17・蜂蜜を採りに行こう・6
「ノワール、いったいなにをッ――!」
文句のひとつでも言おうとしたユタだったが、
「あんれぇ、おかしい猫がいるわね」
「おいおい、まぁさか魔法が使える猫がいるとか聞いてねぇんだけどぉ?」
そこには小奇麗だが、返り血を浴びて見るに無惨な装備品をまとった男女ふたりの姿があった。
「おっ? なんでぇ、こんなところにガキがいるぞ」
路端で様子を見ていたユタたちに気付いた男がそちらを一瞥する。
「君たちにひとつ訊きたいんだけど」
「なんだよこの猫? 人の言葉を喋ってるぞ?」
「捕まえて見世物にしちゃう?」
男に同意するように、女はキャッキャと高笑いする。
「うるさくない? このおばさん」
ルストがげんなりした顔で言う。
「んだとぉこのガキぃ? 私はまだ16よ」
「16だったらすこしは人にたいする態度を
ヒステリックに反応する女の冒険者に、ノワールはあきれたと言わんばかりにあくびを浮かべた。
「うるせぇよ。クソ猫がぁ。人間さまに指図してんじゃねぇ」
男の冒険者が得物の長剣を振り上げ、ノワールにめがけて切り込んだ。
「……ふぅ、人の――いや猫の話を聞かずにいきなり切り込んでくるとは――」
ノワールはその剣筋をするりとかわし、
「簡単によけられるし、さほど強い冒険者でもなさそうだね」
男の、得物が握られた右手に乗るかたちで抑え込んだ。
「くぅそぉっ!」
ノワールを払いのけるように、男は右手を振り払う。
「ノクス――」
女が男――ノクスに手をかそうと杖をノワールに向けた刹那、
「『
その懐にユタが飛び込み、風をまとった右ストレートを女の腹部に打ち込んだ。
「ごぉほぉっ?」
突然の痛みに、女はその場でうずくまり、
「がぁ……はぁ……」
ドボドボと、おなかの中のものをはきだしていく。
「姫、あぶないから――」
「ノワールはわたしたちがあぶない時に手をかすんじゃなかったの?」
言い返され、ノワールは口ごもった。たしかにそういう約束ではあったが、状況が状況だ。
「おまえらぁ、この俺さまになんの恨みがあって――」
「ちょっと黙ってもらえないかな?」
ノワールはひょいと飛び上がるや、ノクスの顔に爪を立てた。
「ぎゃぁぁあああっ!」
「きたねぇ悲鳴だべ」
ノクスの悲鳴をホブがそう評する。
「あらぁ? そこのあなたたち。なんでそんなところに小鬼がいるのかしら?」
女の冒険者はうずくまりながらも、様子をうかがっていたルストたちに目を向ける。
「そいつは人を殺したり、捕まえた女を苗床にしてしまう恐ろしい魔物なのよ?」
「おい、ルビナッ! そのデブも殺して素材にしちまおうぜ」
「はぁ? おいおばさんたちはこいつがなんなのかわかって」
「ただのゴブリン……でしょ? そんなどこにでもいる有象無象にいちいち興味ないわ」
女の冒険者――ルビナは、それこそ間違ったことを言ってるのかと聞き返すような声と表情でルストに言葉を返した。
「それに、あなたたちもそんなやつの近くにいたら殺され――ごぅふぅっ?」
その言葉を最後まで言わされず、ルビナはその場に倒れこんだ。
ルビナの頭部を蹴ったのは、ユタだった。
「おいッ! なにやってんだよぉっ! こんなガキになにヤラれてんだ?」
「はぁっ? いったいなにが? 私がなにか悪いことでも言った? 当たり前のことでしょ? こいつらは私たちに狩られるためだけに生まれ――」
「――うるさい……」
ユタは、それこそ言葉を止めるように、ルビナの腹部を潰しかねないほどつよく踏み込んだ。
「待って――姫ッ! こいつらの言ってることも間違ってはいない」
「いつまで、踏んでんのよぉっ! このクソガキィッ!」
ルビナはユタの足を捕まえ、自分から通さけるように投げ飛ばした。
「んぐぅっ!」
背中が木肌にぶつかり、ユタはちいさく呻くとズルズルと倒れこむ。
「――姫っ!」
ノクスをマークしていたノワールだったが、心配になりその場を離れると、ユタのところへと駆け寄った。
「ごめん……ノワール」
「なにを謝っているんだい?」
「あいつら、ホブさんのことを有象無象ってバカにした――」
ノワールは、ルビナの言葉に間違いはないことはわかっている。
だが、ユタはそれがどうしても赦せず、目尻には涙が零れ落ちんばかりにあふれていた。
ホブをそこら辺にいる子鬼と一緒にされたことが悔しかったのではない。
