7・王国からの使者・1
ユタやビスティ、ルスト、ロイエの四人が領内の野原で薬草を摘んでいたのをヒグマが襲いかかり、それをユタが撃退してからすでに三日ほど経った。
「345……、346……、347……、348……」
ユタの声が響き渡り、上段蹴りの最中。早朝、日もまだ昇らぬころ、ユタは魔の森の入口で空手の稽古に没頭していた。
「姫、足が落ちかかっているし、風を切る威力も弱くなってる」
木の枝の上でユタを見ていたノワールがアドバイスを送る。
「…………」
ユタはすこしばかり苛立った目で見上げる。
「言いたいことはあるだろうけどね。こればかりはどうすることもできないよ」
「魂魄が違うから?」
「君は魔力を必要としない世界の人間だろ? ならそのことわりを変えてはいけない」
たしかにノワールの言う通り、ユタが生きていた世界はそもそも魔法というものがファンタジー、非現実なものだというのが常識ということわりの中にいた。
魔法を必要とし、生活の一部となっているこの世界では、魔力を持つことは当たり前ということわりであるため、ユタはその概念から外れている。
「でもユタ……あの時シルフの力で――」
「人間はどうしてそう思い上がりをするかな?」
ユタは不安に満ちた顔で、
「そんなこと――思ってなんか」
と言い返した。
「あっと、姫……勘違いをしないでほしい。ボクは魔力はないとは言ったけど精霊が使えないとは一言も口にしていないし、現に君はシルフの力を最大限に使ってあのヒグマを倒した」
スッと、音も立てずに木の枝から飛び降りてきたノワールを、ユタはおどろいた目で見下ろす。
「どういう……意味?」
「たとえば君は誰かに助けをもとめられたら手を差し伸べるかい?」
「状況にもよるけど――たぶん助けると思う」
「それじゃぁ今度はもっと意地悪なことをたずねよう。ひとりは足を擦りむいただけの貴族。もうひとりは足が折れてしまい歩くのもままならない貧民街の乞食。この中で一人しか助けられないとしたら?」
聞かれ、ユタは――「ユタがいた世界に医療に携わる人間にやってくる選択肢に似たような話があるよ。その時はかならず優先順位をつけるから」
そこまで話して、しばらく黙考してから、
「命の危険があるかもしれないのは乞食のほう。だからユタは先に乞食の方の助けたいと思う」
と答えた。
「――姫の答えは吐き気がするくらい甘ったらしい偽善だね」
するどく冷たい視線がユタの優しさをかきむしる。
「ボクは言ったよ。貴族か乞食かって……」
つまり、見返りを考えればお金に余裕のある貴族を助ける……この世界ならば考えられる話ではあるが、ユタがいたのはあくまで現代日本の、ましてや近くの軍施設で戦闘機が飛び交う町。
「お金がほしいから誰かを助ける――だったらユタは誰も助けたくないよ」
あきれたと言わんばかりにユタは苦笑を浮かべる。
「ユタは助けたいから助けると思うし、情けは人の為ならずはよくニーニーから教えられていたからね」
「助けないほうがその人のためになるんじゃないの?」
今度はこっちが喫驚し、慌てふためくノワールに、
「逆。――巡り巡って自分に返ってくるのがほんとうの意味」
ちいさく笑みをこぼすユタに、ノワールはちいさくため息をもらした。
「それが――シルフが君に力を貸した理由だよ」
「どういうこと?」
今までの会話で、どうしてそうなるのかがわからず、ユタは小首を傾げた。
「天使ラファエルがこの森の地中深くに沈められているダンジョンコアを介して本来なら魔法を使えない姫が使えるように手助けしている。といってもあくまで精霊たちに貸すようにと命じているだけ」
「つまり力を貸さなくなったら魔法は使えないってこと?」
それと魔力がない自分がどうして使えるのか、その答えにはなっていない。
「魔力がある人間はその魔力を精霊に力を貸してもらう代償として支払うんだ。つまり強い魔法を使うにはそれに見合った魔力を消費しないといけなくなる」
ノワールはスッとユタから離れ、再び木肌を駆け上がり、枝に陣取った。
「逆に姫の場合はいくらラファエルの命令とはいえ、精霊の判断に委ねられているからね」
「――……そういうこと」
言葉の意味はなんとなく理解できた。
つまり自分の場合は魔法を使うには精霊の意志が最優先される。自分が使いたいからと言って精霊がそれを助けてくれなければ――使えるものも使えない。
「この前のは完全に利害の一致だ。姫は命の危険があった。シルフたちは魔の森を荒らされたくないから君に力を貸した――ただそれだけだよ」
「だから思い上がるな――」
グッと自分の拳を握りしめ、ユタはそれを見据えた。
「ほら、今日のノルマはまだぜんぜん残ってるよ」
言われ、ユタは構えを取り、全身を集中させる。
「――精霊がいないと魔法が使えない。逆にいえば魔法が使えないユタができることは――」
グッと腰を落とし、右足を上段に振り上げる。
「349……ッ!」
気合の入った声が森の中に響いた。何度も、何度も空を蹴りあげる。
ユタは自分ができることを暗中模索する。ただただ――この世界で生身の自分が生きるにはそうせざるを得なかった。
「そう……人間が本来持つ基礎的な能力を強くする以外、姫がこの世界で生きる
それでも精霊たちがユタを見限るようなことはないと思いながらも、ノワールはちいさくあくびを浮かべ、体をまるめた。
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