第79話 器(浮気婚約者視点)
―ソフィー視点―
なに、どこから声が聞こえているの?
もしかして、この極限状態で私の頭がおかしくなったの。
こんな場所に人語がわかる存在なんているわけがない。ここは熟練した冒険者すら到達することができない最悪のダンジョンの15階。このフロアに来ることができる人間なんて、王国の重臣でここまでの経路がわかっている人か、最強レベルの冒険者だけ。
そんな都合よくいるわけがない。
「誰なの? あなたは?」
『ふふ、お前も私の声が聞こえるのか。お前に向けられた言葉ではないんだがな。まぁ、いい。私が気になるのは、女、お前じゃない。脇にいる男だ。どうやら、こいつは最愛の女を奪われて、精神が崩壊しているようだな』
最愛の女が自分ではなく、妹のローザということにわずかに傷つく。
いや、そうじゃない。今は生き残ることに全力を尽くさなくてはいけない。
「王太子が気になるの?」
『やはりか、この男は王族なんだな。いい器を見つけた。絶望して、心がからっぽになっている。こいつは最高の素材だ』
「あなたは一体?」
恐怖心も感じながら、すがるように問いかける。
『私がこのダンジョンに巣くう残留思念。冒険者や生贄、魔物たち。この場所で
「悪意の集合体ですって……」
普通なら自分の頭が死の恐怖でおかしくなったと思うだろう。
だが、悪意なら希望でもある。私の人生は悪意によって狂わされた。なら、他者の悪意と、私は似ている存在かもしれない。
『ああ、そうだ。この場所は悪意によって作られている。最初からそうだったんだ。ここは理不尽にすべてを奪われた者たちの希望だ。歴史という強者の理論に抗うために作られた弱者の希望。本当の歴史は、この最奥にある。だが、人の悪意によって、それはゆがめられて、今の腐った世界が存在している。この王族は、良い器になる。血筋だけはいいからな。女? お前はこの男を愛していたのだろう? お前が決めろ。愛している男の精神を犠牲にして、自分が生き残るのか。それとも、お前たちのかりそめの愛に
「どう、いうこと?」
力なく問いかけると、笑って謎の存在は話しかけてくる。
『自分の命を優先するのか? それとも愛した男と一緒に心中するか、だ』
嫌味な声が聞こえる。自分が死ぬのは怖い。怖すぎる。ならば、わらにもすがる気持ちで選ばなくてはいけない。それが王太子を犠牲にするものであったとしてもだ。この男は、結局私なんて愛していなかったのだから。
「こんな男と一緒に死ぬなんて嫌。私は死にたくない」
『ふふ、お前も面白い女だな。かつては、婚約者よりもこの間男を選んだくせに。都合が悪くなれば、その男すら捨てるのか。気に入ったぞ。お前には、孤独が似合う。たとえ、この場所を脱出したとしても、永遠に一人で生きるがよい。それがお似合いだ』
一瞬、「ぞっ」とした。しかし、死の恐怖に比べれば、そちらが
「いいわ。この男なんて知ったことじゃない。だから、助けて」
後悔すらなく、私は王太子を切り捨てた。
『よかろう。ならば、この何も残っていない身体をもらい受ける』
悪霊がそう言うと、王太子は苦しみ始めた。
「やめろ、何だお前。俺が次期国王の……嘘だ、妹が俺を裏切るなんて……ローザ、愛していたのにぃ、お前は俺よりもグレアを選ぶのか。ソフィー。お前もか。お前は保身を優先して、俺を……嫌だ死にたくない。心が……俺の物じゃなくなる。大事なものを全部奪われて、心すら悪霊に
殿下は突然狂乱し、身体をゴロゴロと動かし始める。
「何をしているの?」
『この男の心を完全に殺すんだよ。今の自分の状況を自覚させて、絶望によって、心を粉々にしてしまうんだ。そうすれば、この男の身体はただの器になる。この男には何度も死んでもらうくらいの苦痛を受けてもらうのだよ。心を完全に壊して、廃人にするために。お前が選んだんだろう。ならば、見届けろ』
「いいわ。殺して。そんなクズ男早く殺して。そして、私を助けなさい。王太子の身体を使えば、こんな国、思いのままよ。私とあなたですべて全部、思いのままよ。まずは、国王の討伐よ。あいつは、叩けば
「ソフィー、お前もかぁ!!」
「何を言っているの? 私の最初の幸せを壊したのは全部あなたじゃない!! さぁ、人形になりなさい。あとは任せて。私たちは王宮で、反逆者の国王の真実を告発し、本当の英雄になるの。そして、この国の頂点に立つ!! だから、早く死ねぇ。このクズ王子!!」
「おのれぇええぇぇっぇええええ。この淫売がぁ。死にたくないぃぃぃぃいいいいぃぃぃぃぃ。嘘だろ、この国は……祖先が……ったのか? じゃあ、俺たちは。真実の後継者……そういうことか。俺は、偽物だったんだな。いやだ、王族も妹も全部失って道化になって、人形になるなんて。死にたくないぃぃぃぃいいいいぃぃぃぃぃ」
王太子の断末魔がフロアに響き渡った……
――――
(作者)
次回の更新は3月28日の火曜日を予定しています。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます