第102話 運命の日①(ソフィーと王太子)

―ソフィー視点―


 なんで。どうして。ここにいるの。

 一番会いたくて、一番会いたくない人と出会ってしまった。

 あきらめようと思っていたのに。このまま、気持ちを全部、心の奥深くにしまっておくつもりだったのに。


「殿下……」

 私はいつものようにベンチに座っていた彼に声をかけてしまった。


「こんにちは、ソフィー」


「どうして、ここに……」

 こちらの問いかけに対して、彼は優しそうな笑顔でぽつりと言葉を漏らした。


「ここにいれば、君に会える気がしてね」

 それはまるですがるかのようにこちらに迫っていた。


「言いましたよね。私は、グレア・ミザイルの婚約者だと……」


「ああ、聞いた。でも、自分の気持ちに嘘はつけない」

 ふわりと、彼は立ち上がり、私に近づいた。思わず後ずさりするも、彼は関係ないとばかりにやや強引に私に近づく。


 そして、力強く肩をつかまれた。


「殿下、やめてください」

 かろうじて、拒絶の言葉を向けるが、彼は話してはくれなかった。


「せめて、少しだけでも話を聞いてくれないか」

 このまま、誰かに見られたらどうしようか。それが一番怖かった。変な噂が流れてしまったら、お互いに不幸になる。


「わかりました。わかりましたから、少し落ち着いて」

 私が仮に納得したことで、彼は安心したように手を震わせていた。


「ここで話すことでもない。俺の部屋に来てくれないか」

 一瞬、拒絶感を示そうとしたが、そうするしかないと観念する。なぜなら、彼はこの国の最高権力者の息子。女子寮に案内するだけで、大きな問題が生じる。


 いくら、殿下でもさすがに公爵家の婚約者に何かするわけがないという確信もある。


 私は、不安な色を多分に含んだ表情で、うなずいた。


 ※


 殿下の部屋は、貴族学校の中でも特別だ。豪華な調度品。通常の学生の部屋よりも数倍大きな部屋があてがわれていた。


「どうだ、ワインでも飲まないか?」

 殿下は、部屋に隠していたワインを取り出した。本来は、学生が寮に酒を持ち込むなんてことは許されない。王族の権力の強さがよくわかる。


「いえ、ワインはあまり得意ではないので」

 あの苦みのせいで、かなり苦手意識を持っている。


「そうか。なら、これはどう? 貴腐ワインだから、甘くて飲みやすいよ」

 私は難色を示して、言葉に窮するようにうつむいたが、彼はそのままグラスに注いでしまった。こういう、強引なところは……


「とりあえず、座って」

 隣の席を示された。でも、私は向かいの席に腰を下ろした。殿下は、少しだけ苦笑いする。


「そんなに警戒しなくても。ただ、話すだけだから、何もしないよ」


「それでも、最低限のラインは引かせてください」


「そういう、真面目なところも尊敬しているよ。ああ、構わない。ワインも残してくれて構わない」

 そう言われてしまうと、少しだけ申し訳なくなってしまう。


「殿下、お話を……」

 でも、自分の立場を考えて、ある程度、突き放した言葉を向ける。彼は、悲しそうな顔をした。


「そうだね。本当に、自分の不運を呪うよ。僕はね、ずっと孤独だった。父上は厳しい人で、変なことをすれば暴力だって振るわれた。僕にすり寄ってくる人たちも、なにか思惑がある人たちだけ。誰も味方がいないんだ。ソフィー、君と一緒さ」


「……っ」

 思わず言葉を飲んでしまう。かける言葉が見つからない。元敵国出身の私は、この貴族社会でずっと差別を受け続けていたから。


「だからこそ、本来なら、僕は君と一緒になるべきだった。グレアよりも僕のほうが、政治的な意味だって大きくなるし、君を差別から救うことだってできたはずだ。グレア以上にね」


「……」

 一瞬、心が揺さぶられた。もし、そうなっていたら……

 私も幸せだったはず。


「だから、せめて、少しだけでも思い出が欲しいんだ」

 彼は立ち上がり、こちらに近づいてくる。まずい。それはだめだ。私は、グレアを裏切るわけにはいかない。


 立ち上がって、少しでも距離を取ろうとする。

 殿下は、追いついて無理やり私を抱きしめた。


 彼の大きな身体に包まれる。一瞬、理性が負けそうになる。感情の暴走を無理やりとどめた。


「やめてください」

 思わず、殿下を突き飛ばしてしまった。彼は姿勢を崩して尻もちをついた。やってしまった。いくらこちらに正当性があっても、不敬罪と言われて、処刑されてもおかしくない。


 血の気が引いていく。ショックで動けなくなってしまった。そして、そのチャンスを彼は逃さなかった。


「大丈夫、こんなことで大事なソフィーを罰するわけがない。頭では拒否していても、身体は受け入れてくれる。勝手に好きになることくらい許してくれよ」

 身体はがっちりつかまれて逃げることすらできなくなる。そして、彼の顔がゆっくりと近づいてくる。恐怖で目を閉じる。それを彼は受け入れる意思表示と勘違いしたのかもしれない。


 そして、私はゆっくりと唇を奪われた。

 初めてのキスの味は、渋いワインの味がした。

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