24・開口笑


 ルストたちがノワールから稽古を受けている中、


「うーんっと」


 田舎屋敷の地下にある厨房の作業台で、高さ50センチほどのちいさなはしごの上に立って、目の前の材料をみながらうなっている幼女。


「云われたとおり、屋敷内にある必要な材料です」


 アシュクがちいさく頭を下げる。ユタの目の前には小麦粉、鶏卵、フラワービーが持ってきたハチミツ。


「もしかして、足りないものがありましたか?」


「ううん、最低限必要なのはそろってるから大丈夫」


 本当は揃っていないのだが、この世界でそれがあるとは思っていなかった。


「サーターアンダギーをふくらませるのにはベーキングパウダーが必要になるんだけど」


「文献にもそのようなものは書かれていませんね」


 アシュクが申し訳なさそうに言う。


「――アシュクさま」


 会話をしているユタとアシュクにわってはいるかたちで、メイドの一人――イルナが声をかける。


 赤毛の三つ編みで顔は十八歳というわりにはおさなく、鼻頭にそばかすがある、田舎の素朴な娘のよう。


「どうした?」


「村の方々が山で採れた山菜を持って来られまして」


 アシュクは、イルナが持っている麻袋の中身を見る。


 中には穂先がくるんとまるまっている細長いもの、白い花がついたものなど様々な山菜が入れられていた。


「いかがいたしましょうか?」


「そうだな、まずこの山菜の処理からしないといけないな」


 言って、アシュクは穂先がくるんとまるまっている山菜を手に取った。


「あれ? それってワラビだっけゼンマイだっけ?」


 ユタはくびをかしげる。


 そもそもあの毒親がまともに料理を作ったことがないのだからほとんどテレビで見たことがあるかないか。


(春の七草にあったっけかな――)


 一月七日に食する七草粥を指折り数えていく。


「あぁっと、こっちじゃないなら秋の七草」


 頭をふるい、別の方を思い浮かべる。――むろんこちらは観賞用の花がほとんどで食べるものではない。


「そのマイマイ草の石突きを切り落としてからパットに入れて、そこに粉を振りかけてお湯をかぶるくらい入れて冷ましておくように」


 アシュクにそう指示を受けたイリスは作業に入った。


「――粉?」


 二人の会話に違和感があったユタはそうたずねた。


 アシュクは調理に必要となる香辛料の棚から、ひとつの紙袋をとりだした。


「王都の研究員が偶然見つけたものでしてね、なんでもこれをふりかけると山菜の悪い部分がとれて食べられるように――」


「なんで重曹があるの?」


 アシュクの説明をさえぎるかたちでユタはおどろきを隠せなかった。


 重曹――正式名称は『炭酸水素ナトリウム』。


 主に海水に含まれている分子で、塩を水に溶かし電気分解して苛性ソーダを抽出し、それに炭酸ガスを加え結晶化したものを粉状にしたものを言う。


「もしかして王都には電気をつかう魔法とかあるんだろうなぁ」


 いや、それでもここまでするか――とユタは頭をかかえる。


 だが、それでも一番心配だったことがなくなった。


「それじゃぁ、秤で材料を分けるっと」


 天秤の秤を使い、片方の皿に【1】、【5】、【10】、【50】、【100】と数字が刻まれている文鎮のうち、【100】、【50】、【10】の文鎮をひとつずつ乗せていく。


