22・夜の来訪者


 その日、田舎屋敷カントリーハウスではひっそりとつつしまやかな夕食が行われていた。


 いや、領内で暮らしている家のほとんどが同じような食事をしていたともいえる。


「ホブの魂が天に召されることを」


 ククルが手をあわせ祈りをこめる。


 ユタやアンナもそれにあわせるように、手をあわせ黙祷した。


 使用人たちもこの時だけは持ち場を離れ、全員が食堂に集まっており、同じように手を合わせ、ホブの冥福を祈った。


 テーブルに座っているククルとアンナ――そしてユタの目の前に用意されたのは一枚のサンドイッチと一杯の紅茶。


「崩し炒った玉子にマスタードを混ぜたマヨネーズをえたものとベーコン。上下にレタスを挟んだものでございます」


 アシュクの説明を聞いてから、ユタはサンドイッチを口に運ぶ。


 マスタードの辛味はマヨネーズによって調和され、あまく作られたスクランブルエッグによく絡みあっている。


 そのあいだにカリカリと焼けたベーコンの歯ごたえと、レタスのシャキシャキ感が相まってバランスいい。


「おぼえているか? お前が最初に見た魔物はホブだったんだぞ」


 ククルが思い出したように口にする。


「そうでしたか?」


 ユタはおぼろげながらも思い出す。


 ユタの本体であるアイリスのうつわユタとが綺麗に混ざり合ったのは、二歳を数えるかくらいの頃だ。


 それよりも前のことはほとんど記憶になかった。


 なにより嬰児あかごの頃の記憶など覚えているほうが稀有である。


「そうだ。その時ホブは私の息女だとわかるや、あわてた様子でな、あつかいに困ってオロオロしておった」


「そうでしたね。それでお嬢さまが近づくと尻もちをつくのですが、お嬢さまが笑顔で来るものだから余計慌ててしまって」


「しまいには畑に落ちて泥まみれになってしまってな」


「全然覚えてない」


 ククルやヤーユーがわらうように話すので、日本人のユタは違和感しかなかった。


 どうして、大切な自分の領地で暮らしていたホブが死んだのに笑っているのか。


 やはり、口だけで言っても結局人と魔物とでは違うのだろう――。


「姫、ククルをよく見てごらんよ」


 テーブルの上で体をまるめていたノワールが、顎でそれをさししめす。


「よく見ろって……」


 ユタはうながされたように、ククルをジッと凝視した。


 ククルの目の前には、ユタやアンナ同様にサンドイッチと紅茶のカップ。


 ……そして、彼の手が届く範囲にだけ砂糖が入れられたちいさな器が置かれている。


「そうそう去年なんて、畑が豊作だった時に村の男衆が総出で手伝いをしたこともあったな」


 ククルはティースプーン一杯の砂糖を紅茶に入れて混ぜる。


 そしてそれを一口呑む。


「その時はホブどのがうしろでみなと声を合わせておりましたな」


「あぁ、あの時も――」


 また同じように砂糖を入れる。


「――あっ……」


 そのおかしな行動に、ユタはハッとする。


 本来ならば、自分が納得した甘さならそれ以上の砂糖は入れない。


「姫だけじゃないよ。ううん、ここにいる人たちで辛くない人はいない」


 ノワールはゆっくりと語りかける。


「しかし、今日の紅茶は甜くならんな」


「旦那さま、あまり砂糖を入れ過ぎますと」


「父上、わたしにも砂糖を分けてもらえませんでしょうか?」


 それを聞くや、ククルはヤーユーに耳打ちし、砂糖が入った器をユタの元へと運ばせた。


 ユタは器のフタを開け、砂糖を自分のカップに、三度ほど入れる。


「ユタ、入れすぎですよ」


 アンナが注意するが、ユタはちいさく首をふり、


「今日は甜い紅茶が呑みたいのですが、これいじょう砂糖を入れてしまいますと父上もわたしも虫歯になってしまいます」


 ユタは、主としてグッと我慢をしているククルを気遣うように笑顔で答えた。


「そうだな。これ以上は虫歯になってしまう」


 ククルは、グッとカップの中の紅茶を飲み干すや、


「新しいもので淹れなおしてくれ」


「承知しました」


 料理人であるアシュクがちいさく頭を下げ、ククルが使用していたティーカップとソーサラー、ティースプーンを下げる。


「お嬢さまは?」


 訊かれ、ユタもグッとカップを飲み干す。


「――わたしにもお願いします」


「かしこまりました」


 ユタのティーカップなども片付けるようにトレイの上にのせると、ヤーユーとともに食器が収納されているパントリーへと席を外した。


 ふたりが食堂から消えるのを確認してから――。


「「あぁまぁああああぁっ!」」


 ククルとユタは突っ伏したようにテーブルにのたれかかった。


「あぁ、口の中がジャリジャリする。さすがに砂糖三杯は入れすぎた」


「父上、さすがにこれは甜すぎます。牛乳の甘味を混ぜた甜いロイヤルミルクティーにさらに追い打ちをかけるくらい甜いです」


 さすがにやり過ぎたとユタは後悔する。――が、


「ロイヤルミルクティー……あまり聞きなれんものだな」


 ククルがハッと喫驚したような声で娘を見る。


「そうですね。作り方をあとでアシュクに教えて作ってもらいましょう」


 アンナは興味津々といったような表情。


 そんな両親を見て、ユタは「――しまった」と心のなかで舌打ちをする。


 アンナはちょうど戻ってきたアシュクとヤーユーを見るや、


「アシュク、ユタから『ロイヤルミルクティー』という飲み物の作り方を教えてもらってください」


 と言われ、もちろん突然のことでキョトンとするアシュクであるが、もっとも頭を抱えたのはユタである。


「姫、口は災いの元だよ」


 ユタが口にした時に、サンドイッチから溢れ落ちた玉子を口に運んで咀嚼していたノワールがからかうように言った。


 そもそもロイヤルミルクティーは日本発祥とされる紅茶の淹れ方であり、紅茶を飲む文化があるこの世界の人とて知っているわけがないのであった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ユタの自室の窓から冷たい夜風が入り込み、閉めきったカーテンをゆらりとはためかせる。