自分も――そうであったからだ。
「おい、クソガキども……そいつから離れねぇとあぶねぇってさっきから言ってんだろ?」
ノクスが、得物をルストたちにちらつかせる。
「う、うるさい……おまえらホブさんがオレたちにどんだけやさしいか知ってて言ってんのかよ?」
「そ、そうよっ! たしかにゴブリンに違いないけど、だからって一緒にしないでほしいわねッ!」
ルストたちはホブの前にたち、ふるえた声でノクスたちをにらむように見つめていた。
子供たちもユタと同じで、村の手伝いをしているホブゴブリンたちを慕っている。
危険なものだとはわかっているが、彼らが自分たちの村に必要な存在だということも。
「そうだよ。自分たちの都合よく――」
「うるせぇよクソガキ」
ノクスは、その右手でロイエの頭を追い払うように叩いた。
「がぁはぁっ!」
「ロイエッ!」
ルストとビスティがロイエに駆け寄る。
「おい、大丈夫か?」
「う、うぅ……」
ルストが声をかけるが、ロイエは意識をもうろうとさせ乾いた返事しかしない。
「――ノワール……」
ノクスのあまりにも非情なおこないに、ユタは憤怒の色を浮かばせる。
「あぁ……さすがにボクもこれ以上はあの二人の行動を許せ――」
ノワールは言葉を止め、耳をひくつかせながら周囲を警戒した。
そして、ハッとなにかに気付くや、
「――オイッ! そこのクズノコだったか、ノギスだっけ?」
ノワールに声をかけられ、ノクスは苛立った表情で、
「ノクスさまだッ! おまえら、俺がマカフィ子爵家の嫡男でAランクの冒険者だって知っててやってんじゃないだろうなぁ?」
ユタたちにちょっかいを出してきたのは、他でもないノクスたちのほうなのだが。
「そんなことはどうでもいいんだよ? まさかと思うけど、君たちがここに来るまでのあいだ、魔物と戦闘をしていて、そのままにしてたりしないだろうね?」
ノクスはすこし考えてから、
「あぁ、さっきでかいクマに遭遇して、倒せないから逃げて――」
――ガサァッ!
茂みをいきおいよく駆ける音が近づいていき、その場にいた全員がその音の先を見すえた。
「な、なんで……なんでこいつ追いかけて」
ノクスが、それこそ声を裏返し、その大きな影をにらんだ。
そこには黒の体毛に赤い目、体長は2メートルを優に超えたヒグマが、興奮したように鼻を鳴らしながら、ユタたちの目の前に躍り出た。
その牙をむきだし、ダラダラとよだれを垂らす。
その瞳は探し求めていた獲物を見つけたと言わんばかりに獰猛を隠せずにいる。
「……あのヒグマ、腕から血が出てる」
ビスティが、ヒグマの右腕から血が流れていることに気付くや、
「たぶんそこのバカ二人のせいだろうね」
ノワールは警戒した目でノクスとルビナを見すえた。
「誰だって理由もなしに襲われたらトサカに来る。あのヒグマだって同じさ」
「はぁ? こっちはあいつがいきなり襲ってきて、抵抗したけどやべぇから逃げてきたんだよ? なにオレたちのせいにしてんだよ?」
「――誰がどう見てもあなたたちのせいでしょうがッ!」
ユタはそのちいさなカラダを震わせ、悲鳴をあげたように声を荒らげた。
「――な……」
突然のことに呆然とするノクスに、ユタは間髪入れず、
「さっき自分たちが冒険者だって言ってたわよね? だったら最期まで責任を持ちなさいよっ! あんたたちがやったことはこの森で暮らしている魔物たち全部を、この森で狩りをするわたしたちの村の人たちに迷惑をかけてるってわかってやってたの?」
怒りを言葉にしてまくしたてた。
「はぁっ? なんでそんなにキレてんだよ?」
わけがわからないと困惑するノクスは、ユタの迫力に圧される。
「でもよぉ? 俺さまみたいなカッコイイ冒険者が――」
「――魔物を狩って、その毛皮をどうするつもりだったの?」
ユタの言葉に耳をかけるや、ノクスとルビナは「なんでそれを」とユタに戦慄を覚える。
「この森は、その周辺の警備や環境保存を王命で担っているククル辺境伯のお膝元だ」
ノワールはユタに歩み寄り、ノクスたちを見上げた。
「その王命がある以上、許しを得た人間以外の狩猟は禁止されているはずだよ?」
「うるせぇ、そんなことどうでもいいんだよ。この森にいる魔物の毛皮はほかのにくらべて高い値段で捌けるからな。それを売れば儲かるんだよ」
「そんな――そんな身勝手な理由で?」
ユタは目の前のヒグマをジッと見つめた。
あの時、子供たちで薬草を採っていた時に遭遇したヒグマは、ただたんにおなかが空いて、自分たちの、人間の生活圏に紛れ込んできただけ。
それをユタはシルフの力をもって退治し、その肉を村のみんなに分け与えてありがたく頂戴している。
それだけを考えれば、単純に森の中で食べるものが不足していたと考えるのが普通だ。
――だが、ノクスやルビスはどうだろうか。
彼らはその命を、お金にするためだけにこの森で魔物を襲い、自分たちで倒せないとわかるや、冒険者としての責務を放り投げるかのように逃げてきた。
つまり、ユタたちを襲ったあの時のヒグマも――……。
「――痛かった……よね」
ユタはゆっくりと、ノクスたちに敵意を向けているヒグマに近づいた。
「ひ、姫……ッ!」
ノワールは止めようと声をかけるが、ユタの握っていた拳がほどけていたことに気付く。
ユタにヒグマを倒すという敵意がないと察するや、スッととうしろへと下がった。
ユタはヒグマの目の前にたち、静かに顔を見すえる。
「なにもしてないのに、ただこの森で生きているだけなのに、だれも襲っていないのにいきなりこんなことされて、苦しかったよね」
自分たち村の人間も、この森で生きている魔物を狩り、その肉や牙、角、皮といった素材となるもので加工したものを売ってお金にしたり、自分たちの生きる糧としている。
やっていることはノクスたちと同じだが、ユタは森で暮らしている魔物たちも、それを理解していると思った。
魔物を狩ることは命を奪い、それを摂取することで自分たちの魔力を補給しているが、魔物たちも自分たちの命を以って暮らしているため、必要以上の狩りをしないのが、森で暮らしている魔物たちへの礼節だ。
だが、その掟すら踏みにじり、あまつさえ魔物を嗜好の対象にしているノクスたちに、ユタは嫌悪感すら覚えていた。
「ぐぅあぁ……」
ヒグマはちいさくうめき声をあげ、その大きな口をひろげながら、ユタを威嚇する。
「ユタッ! あぶない」
「なにやってるの? あぶないよユタッ!」
「オイッ! あんたたち冒険者だろ?」
ルストたちがユタを心配するが、
「うるせぇ、あいつが勝手に自分からやってるんだろ? 俺たちの知ったこっちゃねぇんだよ」
「そうよッ! それで殺されても私たちに責任なんてないわ」
一蹴するように、ノクスたちは言葉を荒らげさせる。
「ユタさま、落ち着かせようとしてる」
「――えっ……?」
ルストたちはホブの言葉におどろきを隠せず、ユタとヒグマを見すえた。
「この前、あなたとおなじようなヒグマが村の近くにあらわれて、わたしたちはそのヒグマに襲われたの」
「だったら、そいつも危険だってことだろうが?」
「――その原因を作ったのはどこのどいつ……かなぁ?」
ノクスの言葉を制止するようにノワールは睨みを効かせた。
ノワールは、それこそユタの生前のことを知っている。
なにもしていないのに苛まれる。
実の親から見た目だけでは判別できない、精神の虐待を受けてきたユタにとって、ノクスたちが魔物たちにしてきたことは、理屈は通っても、理解したいとは想いたくないほどの陵辱。
「今日だって、本当ならおなかいっぱいご飯を食べて、巣穴で休みたかったのにね」
ユタは手をヒグマに差し出す。
「おい、さすがにやべぇよ。あいつ……イカれちまってるんじゃないか?」
ノクスは目の前のユタをおぞましく見えていた。
「ユタさまの近くにいる精霊たち、みんなあのヒグマのこと心配してる。落ち着いてってなだめてる」
「――ホブさん」
ホブは、ルストたちを守るようにその場を離れずにいた。
「なにわかりきったこと言ってんだよ? あいつはただのガキだろ? それにおまえみたいなバケモノになんで精霊が視えてんだよ?」
「そうよ、おまえみたいなやつに精霊が見えるなら、高貴な私たち人間に精霊が見えないのはおかしいでしょ?」
ノクスとルビナはホブに文句を言う。
普段、人から責められるような経験がないホブは困惑した表情を浮かべ、ノクスたちを怯えた目で見すえた。
「おで、そんなつもり――」
「あぁ……もういいや――死ね」
だらけきったノクスの声とは裏腹に、力強く込められたその得物がホブの腹部を貫いた。
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