21・蜂蜜を採りに行こう・10
――パンッ!
かわいた破裂音が、西日で茜色に染まる農場にひびきわたった。
「はぁ……、はぁ……」
短躯の子鬼が怒りで歪んだ顔を目の前の、薄汚れた金のミディアムヘアの幼女に向ける。――その幼女は言葉をださない。
はたかれた幼女の頬はあかく腫れあがり、爪があたった場所からは血がしたたりおちている。
「なんで? ユタさま? なんでぇホブぅをぉ見殺しにしたぁっ?」
わなわなと言葉をふるわせ、ゴブはもう一発と拳を握りしめふりあげた。
「おいっ、やめろよゴブぅッ! ユタさまに当たることじゃないだろ」
襲い殺しかからんとするゴブを、リッキーがうしろから羽交い締めし、なだめようとする。
「はぁなせぇ、リッキィーッ! おまえはくやしくないのか?」
「――くやしぃに決まってるだろッ!」
リッキーは暴れ狂うゴブを更に落ち着かせながら、
「でも、目の前でホブを殺されたユタさまたちだって辛いのは、お前だってわかってるんだろ?」
「なぁ、ユタさま? どんな気分だよ? 目の前でさぁ知り合いが死んで、どんな気持ちだよ?」
あざけるように問いかけるゴブは、それこそ黙って聞いているユタが答えることを期待する。
しかし、ユタはジッとうつむいたままで、なにもこたえようとしない。
「なぁ、答えてくれよ? 答えろよ……答えて――」
ゴブの声は、その勢いは次第に沈黙されていく。
ゴブとて、自分がやっていることはただの八つ当たりだとわかっていた。
ユタやルストたちの護衛を頼まれたとき、それをよろこんでいたのはホブ本人だ。
――だからこそ、
「よえぇなぁ。ほんと――よえぇよぉ」
声をあららげ、その場で泣きじゃくる子鬼は、自分たちの未熟さを嘆く。
ジッとユタが一方的に責められているのを見ていたルストたちも、
「なにも……、あの時と一緒でなにもできなかった」
「みんなで冒険者になるって決めたのにね」
「ぼくだって、くやしいよ。見ているだけでなにもできなかったんだから」
ルスト、ビスティ、ロイエの三人は顔に苦痛の色を浮かべ、握りしめた手からはジワりと血が流れ落ちていく。
「――油断していたボクのせいだ」
ユタから離れ、ククルの足元にいたノワールが、それこそかこつの念を吐き捨てる。
「あぁ、そうか――ノワールさんも一緒にいたのになにもできなかったんだよな?」
ゴブは行き場を失った怒りをノワールへと向けるように、その赤い目をむけた。
「で、でもあの時は、あの冒険者が使っている剣が魔力を作る――」
「ノワールッ!」
ゴブの言葉に反論しようとしたノワールを、ユタは大声でさえぎった。
「ひ、――姫?」
ギョッとした声をあげるや、ノワールはユタを見すえる。
「今は、どんなことを言っても――どんな言葉でつぐのったって――塩をぬるようなものでしょ?」
うつむきながらも、そう口にするユタに、
「でも――こうでも言わないとゴブはなっと――」
「じゃぁ、最初からわたしが悪かったって……わかってるなら黙っててっ!」
そう言われ、ノワールはさらに困惑する。
助けようとしているのに、その対象からはそれを拒絶された。
「あの森でなにか起きているってわかっていたのに、わたしはそれを忘れて軽い気持ちで入ってしまった」
ユタはゆっくりとノワールを見る。
顔は頬で赤くなっているが、それ以上に生気を失ったように顔は白く、きれいな目は濁りきっていた。
「その結果が――これでしょ?」
「でも、それはあいつらが――」
「あのふたりがいようがいまいがッ! ホブさんを危険なめにあわせたあげく、見殺しにしたことに変わりはないでしょ――」
ユタは力尽きたようにその場でひざまずく。
立つことすら億劫で、どうせなら――目の前のホブゴブリンに殺されても――。
コツコツと杖を支えに歩いている音が聞こえ、
「コレッ! いい加減にせんかお主らは」
――ゴッ……、という鈍い音が二度鳴らされた。
「おごごごぉ」
「いっつぅー」
ひとつはゴブの、もうひとつはユタのうめき声。
ふたりともビクじぃが持っている樫の木で作られた杖の丸い頭で、後頭部を叩かれたのである。
「っ! って、なにするっスか?」
起き上がったゴブが飛び上がるようにツッコミを入れる。
「お前さんも、ユタにやつあたりするのもたいがいにせんかバカモン」
「で、でもホブが殺されたのは」
「ホブが冒険者に殺されたのはただ単純に弱いからじゃろうがぁっ! それをユタひとりのせいにしたところでなんの解決にもなりゃせんじゃろ」
「そりゃぁわかってるよっ! でも叩くことはないだろ?」
ブツクサと文句をたれるゴブに――、
「そうか、わからんやつにはもう一発くらわさにゃわからんか」
カカカと、ビクじぃは杖の頭で手のひらを叩き、笑みをうかべる。
「だぁ、わかったっすっ! ユタさま――ごめんなさい」
ダァっと、その場で土下座したゴブは、ゆっくりとユタを見やった。
「オレも気が苛立ってたっす。つらいのはユタさまたちも一緒なのにこんなことしてしまって申し訳ないっす」
平に平にと頭をさげるゴブを見すえながら、
「わたしは、ゴブくんやリッキーくんに責められても文句なんて言えないから」
と、それこそ本当に死んでしまいそうなか細い声で答える。
