だって分からなくてさ。ごめんね。」


「いや、それならしゃーねえよ。どっか行くのか?」

 

 作戦大成功である。友人、音無拓哉の中で話題が変わったことを悟ったゆうきは、心の中でほっと一息ついた。

 

 メガネを無くしてしまえば、楽しいイベントのはずの友人との会話が一種の戦闘イベントに変わり果ててしまうことを悟ったゆうきであった。

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