「お嬢さま、お風邪をひかれては困りますので」


 言って、ユイはその窓を閉める。


「ところであのような飲み物をどこで知られるのですか?」


 夕食時、話に出てしまったロイヤルミルクティーの作り方をアシュクに教えるや、早速つくって皆で試飲をするや絶賛されてしまった。


 他の使用人たちはもちろん、ククルとアンナにも賞賛されてしまう。


「え、えっと……書庫の本を読んで」


 たじろぐユタは、自分の知っている料理を教えるときは決まってこれで逃げている。


 もちろん実際に飲食しているのだから、まずいものをわざわざ食べたいとは思わない。


「なるほど、書庫の本をですが、あそこはアンナさまがご実家からお持ちになれたものがほとんどだと言われていますからね」


「そうなの?」


 ユタは、この世界において本が高価なものという認識はあったが、ざっと思い浮かべただけでもあの部屋の壁をうめつくす書棚に並べられているだけで一千冊は下らない。


「ワタシなんて本に書かれた文字を読むだけでクラクラしますよ」


「あははは、それだと背表紙に書かれた文字でも酔うのかい?」


 ユタのひざで体をまるめていたノワールがカカカとわらう。


「ええ。ですからそれが平気な顔で読まれているユタさまがちょっとうらやましいと思いました」


「うらやましい?」


 首をかしげるように問いかけるユタに、ユイは自分の手を見るや、


「ワタシ、そんなに目が良くないんです」


「視え……ないの?」


「いえ、皆さんの顔はしっかり見えてますけど、たまにぼんやりとした白いひかりが映り込むことがあって」


 それを聞くや、ユタはアッと声をあげた。


「もしかしてそれって――」


「姫っ」


 ユタが目の病気を口にしようとした瞬間、ノワールがそれを止める。


「どうかされましたか?」


 ジッとちいさく笑みを返すユイに、ユタとノワールは困窮した顔で、


「ううんなんでもない」


「いや、ちょっと姫の前に小さい羽根虫がいてさ――、てやッ、こいつッ、てやぁっ!」


 言って、ノワールはユタの目の前をねこパンチする。


「あはは、それではおふたりとも、今日は一段と寒くなりますから暖かくしてお休みください」


 幼女と仔猫をクスクスと見守るように笑うと、ユイは一礼して部屋を出て行った。


「――姫」


 ジッと自分を見る仔猫に、ユタは「なに?」とけげんな視線で睨み返す。


「今、なにを言おうとしたのかな?」


「なにをって、目の病気について」


「あのね、なんでもかんでも自分が生きていた世界の知識を持ってくるのはダメだって」


 ノワールは頭をかかえたように、ユタの股のなかに突っ伏した。


「って、どこに顔を突っ込んでるの?」


 慌てた表情で抱え上げると、


「でも知っておいたほうが――」


「キミはどんな病気でも治せるかってお願いされて治せるって言える?」


「そ、それは……」


 ノワールの言葉に、ユタは言いよどんだ。


「この世界で治せるかもしれない病気でも、治す本人がその方法を知らなかったらただ絶望を与えるだけだよ」


「はい、すみません」


 ユタはゆっくりと、ノワールを自分の膝に乗せなおした。


 軽はずみな発言が後々災いを呼ぶというのを、ほかでもないユタ本人が思い知らされている。


「いいかい? 今日のことはボクもわるいことをしたからとやかく言えないけど、大元の原因はキミが自分が生きていた頃に食べたお菓子が――」


 ――ガタッ……。


 と、なにかが窓に当たった音が聞こえ、ユタはそちらを一瞥する。


「ノワール?」


「――なにかいるみたいだね」


 スッと立ち上がると、ユタはゆっくりと近づくように音がした窓へと近づいた。


 カツカツとなにかが当たっている音が大きくなっていく。


「姫、いつでもいいよ」


 ノワールは窓の下で構えた。


「いくよ」


 ユタは窓の持ち手を持つや、外側に開いた。


 ブブブッブブブブブブブッブブブブブ……。


 羽蟲の翅音が部屋中にひびきわたるや、黄色と黒の縞模様に、毛皮のファーを首にまとった直角のある魔物が、部屋の中へと入り込んできた。


「えっ? ミツバチ?」


 おどろいてしりもちをついたユタは、部屋に入ってきたハチを目で追いかける。


「違うよ姫、フラワービーだ」


 ノワールはユタの元へと駆け寄ると、


「しかもどうやら迷い込んできたわけじゃなさそうだ」


「どういうこと?」


「フラワービーが手に持っているものを見てごらん」


 そう言われ、ユタはフラワービーの手元を見るや、手にはツボのようなものが握られている。


「――ツボ?」


 首をかしげるユタを見つけたフラワービーは、ユタのところへとやってくるや、そのツボを差し出した。


 ちょうど、バカラのグラスジャパンほどの大きさのツボだ。


「えっと、どういうこと?」


「…………」


「えっと? あぁ、そういうこと」


「ノワール、説明してくれる?」


「あぁ、ごめん。ようするにお礼のしなだって」


 そう説明されたが、ユタは理解できず、目をしばたかせてしまう。


「このフラワービーは、今日入った森の中で暮らしている魔物で、ウルスがおわびの品としてお願いしたみたいなんだ」


「えっ? でもウルスたちは飢えをしのぐためにフラワービーを食べていたって」


 ギョッとおどろいた顔で聞き返すユタだったが、


「それはあくまで村から来ていたフラワービーだけだよ。この子は森で暮らしていたほうのフラワービー」


 ――と、ノワールは答えた。


 おなじフラワービーでも縄張りがあるのだろうと考えながら、


「ちょっと、舐めてみていい?」


 そうたずねるや、フラワービーはおしりを振った。


「――私たちの自慢の蜂蜜だから満足させるよだってさ」


 ノワールがフラワービーの言葉を翻訳をする。


「いただきます」


 ユタはツボの中の蜂蜜を人差し指で掬い、口へと運ぶ。


 ねっとりとした蜜は舌に絡み、スッキリとした甘味のなかに仄かな苦味があった。


 飲み込んだ時も、喉をスッと通っていく。


「美味しい」


 率直な感想を言うや、フラワービーはさらに翅音を大きくする。


「うれしいから、今度はもっと美味しいの作ってくるってさ」


「えっ? でもそれじゃぁ自分たちの食べるものもなくなるんじゃないの?」


「食べるものはちゃんと用意してるってさ」


 もちろん、自分たちが餓死するようなことはしないだろうと思いつつも、やはり心配になってしまう。


「ありがとう。でも本当にムリしない範囲でいいからね」


 フラワービーはおしりを振ると入ってきた窓から帰っていった。


「あ、そんな毎日は大丈夫だから。一ヶ月に一回とかでいいから」


 思い出したように、ユタは窓から体を乗り出すように叫んだ。


「――でもこれでサーターアンダギーが作れる」


 ユタは明日ルストたちが屋敷に来た時にご馳走しようと思いたつや、地下の厨房へと足を運んだ。


 そして、イモの泥を洗い落としていたアシュクに、明日のおやつは自分に作らせてほしいとお願いするのだった。


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