19・蜂蜜を採りに行こう・8


 「――はっ?」


 突然のことにおどろいたのは当然ノクスであった。


「か、勘当? だ、誰が? オレが? そんなわけないだろ? あの親父だぞ?」


 慌てふためくノクスに、


「お前の行動に見るに耐えられなくなったとのことだ」


「いや、おかしいだろ? なんでそんなことを俺がそんな目にあわなきゃいけねぇんだよ?」


「自分の胸にきいてみたら?」


 ユタはあきれた声で言い放つ。


「それがわかれば苦労しねぇだろ? だいいちオレは子爵の跡取りだぞ? 俺じゃなくてなんでこんな田舎の領主に話してんだよ?」


「さっきから聞いてて思ったけどさ、キミ――なにか大きな思い違いをしてないかい?」


「なんだってんだよ?」


 ノクスはユタの肩にのっているノワールを一瞥する。


「ククルは辺境伯で、立場は伯爵よりも上なんだよ?」


「――はい?」


 あまりに突然すぎたのか、ノクスは抜けたような声をあげ、目を点にした。


 爵位はおおまかに『男爵』、『子爵』、『伯爵』、『侯爵』、『公爵』の順で爵位が高くなり、ククルのような辺境伯は伯爵と侯爵のあいだに位置する。


「そもそも下から数えたほうが楽な子爵でよくもまぁそんな態度がとれるよね?」


 ノクスの今までの言動は、自分というよりは家が子爵というだけで威張り散らかしていたことに、ノワールはあきれを通り越してなんとやら。


「――まぁ、爵位という意味でならガイストも上ではあるがな」


 ククルの言葉に、


「父さんが?」


 と、ルストがキョトンとした顔でたずねた。


「お前の父親は王から可愛がられていてな、士爵の授与を辞退しておるのだ」


「ほ、ほんとうですか?」


 士爵はいうなれば騎士と同位ではあるが、王から爵位を授与されることは名誉のことであり、


「なんでもったいないことを、バカじゃねぇのそいつ」


 ノクスの言葉どおり、それを蹴ったことはもったいないことである。


「すくなくともキミよりは利口だと思うけどね」


 ノクスの言葉に、ノワールは一蹴する。


「さて、お前たちの処分をしなければいけないが――」


 ククルは、ジッと状況を見ていたヒグマを見あげた。


 そして未だに血が止まっていない右腕を見て、


「その傷、ただ剣で斬られたわけではなさそうだな」


 けげんな顔で傷を見やった。


「そのバカが持っている得物に魔力をつくる組織を傷つける付加がかかっているみたいでね」


「なるほど、だから傷が治っていなかったのか」


「ひ、ひと目でわかるんですか?」


「魔物の自己治癒力は魔力で補っているからな。瀕死状態であれば一週間もせぬうちに体が再構築される」


「……すげぇ」


「まぁ、ダンジョン以外の魔物は、魔石を破壊すれば肉片も残らないし、動かないと判断したら魔石は体内に溶けてしまうから、どっちにしろ手にはいらないけどね」


「父上、治すことはできないのでしょうか?」


「ユタ……、ホブでできなかったことをまたノワールにさせようというのか?」


 ユタは静かに子供を諭させるククルの言葉に、口ごもる。


「――出すぎたマネをしてしまいました」


 ちいさく頭を下げる。


「姫……ホブのことは申し訳ないと思っているよ。だけど――命を再製させることは命への冒涜だ」


「わかってる。うん、気にしなくていいよ」


 ユタはノワールの首もとを撫でる。


 そもそもユタ自身が命の冒涜をしているのだ。


「でも、試してみたいことはある」


 ユタはゆっくりとヒグマに近づく。


「ノワール、水の精霊は回復に優れているって云っていたよね?」


「ただしくは悪い気を浄化させるんだけどね――あっ!」


 ユタがしようとしていたことに、ノワールは気づく。


「傷が治せるなんて思ってない。でも傷を防ぐことはできると思う」


 ユタは合唱した両手をゆっくりと離しながら、


「『風の精霊シルフ』――『水の精霊ウンディーネ』ッ!」


 離れた両手のあいだで、ちいさな風が渦巻く。


 その風は徐々に強くなり、まわりの粒子を巻き込んで大きくなっていく。


 そしてそこに水の精霊の粒子が混ざりあい、周囲に冷たい風が吹きすさぶ。


「な、こ、こいつ魔法を3つも|つかえるのかよ?」


「なんで? こんなところにそんなのが――」


 おどろきを禁じ得ないノクスたちは目の前の幼女を、


「まさか――大賢者だとでもいうのか?」


 と称してしまう始末。


「ノワール、ユタはいったいなにをしようとしてるんだ?」


「キミたちも見ておいたほうがいいよ。今の姫ができる最大級の治療魔法だ」


 ルストたちに、ノワールは語る。


 冷たい颶風ぐふうを壊さないように、形成された渦をゆっくりと持ち上げたユタは、


「『氷の精霊フラウ』ッ! ヒグマの傷を塞ぐように切れた血管を凍らせてッ!」


 パンッと両手を重ねると、颶風は一瞬にして破裂し、強烈な吹雪が周りを支配する。


 そして、冷風はヒグマの右腕に集中し、斬傷は中からゆっくりと凍っていき傷口がふさがっていく。


「きゅ……い」


 ヒグマはユタを前に四つん這いとなって近づく。


「あ、あんまり右腕に負荷がかかるようなことしないでね」


 ユタがなだめると、ヒグマは彼女の頬を舐めた。


「ひゃう?」


 おどろいたユタは素っ頓狂な悲鳴をあげる。


「きゅきゅい」


「あははは、『ごめんなさい』――だってさ」


 ノワールがそう言うと、


「溶けたら結局意味がないけど」


「そこはまわりの精霊の粒子がゆっくり治してくれるよ」