 そして片方の皿に薄い紙を敷き、その上に小麦粉をすこしずつのせて釣り合わせる。


「よし、それじゃぁ次はハチミツ」


 ユタはハチミツのツボを取り出す――が、


「たしかハチミツは砂糖と比べて甘さがおなじ量の三倍になるから」


 頭のなかで覚えているレシピでは、砂糖の量は小麦粉160グラムの半分――80グラム。


 それから1/3にするのだから、四捨五入して約27グラム。


 天秤の片方に【10】の文鎮をふたつ。【5】の文鎮ひとつ、【1】の文鎮をふたつのせ、もう片方の天秤にゆっくりと蜂蜜をたらしていく。


 そうしてハチミツがのせられた皿も小麦粉と同様に皿を均等にする。


「よし。それじゃぁ早速つくってみますか」


 ユタはボウルのなかに鶏卵を入れ、泡だて器でかるく前後に混ぜ、そのなかにハチミツを流し入れ混ぜていく。


 しばらく混ぜたあとにサラダ油を小さじ1杯入れ混ぜていく。


「卵のほうはこれでよし。それじゃぁ今度は小麦粉のなかに重曹を入れてっと」


 分別した小麦粉のなかに小さじ2/3の重曹を入れる。


「お菓子にそれを入れて大丈夫なのでしょうか? そもそも味がおかしくなるのでは?」


「重曹を入れると炭酸ガスが発生してふっくらするの」


 味に関してはベーキングパウダーの方がいいのだが、やはり試してみないとわからない。


「網を使って、卵のなかに粉をふるい入れて、さっくりと粉っけがなくなるまで混ぜていく」


 粉を入れ終えると、ヘラで下からすくい上げるように混ぜていく。


 そして柔らかい塊になると、ユタはてのひらに油を塗った。


 こうすることで生地が手にひっつくのを防ぐ事ができる。


「あ、アシュク。油を160℃……菜箸の先を水で濡らしてから拭いて中に入れた時に――」


「箸の先からちいさな泡がでますな」


 アシュクは苦笑を浮かべた。


 こちとら数十年以上料理人として務めているのだ。


 いくら雇い主の令嬢とはいえバカにしないでほしい。


「もちろん、お嬢さまが作業をされているあいだに準備は終えております」


「ありがとう」


 言いながら、ユタは手のひらで生地をピンポン球の大きさに丸めていく。


「それじゃぁ揚げていくけど、アシュク、サーターアンダギーって違う言葉で『開口笑かいこうしょう』って云われてるんだよ」


「ほう、それはどうしてですかな?」


 ユタは整形した生地のうちのひとつを、油のなかにゆっくりと入れた。


「それはね、生地が揚がっていく時にわかるよ」


 水分を含んだ生地は油と反発し、ぱちぱちとちいさくおとを立てていく。


 生地の周りがゆっくりと焼かれていき、硬くなっていく。


「もうそろそろ……かな?」


 ユタは菜箸で生地を油のなかで裏返すように転がしていく。


 すると中の部分が膨らんでいき、硬い部分を割るように外へと膨らみだす。


「ほう……」


 アシュクが喫驚の声を上げた。


 丸い生地は、それこそ口を開いて笑っているよう。


(ユタが嫌なことがあったりするといつもニーニーがつくってくれてたなぁ)


 ユタが前世でのことを思い出していると、


「ユタさま、どうかされましたか?」


 アシュクに声をかけられ、ユタは目をパチクリさせた。


「どうかした?」


「いえ――申し上げにくいのですが、お涙を流されていたので」


 云われ、ユイは自分が不意に涙を流していたのだと自覚する。


「あっと、うん、なんでもない――あ、もう大丈夫だよ」


 菜箸で揚がったサーターアンダギーを、紙を敷いたパッドの上にのせた。


「よし、あとは一番不安なことが起きてなかったらいいけど」


 なかまでしっかりと焼けていなければ、どんなに美味しかろうと失敗作に違いない。


 ユタは包丁でできあがったサーターアンダギーを半分に切った。


 生地はしっかりと火が通り、ふんわりとあまいはちみつのにおいが鼻孔をかすめる。


「見た目とにおいよし。だけど味は大丈夫だよね?」


 恐る恐るそのサーターアンダギーを口に入れる。


 カリッとした外側にふんわりとした中の生地がデュエットを奏でているようで、それをうしろからサポートしているハチミツの自然な甘み。


 そして重曹の独特な苦味もしっかり記憶の中のレシピにそって作っているから気にならない。


「――できたぁぁっ!」


 再現できているだろうかという不安要素は、あまりの美味しさとともに吹き飛び、ユタはその場でバンザイした。


「おめでとうございます。ではわたくしめも一口」


 パクリとサーターアンダギーの半分を口に入れたアシュクは、


「――……」


 と、言葉を出さなくなった。


「あ……、もしかして美味しくなかった?」


 本来なら砂糖を使うべきなのだが、その砂糖が高騰して使えないため代用としてハチミツを使っている。


 さらにベーキングパウダーの代わりに重曹。


 味は劣るが、まずいものでは――。


「この揚げ菓子――、王様に進物されたりとかお考えになられます?」


 目を大きく開き、それこそ血迷ったように言うアシュクに、


「――えっ?」


 あまりにいきなりすぎて思考が停止するユタなのだった。

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