18・蜂蜜を採りに行こう・7


 子どもたちの目の前で、見知った魔物の血飛沫が舞う。


 赫々とした血生臭い激流が吹き出し、あたりに水たまりを作り出していく。


 その中心には、人の手伝いをするのが好きな森の子鬼ホブゴブリンが横たわっており、


「ご……? ひゅ……?」


 息なのか、風なのか、判別がわからない音がひびいている。


 その目は、なぜ――どうしてといった困惑の色。


「ちっ、ほんと子鬼の血ってのはきったねぇな」


 ルストは、ホブの腹部に差し込んだ得物を抜いた。


 血管を伏せていたものが抜け、傷口から血飛沫が吹き上がる。


「だぁ、くそっ! これなかなか落ちねぇんだよなぁ。新しいの買うしかねぇか」


 ノクスは、それこそなんの違和感もなく、自分の心配しかしていない。


 それもそうだ。彼にとって、目の前の子鬼を殺しただけのこと。


 冒険者にとって、子鬼は殺す対象である。――間違ってはいない。


「ホブさんッ!」


 ルストとビスティ、ロイエの三人は、自分の体や服が汚れることなど気にも留めず、ホブに駆け寄り、言葉を掛ける。


「――ノワールッ! ホブさんのケガを治してっ!」


 ユタが荒々しい声色で使魔に命ずる。


「わかってるッ!」


 ノワールは左目の白眼金睛を輝かせ、ホブの周りにやわらかな光を放った。


「――ッ!」


 ホブの体の傷が癒やされず、ましてやまるで治りを妨げるような感触に、ノワールは言葉をうしなってしまう。


「どうしたの、ノワール? 早くしないとホブさん死んちゃうよっ!」


「おい、ノワールッ!」


「わかってるっ! ボクだって彼が死ぬのはゴメンだからね。全力で治してるよ」


「じゃぁ、なんで傷が塞がらないのさ」


「傷が治らないんじゃないんだ。それが必要な彼の中にある魔力がどんどん削られているんだよ」


 それを聞いて、ユタは困惑した声で、


「ケガや病気を治すのに体力が必要なのはわかるよ。でもなんで魔力が減ってるの?」


「わからない――いや……」


 ノワールは、ノクスを見あげ、


「その剣――切った相手の魔力が回復しにくくなる付加でもついてるのかな?」


「んっ? なんでぇ知ってるなら話が早いじゃねぇか」


 ノクスは口角をゆがませ、その得物のきっさきをノワールに向けた。


「魔力の高い魔物を殺すのに便利でさ、傷が深いほど回復が遅くなるんだよ」


「なるほどね。どうりで魔力を付加した回復魔法を使っても治りが遅いのはそういうことか――ッ!」


「どうにかならないの?」


「どうにもならないから焦ってるんだよッ!」


 焦燥感をみせるユタやルストたちに追い打ちをかけるように、ノワールは語気を強めた。


「こいつのしでかしたことは、魔力を作り出し体内に循環させる器官を切っているんだよ」


 ユタはピクリと肩をふるわせた。


「それって――どういうこと?」


「わかりやすく言えば血小板や白血球が傷口を外部から守っているあいだ、必要な細胞組織が傷口を治している」


「それはわかるよ? でもそれなら――」


「それが作られる組織が傷つけられたら、そこを治さない以上、外部から殺菌が入って治せるものも治せなくなるだろ?」


 言葉の意味がわかった子供たちは、その場に立ちすくんだ。


 白血球は外部から入ってくる殺菌から傷を守るために作られている。


 それが作られにくいということは、もはや兵隊もいない滅ぼされるだけの国だ。


「くそぉっ!」


 ルストが飛び出し、ノクスに殴りかかった。


「ハッ!」


 それを手ではねのけ、ノクスは倒れるルクスを見下ろした。


「おまえらさぁ? さっきから言ってることがわけわからねぇんだよ」


 得物を肩にコツコツと当てながら、ノクスは、


「俺さまは目の前の子鬼を殺しただけだぞ? それでなんでそういう目を向けられないといけねぇんだよ」


「そうよ。自分たちが危険な目にあうかもしれないんだから、感謝されるべきよね?」


 ルビナはカラカラと嗤う。


「――お、おで……」


「ホブさん?」


 かすかに聞こえた声に、ビスティが反応する。


「ダメだホブッ! 傷を治すことに集中してくれッ!」


 ノワールはホブの傷を治しながら、さらに傷つけられた魔力を作り出す組織器官を治すことにも専念していた。


 設計図とも比喩されるDNAがひとつひとつ異なるように、ひとつとして同じものがないため、それを治すことは彼ですら難しい。


「ユタ……さま、たち、はやくにげてぇ」


 ふっくらとした頬が衰弱するようにこけていくが、ホブは自分よりも子供たちを優先するように、いつもの優しい声で言う。


「ホブさんをおいたまま行けねぇよ」


 それに対して、ルストたちは必死にホブをていた。


 自分たちがなにができるとは思っていない。だが、彼を見捨てるような選択だけは誰一人とてしていなかった。


「ホブさんは大事な友達だよ。それなのに置いていくなんてでき――」


「あのさぁ? さっきから意味がわからないのよねぇ?」


 ルビナのさげすんだ言葉に、ルストたちは必死の形相で――、


「なにがわからないんだよっ? あんたたちだって目の前で人が苦しんでいてなんとも」


「――思わないわね」


「思わ……えっ?」


 ルストたちは、目の前にいる冒険者を畏怖の感情で見あげた。


「だ、だってもし目の前で一緒にいる人が魔物に殺されようとして――」


「そしたら自分の取り分が多くなるじゃない? こっちは魔物に殺されたってうそぶけばおとがめなしだからね」


 ルビナは、表情をゆがませ気味のわるい笑みを浮かばせる。


「あなたたちも冒険者を夢見ているなら現実を知ったほうがいいわよ。こっちは命かけでやってるのよ。そんな仲間だとか言っている暇はない」


「おいルビナ――もうこいつら口封じしとこうぜ」


 ノクスはゆっくりとノワールに近づく。


「まずはこっちの面倒な猫から――」


 得物を振り上げ、ノワールを切り裂こうとした時だった。


「――『土の精霊ノーム』ッ!」


 ノクスは振り下ろした先の、ちいさな影に言葉を失う。


「な、なんだよ……これ……?」


 得物はユタの左腕にその刃を当てていた。


 普通ならば、ユタの左腕は無残にも切り落とされているはずなのに、


「なんでお前の腕が……クソぉっ!」


 ノクスは焦燥を見せ、得物を振り下ろす。


 だが、何度やっても切り落とせず、それどころかまるで金属がぶつかり合う音が森の中で響きわたっている。


「ちょ、ちょっと、なにやってんのよ?」


「うるせぇっ! こいつ、なんで傷つかねぇんだよ?」


 ノクスはユタからすこし離れる。


「ユタ……、いつもはシルフしか使えないのに――」


「もしかして、ノームも使えるってのかよ?」


 ルストたちの言葉に、ノクスたちは言葉を失う。


「ま、魔法属性が二種類もあるだと? こんなちいせぇガキが――?」


 間違いだと目の前の現実を受け入れないノクスは、何度も得物の剣でユタの腕を切り落とそうとする。


 ユタの腕にまとったノームの粒子がそれを拒絶していく。


 それはいうなれば『土』が黄道十二宮における金牛宮をつかさどり、その性質は『金』と『不動』を意味する。


 ノクスが持っているようなナマクラな剣で、ノームの粒子をまとっているユタの腕を斬ろうことなど不可能であった。


 鋼の粗悪品で何回打ち込もうが、それ以上の硬度を作り出しているノームの粒子にはとおくおよばない。


「――姫」


 ノワールはゆっくりと、なぜか落ち着いた口調でユタに声をかけた。


「ノワールはホブさんを治すのに集中して、こいつらはわたしが――」


「――もう……いいんだよ」


 ユタはゆっくりと、足元のノワールを見下ろした。


「……なにを……云ってるの?」


 ユタはゆっくりとノワールを持ち上げた。


 その瞳にかがやきはなく、どんよりとした深淵しか浮かんでいない。


「治してるんでしょ? 治せていたんでしょ? だったら治してよッ!」


 力は幼女のそれであったが、ふるえた手と握りつぶさんとする込められた力は、懇願と絶望であることをノワールは理解している。


「割れたグラスが元に戻せないことくらい、わからないキミじゃないだろぉっ!」


 それこそ、ノワールは言葉を濁したかった。


 ユタは一度、その命を自らの手で終わらせている。


 だからこそ、「死」という言葉の意味を身を持って知っている。


 だが、本当の意味でおさないルストたちはどうだ――。


「おい、ノワール――どういうことだよ?」


「そうだよ。治してよ……ホブさん治せてたんでしょ?」


「ぼ、ぼくたち、ただ蜂蜜を採りに来ただけだよね? それなのになんで――」


 ルストたちはノワールの言葉を受け入れられなかった。


 肩をふるわせ、仔猫をジッと見すえる。


 頭ではノワールの言葉を理解していた。だが、心がそれを拒絶する。


「死んだんだよ……そこの邪魔な子鬼はさ」


 それこそ、ノクスは空気をかきむしるように言い放った。


「そうだろ、クソネコ――」


「黙れ……人間」


 ノワールはちいさく声を落とす。


「おいおい、こいつらに現実ってもんを教えといてやれよ?」


「まだ、知らなくてもいいことだってあるんだよ」


「こいつらにさぁ、人間さまが魔物を殺すことは当然のことだって言い聞かせとけよぉ?」


「そうよ、子鬼なんかに慕わなければこんな想いをしないし、なんなら魔物なんかに心なんてできやしないんだし、殺しあう以外に関係なんてないのよ」


 子供たちの気持ちを逆撫でするようにカラカラと嗤うノクスやルビナに、


「傲慢なやつってのは、本当に自分の力に自惚れるよね?」


 その白眼銀睛の瞳をかがやかせ、ノワールはノクスを――、


「みゃうっ?」


 突然、体が宙に舞い、ノワールは一瞬言葉を失った。


「じゃぁ――殺されることも当たり前ってことよね?」


 声が聞こえ、ノクスはそれを見た瞬間、


「がぁほぉ?」


 突然の衝撃に、体をくの字にして、背中を木にぶつけ倒れこむ。


「の、ノクスッ? あ、あんたいったいなに……」


 ルビナの顔が飛ばされる。


 もちろん頭と胴体はくっついているが、そう錯覚するほどに衝撃が物語っていた。


「ひ、姫……ッ!」


 スタッと地面に着地したノワールは、おもむろにユタを見すえた。


 ノクスに対しては、ノワールを宙に放り投げ、一瞬のうちにノクスの懐へと潜り込み、右手に込めたシルフの粒子を強力な風に変換して、ノクスを吹き飛ばした。


 そして困惑しているルビナにたいしては左の裏拳で頬を弾き飛ばす。


「――わかってるよノワール。云ってることくらい」


 ユタはゆっくりと仔猫を見すえる。


「あの二人の言ってることはただしいよ。でもただしいからってそれが正解だなんて思いたくないッ!」


 ホブゴブリンたちが、ノクスたちの言うとおり邪悪な存在ならば、子供たちは悲痛の感情をもち、ノクスたちに怒りを覚えることはなかった。


 親しい関係だからこそ、そのおだやかな優しさを知っているからこそ、ぽっかりと孔があいた感情が全身を蝕む。


 ユタに至っては、自分に優しくしてくれた義兄であるシンジ以外は実の親ですらちゃんとした愛情をもらっていない。


 この世界に転生して、はじめて義兄以外のぬくもりというものを知ったユタにとっては、誰かが死ぬことは、ルストたち以上に受け入れられなかった。


「……ノワールの口癖じゃないけど、傲慢……かな?」


 静かにたずねるユタに――、ノワールはゆっくりと、ユタに歩みよった。


「キミがなにを正解とするか、ただしいことでも間違っていると思うことは傲慢じゃないよ」


 そう言われ、ユタはちいさくうなずいてみせた。


「が、はぁ――お前ら……俺を誰だと思ってんだよ? マスティ子爵の嫡男だぞ?」


 声をふるわせ、ノクスはユタを睨んだ。


「お前らみたいな田舎のガキなんてなぁ、俺が王都に報告すれば冒険者ギルドに殺されるんだぞ?」


「そ、そんな……」


 ルストたちはふるえた声をあげたが、


「あぁ、大丈夫。そんなのただの脅し文句だから」


 ノワールはユタの肩に体をのせる。


「どういう――こと?」


「あのふたりの戯言たわごとは終わりだってことさ」


 うしろから、それこそ馬車の車輪がでこぼこした土の道を走る音が聞こえ、


「この音って――」


 ユタが振り返ったそこには、一匹の白馬が馬車を引いてたたずんでいた。


「お嬢さま――ッ!」


 騎手は領内の田舎屋敷カントリーハウスで執事を務める初老の男性。


「ヤーユー?」


 突然の来訪者におどろいたユタは、


「どうして、ヤーユーがこんなところに?」


「お嬢さまからの言伝に屋敷へと来たリッキーどのがとつぜん苦しみだしまして……」


 ヤーユーは馬車の運転席から降りると、ユタやルストたちにむかってちいさく頭をさげるや、ここに来た理由を話した。


「――妖精特有の意思共有だね」


 ここまで早馬を飛ばしてきたのもうなずけられる。と、ノワールは得心した。


「しかもここに来るまでの道中、森の中で漂っている精霊の粒子が苦しそうだったことも」


 ヤーユーはゆっくりと、突然の来訪者に戸惑っているノクスとルビナを見やった。


「一連の原因は彼ら……で間違いないですかな?」


「あぁ、しかも森の中で妙なことが起きていた原因も、彼らが関わっているみたいだよ」


「な、なんだお前ら? 俺はなぁ――」


 突然現れた初老の執事に、狼狽しているノクスとルビナは、ふるえた指でその男を指した。


「――オスディリア・マスティ子爵の嫡男で、Eランク、、、、冒険者のノクス・マスティ……だったかな?」


 馬車の扉が開き、ゆっくりと備え付けの階段を降りてくる一人の紳士が、そう言葉を発する。


 そこには黒に揃えたシルクハットに燕尾服のククルの姿があり、


「――パ、パパッ?」


 ユタは思わず、普段本人を前にして口にする『父上』ではなく、ノワールと話す時に口にする愛称で叫んでしまった。


「あぁ、やっぱりユタは私をそういうふうに言ってくれてたんだなぁ」


 ククルは、それこそ感動したように満面の笑みでユタを抱きしめようとしたが、


「えっ? えっと……父上、どうして馬車に同乗していらっしゃったんですか?」


 避けるようにうしろへとたじろぎ、ユタはたずねる。


「違うだろ。ほら恥ずかしがらずに――パパって言いなさい」


「旦那さま、話が進まないのでそのへんで」


 ヤーユーに止められたククルは、「ちぇ~っ」とくちびるを尖らせた。


「そ、そんなことより――Eランク? だってこの人自分でAランクだって」


 ルストがククルを見すえる。


「ルスト――お前の父親は元Aランクの冒険者だぞ?」


 ククルにそう言い返され、ルストはギョッとした。


 冒険者だということは知っていたが、そんなに高ランクだとは思っていなかったのだ。


「当然高ランクほど世界のルールくらい知っていなければいけないし、あいつは王都の――いや今はどうでもよい話だな」


 ジッとノクスを見すえていたククルは、


「ノクスといったな。マスティどのには王都ですこし世話になっていて、お前のことも常々悩みの種だと嘆いておられた」


「こっちは子爵家の人間だぞ? 田舎領主のおまえなんて――」


「この前お会いした時に嫡男を勘当したとのことだ」


 ククルはノクスに言葉で黙らせた。


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