3・辺境の田舎屋敷・3
「ではお嬢さま、今日はしっかりと座学を務めてもらいますよ」
ユタはそのテーブルに座り、対面するようにメガネを掛けたユイと同じメイド服を着た女性と対面している。
「よ、よろしくお願いします」
ちいさく頭を下げるユタに、メイド――マーレファはちいさく笑みを浮かべると、うしろに立てていたちいさな黒板にチョークでよっつの記号を書き出した。
「この世界は『地水火風』という四つの大元素のそれぞれを司る四柱の神がバランスを保っており、日の女神が朝と昼を、月の女神が夜の世界を守っています」
マーレファの説明を聞きながら、ユタは、
(つまり魔獣が活発に動くのは夜の時間帯ってことか)
と思考に
「昼は比較的おとなしめな魔獣たちが活動をしていますが、夜は一転して凶暴な魔素を纏った魔獣が活発に行動を始めますので――」
ユタの考えどおり、マーレファはそのことを説明するが、上の空であるユタに向かって指し棒をテーブルで叩くや自分のところに注目させた。
そのつんざく音におどろいたユタは背筋を伸ばしマーレファの方へと意識を向けた。
「ですのでお嬢さま? くれぐれも夜のうちに森の中へ入らないよう心得てください」
とちいさく笑みを浮かべながら睨みつけた。
「それと人の話はちゃんと聞きましょうね」
「あ、はい」
ユタがそう答えると、マーレファは座学を再開した。
――しばらくして……、
「それでは今日の座学はここまでにして、子供は外で元気に遊ぶのが一番ですよ」
時間にして四時間の授業をしっかり終えたユタに、マーレファは頭を下げる。
「ありがとうございました」
それを返すようにユタは姿勢を正しマーレファに頭を下げた。マーレファは笑みを浮かべ部屋をあとにする。
部屋の中で残されたのはユタと――、
「つまらない勉強は終わったのかい?」
となまけたような声あげるように、ノワールがひょっこりとテーブルの下から顔を出した。
「いるとは思ってたけど、もしかして寝てた?」
「ボクからしたら皆が知ってるような話だったからね。もう何百年も聞かされてる気がするよ」
ノワールはあくびをするようにからだを伸ばす。
「それにボクは姫のお守りだよ? 近くにいないほうがおかしいでしょ?」
それはたしかにと思いながら、ユタはテーブルの椅子から降りるや、自分が手の届く範囲の本を無造作に取り出すやパラパラッとページを巡った。
「姫はホント本が好きだねぇ」
ヒョイとテーブルの上に飛び乗り、体を丸くするノワール。
「好き……っていうかそういうのってあんまり意識したことないけどね」
それでもノワールの言う通り、本が好きなのは否定ができないと、ユタはちいさく笑みをこぼす。
ユタはゆっくりと――本に目を通していく。
(ユタからしたら、ここはいい場所だ)
ゆっくりと思考は幼い少女――ではなく、高校生の、大人ともましてや子供とも云えない曖昧な年齢の少女へとうつりかわっていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
思考の世界は現代の日本であった。マンションの、1LDKのちいさな部屋が浮かびあがる。
ユタの前にはひとりの、太っちょな男性がいた。
「ユタ。今日はお前の大好きなハンバーグだぞ」
その声はやわらかくあたたかい。見た目は高身長で恰幅の良く短髪の男性。
泥臭そうでかっこいいとは言えないが不快にはならない違う魅力がある。
「わーい、ありがとう
少女――ユタは目の前のハンバーグに目を輝かせる。
「お前はもう高校生なのにホントオレのハンバーグ好きだな」
青年――シンジは義妹がはやく食べたそうな笑顔におもわず笑みをこぼす。
「お店のハンバーグも美味しいけど、ニーニーのハンバーグはそれとは違う美味しさがある」
ユタはちいさく手を合わせ、ハンバーグを箸で切り分け、それを口に運んで頬張る。
すこし大きめな肉塊の上にチーズがとろりと溶けていた。
「そういえばお母さんは?」
「今日も遅くなるみたいだ――」
ユタと対面しお茶を一服していたシンジの顔が曇る。
ユタは子供ながらに気づかないようにしていた。
大人はバカだ――。
それがユタが結論つけた答え。
