6・辺境の田舎屋敷・6


 ヤーユーに背中に揺られながら、ユタとノワールが田舎屋敷カントリーハウスに戻ったのはすっかり日が暮れた頃だった。精霊の力を借りた代償……ではなく、普通に年相応に体力がなくなっていたからである。


「着きましたぞ、お嬢さま」


 ぼんやりとした眼でユタはまわりを見わたす。温かいヤーユーの背中が気持ちよく、揺れも最小限であったため、思わず船を漕いていた。


「お嬢さまッ!」


 門構えから見知った声が聞こえ、ユタはそちらを見る。


「――ユイ」


「おかえりなさいませ」


 しっかりと頭を下げるメイドは、ヤーユーからあずかり受けるようにユタを優しく自分のところへと抱きかかえた。


「屋敷のもの一同心配しておりました」


 ユイは地面に降りていたノワールを見下ろす。


「なにか言いたげだね?」


 文句のひとつくらい聞いてやろうとノワールは見上げながらたずねる。


「いえ……、状況から察するにすこしばかり危険があったと思われます」


「さすがは――と、ここで話すのもあれだ……。ククルは戻ってきてるのかい?」


 聞かれ、ユイはうなずいてみせる。


「旦那さまと奥方さまはすでに戻られています」


「――子供たちは? 特にロイエだ」


「ノワールさまの治癒が早々だったことが功を奏して、村に着いてからは気を失いましたが幸い命に別状はございませんでした」


 聞いて、ノワールはふぅ……とため息をもらす。一番の懸念材料がそこだったのだ。


「治癒魔法っていうのは、外からの魔力で相手の自己治癒力をうながすのが通例だからね。逆に言えば相手の自己治癒が弱くなっていたらたつものもたたなくなる」


「お見舞いは、明日にしたほうがよろしいでしょうな」


 ヤーユーはユイに抱かれたユタを見る。


「……パパたち――怒ってない?」


 その言葉は年相応のものであった。いくら中身が18歳の少女とはいえ、前世での、両親から愛されなかったトラウマもあってか、こと両親のことになると不安のほうが自分の心配よりもまさってしまう。


「まぁこんな時間まで外にいて、しかも多少なりともケガをしているんだ。怒られるか叱られるかのどっちかでしょ」


 ノワールはユイの肩に乗ると、ユタの頬を薄っすらと伝っていた雫を舐め取った。


「危険な目に遭わせてしまったな」


 食堂にはすでに夕食の配膳が済まされており、献立は鶏肉の入ったシチューと、屋敷の厨房で焼いたふわふわなパン。


 領内で採れた野菜のサラダが盛られたちいさなボウルが、ククルとアンナ、ユタの三人のトレイにのせられている。


「ガイストから話を聞いた。村の近くの野原でヒグマがあらわれたと、明日村の男集で捜査に出る」


「一応そのヒグマは倒したからいいけど。やっぱり突然変異……とは言えないかな」


 ククルは、テーブルの上に立っているノワールを見すえる。


「それはどういうことだ?」


「考えてもみなよ。人間っていうのは自分が強くなろうとするあまりより強い魔力を欲するものだ。これは本能的なものだから文句は言わない。逆に動物っていうのはそれ以上の魔力は欲さない……この意味がわかるかい?」


「――太るから?」


 ユタが首をかしげる。魔力を消費することで倒れるのだから、それを補うためにいろんなものからそれに含まれた魔力を摂取している。


 言い換えれば、ユタが生前いた世界で言うカロリーがそれに該当する。


 一日に最低限のカロリーが消費されることで、人は痩せにくくまた太りにくくなる。


 無論それを補うために摂取しなければいけないのが食事だ。その食事によってカロリーや他の栄養素を摂取して人は生きながらえており、動物もそれは同じこと。


「つまり……今回の件は摂取しすぎた魔力が暴走して、こちらに降りてきたか」


「あるいは、ヒグマの生息地に妙なことが起きているかだね。普通だったらここらへんは辺境とは言え魔物が飢えるような枯れたところじゃないしね」


 言って、ノワールはユタのトレイに載せられているシチューの皿の縁をちょいちょいと爪を当てる。


「ほしいの?」


 ユタは、シチューの鶏肉を一欠片、ノワールの口に入るように細かくスプーンで押し切る。スッと入り簡単にほぐれる。


 それを手のひらにのせ、ノワールの口元に添えた。


「熱いから気をつけてね」


 舌で鶏肉をぺろりと舐め取ったノワールは、


「ほふほふ」とすこし温かい鶏肉を食す。


「このシチューに使われている鶏肉だってそうさ。これは先日ククルが近くの森で仕留めた鳥の魔物の肉だろ?」


 聞かれ、ククルはうなずいてみせる。


「動物っていうのはおなかがいっぱいになればそれ以上は食べ物を摂取しない。それに生態を崩さないようにするのも領地を任された人間の仕事だ」


「――そうか、食物連鎖から考えて、おなかが満腹になればあのヒグマが人のいる場所に出現することはなかった」


 鳥や小動物が草や虫を食べ、その鳥や小動物をクマなどの大きい生き物が食すことでその領域の生態バランスがよい。


 小動物ほど子孫繁栄が盛んなのは、いわずもがな子孫を残すためだ。


 人間はその領域に手を出してはいるが、もちろんバランスを崩せば食物連鎖はすぐに崩壊する。


「あの様子から見て、かなり飢えていたってことになるね」


「しかし、先日の調査では例年とさほど変わっていなかったぞ」


「それはいつ頃の話だい?」


 ククルはシチューから鶏肉をスプーンで掬い取り、


「この鶏肉が捕られたころ――おおよそ一週間くらい前だな」


「つまり、その一週間のうちになにかがあった」


「父上、領地に入った人は?」


「行商人と王都からの定期連絡をするための飛脚くらいだ――どちらも身分証がないと入れないようにしている」


「魔の森に入るには、かならずこの村を通らないといけないからね」


「――なんで?」


「危険だからだよ。あの森は攻略されていないって今日話したよね?」


 聞き返され、ユタはうなずく。


「王都を中心とした四方の辺境それぞれに不可侵領域セイクリッドっという場所があり、言い換えればいまだに攻略されたことのない最難度のダンジョンが存在している」


「攻略されたことがないから不可侵領域セイクリッド――」


「攻略されないというより、攻略できるのは魔王とか勇者の強い魔力を持った人外レベルくらいだよ。普通の冒険者ならその中腹を歩くのですらやっとだ」


「しかも他のダンジョンに比べると漂う魔素が濃いため生息する魔物の力も強い。とはいえダンジョンのルール上、強い魔物は外に出ることはない」


 それを聞いてユタはけげんそうに首をかしげた。


「ダンジョンの魔物は栄養を欲さないからだよ。倒されてもダンジョンの中の魔素になってコアの栄養になる。そしてその分が倒した冒険者の不足した魔力に変換される」


「つまり、ダンジョンの中に人がはいると、その人は自動的に魔力をダンジョンから取られて、そこに魔物が出てきて倒したら、その魔物を作ったダンジョンの魔力を人間が摂取している……ってこと?」


 ノワールは、コツコツとユタのシチューザラに爪を当てる。ユタは今度は人参をノワールに、食べやすい大きさにカットして食べさせた。


「そうやって人は力をつけていく。もちろん普段でもそれなりに運動をしているから魔力を消費するけど、食事をしたり睡眠を取ることで魔力を養っていくんだ」


「――でも、ユタは……あの時シルフの力であのクマを倒せたんだ。今度だって――」


 あの時、ヒグマを倒したのは魔力があるからだとユタは希望に満ちた声で言った。


 それをノワールは一蹴するように、


「勘違いと、思い上がりをしないほうがいいよ姫。君は子供たちより魔力が低いんじゃなくてそもそもの魔力がないんだ」


 と言い放った。


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