「そう……なの?」


「さっきも言ったけど、魔石が無事ならケガは治るからね」


「じゃぁ、わたしがしたことって」


「このヒグマの場合はほとんど斬られた痕だけみたいだし、切り落とされたわけでもないから一月もすれば普通に森の中で走り回ってるよ」


 ノワールはヒグマの頭にのり、ジッとユタを見すえた。


「キミはヒグマの腕の傷を傷ついた血管ごと凍らせた。つまり出血多量で死ぬのを防いだんだよ」


 ユタはふぅ……と息をととのえ、その場で尻餅をついた。


「疲れたかい? 姫」


「そりゃぁそうだよ。まわりの精霊が手伝ってくれなかったら治せなかったから」


「それでもフラウを呼び出すのはおどろきだけどね」


 カラカラとわらう仔猫に、ユタはゆっくりと見すえる。


 疲れた――今はただ屋敷に戻って眠りにつきたいとユタは思った。


「父上――」


「帰りの馬車はあるからな。ゆっくりとなかで休みなさい」


 ククルはその大きな手で娘の頭を優しく撫でると、視線を乗ってきた馬車に向ける。


「そうだ――ッ! 領主さま、ホブさんはどうなるんだ?」


 ルストはホブのそばで、ジッとククルを見る。なにも語らない肉塊に、ククルは顔をうつむかせる。


「――……ッ」


 その時、ユタの頭を撫でていたククルの手がちいさくふるえたのを、ユタは困惑した表情で、ククルを見あげた。


 ククルは、ホブの前に歩み寄るや、腰に携えていた剣を抜き、構えた。


「ち、父上――ッ! いったいなにを?」


 おどろいたユタはククルを止めようとしたが、


「姫、ダンジョンができる理由のひとつに、廃れた町に魔物が住みついたことで作られるって話をしただろ?」


「い、今はそんなこと云ってる場合じゃ――」


「その多くが縄張り争いで死んだ魔物の魂が、ほかの魔物の魂を道連れることが繰り返されたことで形成されたダンジョンなんだよ」


 それを聞くや、ユタは言葉を失った。


「それじゃぁ、父上がしようとしていることって」


「ホブの魂が悪霊になることを防ぐためだ。まだ彼の中にある魔石が綺麗な状態だから体が維持されているけど、次第に朽ち果ててしまう」


 ユタはそれを聞いて、ゆっくりとククルを見すえた。


 顔は視えなかったが、剣を握る手は震えている。


 これは領主としての責務であると同時に――、うつわを失った魂は行き場を失いさまようだけの死霊。


 ユタは自分がそうであるから、それがわかるからこそ……。


「――父上……お願いします。ホブさんをこれ以上苦しめないでください」


 ユタはその場にひざまずき、わなわなと全身をふるわせるように言葉を絞り込んで、ククルに願った。


 苦しいのは、本当はこんなことを望んでいないのはほかでもでない、執行するククルなのだとユタは理解している。


 しているからこそ、ホブをほうむることを所望する。


「おい、ユタッ! なに言ってんだよ?」


「なんでそんなひどいこと言えるの?」


「そうだよっ。なんでそのままにしないんだよ」


「キミたちはホブが死霊になって、自分たちを襲わせようっていうのかい?」


 抗議するルストたちを、ノワールは言葉で制する。


「それならそれで死んでもいいっていうなら文句はいわないよ。でもね――ホブがそれを望むと思ったらそれこそ彼にたいする冒涜以上の何物でもないよ」


 子供たちを叱責するノワールの言葉はふるえている。


 彼とて、この結末は受け入れられない。だが受け入れなければいけない。


「キミたちが辛いことは充分わかっている。だが――ここで彼をちゃんと供養してやらねばここは負の感情で朽ちてしまう」


 ククルもできればこんなことをしたくなどない。


 彼にとっても、ホブゴブリンたちは自分の領内で暮らしているれっきとした住民だ。


 そのひとつを自らの手で砕かねばいけないのだ。


 ホブの体から黒く禍々しい煙が立ち上っていき、体はドロドロとくさりただれていく。


「旦那さま――時間がございません」


「すまぬホブどの。その魂――壊させてもらう」


 ククルはホブの心臓に剣を突き立てた。


 ――パリンッ……と、割れる音がひびきわたる。


 それがホブの中にある魔石が砕かれたことを意味していた。


 そしてホブの体は維持する責務から開放されたように砂となって崩れ、どこからともなく吹いた風に乗って消えた。


「……――ッ」


 それを見送っている子供たちに、


「ダンジョン以外で死んだ魔物は魔石が砕かれるとああやって砂になって風に送られるんだ」


「そしてその砂が色々なところに送り届けられ、新たな魔素のひとつとなる」


 ノワールとヤーユーがやさしく説明した。


「それじゃぁ自然に死んだ場合は?」


「その時も同じだよ。魔石は自ら砕け散って、死んだ魔物は砂に還る」


 ユタは船の上で死んだ時、遺体を海に還す『水葬』と、砕いた骨を海に撒いて供養する『海洋散骨』を思い出す。


 これもまた自然に還すという意味なのだろう。


「ただ、魔石が壊れる前に死んだ理由に納得がいけばホブのように自然に還ることができるけど、未練があるとリビングデッドになって人を襲う死霊になる」


 ノワールはうつむき、ただちいさく嗚咽をつぶやく。


 ユタは両手を合わせると目を閉じて黙祷した。


 それを見たルストたちは真似るように手を合わせ黙祷する。


 ククルとヤーユーは目を瞑り、心臓に拳を当て、ホブを偲んだ。

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