自分と目の前の義兄との血の繋がりがないとはいえないが半々である。
言ってしまえば
大人はバカだ――。
その母親もユタが生まれてからしばらくは母親らしく子育てに奮闘しており、一回り年の離れた、シンジもそれに協力していた。
大人はバカだ――。
だがユタが小学校に進学するころには、母親は外で男を作っていた。
そして何度か男を、兄妹がいない時間帯を狙って家にあがらせあろうことか世迷いごとをしていた。
シンジはそれを何度も見ており、……実際は直接目撃したわけではないが年相応に察していたともいえる。
ユタもシンジの母親に対する不信感を子供ながらに感じ取っていたが、どちらの味方をするべきかはっきりとしていなかった。
大人はバカだ――。
ユタが中学に上がる頃にはすでに男を平然とした顔で家にあげていた。
その男はいうなれば半グレであり、いつもタバコと酒をせびってはシンジに難癖を点けていた。
「お前は他所の家の人間だろ?」
シンジは実際そうなのだから文句は言わなかった。
もちろんそれを言う男のほうが他所の家の人間ではある。
「それに比べて、ユタは賢いな」
ちょうど寒い夜であったため、マンションのリビングには四人が囲む形でちいさなこたつテーブルが置かれており、男はユタのちょうど目の前に座っていた。
――気持ち悪い。
男の舐めるような視線がユタの全身を見る。
――気持ち悪い。
男は母親と談笑しているが、その目は母親ではなく自分を見ている。
――気持ち悪い。
寒気と悪寒が交互に体を震わせる。だがそれ以外になにもされていないため口をだすことができない。
「しっかし、いったいなにを食べたらこんなに大きくなるんだよ?」
男はユタを見る。それこそあからさまに舐め回すように。
「おい、ユタが嫌がってるだろ?」
シンジが男に一喝する。
「おっ? なんだおまえ? オレに文句でもあるのか?」
「そうよシンジ。ごめんねこの子言う事聞かなくてさぁ。いつも手をこまねいてるのよ」
母親の猫撫で声にユタは嫌気が差す。
「そうかそうか。やっぱりお前の言うクソ旦那が捨てていったやつだからな」
男はカカカと笑い飛ばす。ユタは男を睨みつけながらも、シンジが心配になりそちらを向いた。
シンジは黙々と食事していた。うつむいた目で――血迷った目で……。
「ニーニー、大丈夫?」
「んっ? あぁ大丈夫だよ? 大丈夫――」
そう答えるシンジだったが……ユタはその言葉が違うものに聞き取れてしまい、なぜか不安を駆り立てていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「大人は――」
「姫……」
本棚に背中をゆだね、座り込んで本を読んでいたユタは、黒猫の呼びかけにハッとする。
「ノワール? ユタ、また変なこと言ってた?」
ユタは目をパチクリさせ、まわりを見わたす。
いつの間にか自分の膝に前足を乗せているノワールを見ると、ノワールはうなずいてみせた。
「――お兄さんのこと思い出してた?」
ノワールの声は柔らかく優しい。
「うん……」
目をこするとうっすらと濡れていることに気づいたユタは、ゆっくりと呼吸をととのえる。
「怖い夢だった?」
「怖い夢……だった気がする」
自分がなにものなのか……ユタはこのおさない体が自分のものではなく、別の人のものだと自覚している。
「でも忘れないでねユタ……、その
ユタはノワールの口にちいさな人差し指をあてがう。
「だめだよノワール。ユタがいた世界にこんな言葉があるの」
「
「壁に耳あり障子に目あり。隠れて話していても誰かが聞いているから無闇に口にしてはいけないって戒め」
ユタは優しく告げる。
「それにこれはユタとノワールしか知らないでしょ?」
「――今のところはね」
「だったらそれでいいんだよ。この子を愛してくれているパパとママを――身勝手だけど、私が変わりに――今度こそ……」
ユタはゆっくりと立ち上がり、読んでいた本を棚へと戻す。
そして部屋をあとにしようと廊下に出る。
ユタはちいさく、
「親に愛されたい――」
と――、懇願するようにつぶやいた。
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