『拝啓、メガネ失くしました。』

 拝啓


 逝くメガネを惜しみながら新しいメガネに希望を馳せるこの頃。


 お父様におかれましては、心穏やかにお過ごしのことと存じます。


 さて、そんなお父様とは対照的と申しますか、先日山登りに出かけた際、崖を覗こうとしているきのこを不憫に思いメガネをかけて見やすくしてやりましたところ、メガネを崖下に無くしてしまい心中穏やかではない私です。


 お母様に知らせてしまってはそちらにも嵐が吹き荒れると愚行し、このような手紙をお父様に宛ててしたためております。


 もしよろしければ、新しいメガネを送っていただければ嬉しいです。


 それでは、またの帰国の折、メガネをかけて心穏やかに、お会いできることを楽しみにしております。              

                   敬具


 令和三年十月十日

                田嶋ゆうき

 田嶋隆彦様







 父親宛の手紙を書き終えたゆうきは、一度文を読み直し満足そうにひとつ頷くと、可愛く花模様があしらわれた便箋を封筒に押し込め立ち上がった。


 彼は、一刻も早くメガネを送ってもらうため、今は遠く離れた日本にいる父親に早急に手紙を届けなければならない。


 近くの郵便局までは、徒歩15分。子供のお使いにも満たないような短い距離だが、手紙に書いていたように今の彼は裸眼。


 視力が0.1を大きく下回る彼にとって、メガネなしでバスや車や自転車の行き交う信号もない田舎道を歩くのは、アマゾンを無防備で歩くのと変わらない危険度である。


 そんな彼の、短く、されど果てしないお出かけが始まろうとしていた。

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