「ユタ、おまえさんも理解しとらんようじゃからもう一発くらっておくか?」
ビクじぃは笑みを浮かべ、ユタの目の前で杖をかるくふった。
「――いや、なんで?」
さすがに理不尽すぎると、ユタはツッコミを入れた。
「お前さんたちが、根本的な勘違いをしているからじゃろうが」
「勘違いって、わたしがホブさんを森に入った時の護衛として――」
「あいつがその冒険者から殺されるほど弱かった――そのひとことで済むことじゃろ!」
ユタはビクじぃの言葉に、グッと下唇をかしめた。
「わかってるよっ! それがわかってるから――」
「ちっともわかっとらんから責められるんじゃろうがっ! ユタもゴブも、そこのガキどもも弱いからつらい思いをするんじゃろうがぁ!」
「でも――」
「でももへちまもあるかぁっ! どんな環境でも強くないと生きていけんのは世の常じゃろ? ちょっと人より違うからって調子にのっていると痛い目を見るぞ」
「ちょ、調子にのってなんて――」
いや、ビクじぃの言っていることはただしい。ただしいからこそ反論ができない。
心のなかで、ユタはルストたちとはちがうと自惚れていた。
自分は魔力がない代わりに、魔法を使うための精霊との代償がほとんどない。
そう自惚れた結果が――これだ。
「――父上」
ジッとやりとりを見ていたククルやヤーユーに向かって、ユタはひざまずく。
「わたしに稽古をつけてください」
「魔の森で朝稽古するだけではものたりぬか?」
「ひとりよがりの稽古をした結果がこの失態です」
「あまり娘を危険なめにあわせるのはなぁ」
「ですが冒険者となるとみんなで決めた以上、危険なことに首を突っ込むことは百も承知」
「でもなぁ、お前はまだおさないからなぁ」
言いよどむ父親にカッときたユタは、パッと飛び上がるや、そのしまらない顔に回し蹴りをくらわせた――。
「ッ!」
足はしっかりとククルに握られ、やさしく宙へと放り投げられる。
「わふぅっ?」
柔らかい茂みに背中から落ちたユタは、ちいさな悲鳴をあげた。
「ユタっ!」
ルストたちはユタに駆け寄り、彼女の体を起こすと、
「領主さま、ユタがケガなんかしたら」
「先にしかけたのはユタのほうだぞ?」
「それはそうかもしれませんけど」
「そもそもお前たちは突然おそわれてから文句をいうのか?」
言い返され、ルストたちは言葉を返せず、
「弱いというのは相手に負けたからではない。相手に負けることを許してしまったからだ」
ククルはおもむろにたずさえた剣を抜くや、その鋒をユタの目の前に構えた。
「今ここで殺されたとしても、それはお前が弱いからだ」
「それでも――わたしは二度と誰かが傷つくようなことがないよう、より厳しい――」
「だからこそ、おまえたちはおさない――」
急き立てるように稽古を申し出ているユタに、ククルは一蹴した。
「えっ?」
キョトンとするユタに、
「おさないからこそホブを大事な存在だと知っている」
と、ククルは構えた剣を鞘に収めた。
「ど、どういうことでしょうか?」
「よいか、ノクスたちはゴブリンを倒すための存在だと思っている。これは間違いではない」
ユタはチラリとゴブやリッキーを一瞥した。ユタとてそれは理解している。
「しかしそれはあくまでおそろしいものとしてしか観ていないからだ。そもそも土に住むゴブリンと、森に住むホブゴブリンは違う種族だからな」
「それはわかってます。でもそれとわたしがおさないことになんの関係が」
焦燥を見せるユタに、ククルは口角をあげた。
「あのふたりは子供の時からゴブリンを殺すべき対象だと教えられてきた。だがお前たちはどうだ? その真逆のことをしていただろ?」
言われ、ユタはハッとし、ルストたちも「あっ……」と口をあけた。
「おまえたちはこれからまだ覚えることはたくさんある。あるからこそその先入観が邪魔になってしまう」
「あいつらが子鬼を討伐する対象だということも間違いじゃなければ、ぼくたちがホブさんを守ろうとしたのも」
「――間違いじゃないってことだよな?」
「自分がただしいからって、それが正解じゃない。……そうじゃないの? ユタ――」
ビスティは黙考していたユタに問いかける。
――そんなのは、ユタが一番わかっていた。
自分の母親と、自分を変な目で見ていた間男を殺したことも。
義兄からあれほど大切にしてもらっていたその命を自ら終わらせてしまったことも。
地獄で罰を受けられず、輪廻の輪から外れてしまったことも――。
それがただしかったのか、ただしかったとて正解だったのか……。
「――だからこそ、強くなりたいのです。父上」
「気持ちに変わりはないか」
ククルはユタやルストたちを見わたし、
「ならば強くなりなさい。そして自分が理想とする冒険者になればよい」
言うや、屋敷の方へと視線を向けた。
「ルスト、ビスティ、ロイエ……。村まで送るから馬車にのりたまえ」
そう言われ、ルストたちはユタを一瞥する。
「なんか、話をはぐらかされてる気がする」
「まぁ、しかたないよ。実際姫は弱いんだし」
頬をふくらませ、口をとがらせるユタに、ノワールはやれやれと頭を振るった。
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