龍神様の靴下
平本りこ
第1話
龍が鳴いている。
そそり立つ黒い断崖。岩場に寄り添うように架けられた橋から身を乗り出し、
先ほどまでは、遠く地平線には富士山が浮かんでいた。今や空は重く立ち込めた雲に浸食され、
晴天であれば散策が可能な岩礁にも、今は誰一人として姿がない。本日は休日、しかも世間はクリスマスで賑わう時期。溢れ返るような人の影はいったいどこへ消えたのか。
白波が岩に打ち付け、飛沫と轟音を撒き散らす。龍の咆哮だ。将はそう思った。
ごうごうと鳴る嵐の海。その勇ましい音楽の中に、人の声が混ざったように聞こえ、将は欄干に手を突いて、上体を海へと近づけた。
「……
消えた幼馴染を呼ぶ。その声は呆気なく、海に吞まれて行く。
将は、拳をきつく握る。愛奈は、天女を求めた龍に連れ去られたのだ。この暗い海の底に。
連れ戻すには、龍を追うしかない。
※
――三日前。
「将。今週末、一緒に江の島に行かない?」
江の島。神奈川県の
昔、あの辺りでは
そんな折、突如大地が鳴動。大地震の後、人々が海を見てみると、一つの島が現れていた。江の島だ。
天変地異を眺めていた五頭龍は、天から島へ、美しい天女が舞い降りたのを見る。あまりの美しさに一目惚れをした龍は、天女に求婚するのだが、かねてより人間を苦しめてきた龍のこと。天女は求婚を断った。
それでも諦めきれない龍は、幾度も天女を訪問する。やがて龍は、持てる力の限り人間を慈しみ守護することを誓い、晴れて二人は夫婦になった。
時が経ち、力を使い果たした龍は対岸に渡り、人々を永遠に見守るために山へと姿を変えたのだという。
だから江の島には、龍と天女の愛に
デート、そう、これはデートのお誘いなのか? そういえば今週末は、クリスマスのはずだ。
「ねえ将、聞いてる?」
将の顔を覗き込むのは、来年から大学に通う年齢とは思えないほど、小柄で幼い顔立ちの女子。同い年の幼馴染、愛奈である。
「聞いてる。何で急に」
「何でって……。ええと、それはね」
急に口ごもり、何やらもじもじと左右に揺れる愛奈を見て、将は胸に意外な感情が浮かぶのを感じた。
愛奈とは家族ぐるみの仲である。幼少期から兄妹のように共に過ごしてきたため、男女のあれやこれやという情はないのだが、もし愛奈が本気でデートに誘っているのであれば、その時は……それもありかも知れない。
生来お気楽な
「し、仕方ねえな。行ってやるよ」
「え、ほんと? ありがとう。さすが将!」
「いや、それほどでも」
何がそれほどなのか、自分でも良く分からないのだが、瞳を輝かせて手を叩く愛奈の嬉し気な顔を見ていたら、細かいことなどどうでも良くなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます