第69話 開戦

 俺は、転移結晶を使って、ダンジョンの外に出た。

 州都まで一気に戻った。あのダンジョンの近くから一刻も早く離れたかった。


 ※


「グレア、私は今でもあなたを愛しています」


「いや、いやよ。待って、グレア。おいていかないで。私は、あなたを……」


「どうして、私はこんなにあなたを愛しているのに」


 ※


 さきほど、浴びせられた呪いの言葉が脳内に響き渡る。あの言葉は、俺にとって忘れられないトラウマになった。どうして、あんな風に言えるんだ。本当に悪いのは俺なのか?


 そんな錯覚が頭から離れない。このままでは自己嫌悪が心を支配する。絶望感のようなものが俺の身体を包んだ。


「おかえりなさい、センパイ」

 合流地点にはナタリーが待っていてくれた。彼女は両手を胸の前で組んで、祈るような形で俺をずっと見つめている。ずっと待っていてくれたんだな。ソフィーという俺にとっては日常の象徴だった女性からあんな言葉を言われてショックだった。俺の数年間は本当の意味で無駄だとわかったから。


 でも、その負の感情をナタリーがいやしてくれる。


「ごめん、ナタリー」

 俺は婚約者に抱きついた。ごめん、ソフィーを説得できなかった。彼女を許すことができなかった。彼女を断罪させるようなきつい立場をお前には背負わせてしまった。俺たち3人の幸せな日常を守ることができなくて、ごめん。


 あいつと話している時、後悔はずっと心に巣くっていた。王太子の悪行を気づいてやることができたら、こんなことにはならなかったのに。


 わかるはずはなかったのに、後悔だけはずっと心に残っている。


「大丈夫ですよ、謝ることなんてないんです。一番つらい思いをしたのは、私じゃなくて、ソフィーさんでもなくて、グレア先輩あなたなんだから」

 年齢が逆転したかのように、ナタリーは俺を温かく包み込んでくれた。


 その優しい言葉に緊張の糸がぷつりと切れていく。

 俺は世界で一番愛おしい存在を、ずっと抱きしめていた。


 ※


「ありがとう、ナタリー」

 抱擁ほうようを終えて、俺は前に進むために彼女の顔を見つめた。

 どうやら、俺は少しは吹っ切れたらしい。ナタリーの優しくも安心した顔を見て、俺は自分の気持ちを把握する。


「私は、ずっと昔にあなたがしてくれたことを、ただ返しているだけなんですよ」

 そう言って、彼女は両腕に力を込めてくれた。


 そうだ、まだ俺にはナタリーがいる。歩みを止めるわけにはいかない。もう過去に縛られるわけにはいかないんだ。過去に縛られれば、縛られるほど、俺たちに未来はなくなってしまう。


 だから、今ある幸せを優先しないといけない。


「ありがとう、ナタリー」


「違いますよ、お礼を言うのは、私の方です。ありがとうございます、今まで私を支えてくれて。だから、私は力になれなくても、そばにいさせてください。私じゃ力になれなくても、痛みを共有するくらいはさせてください」

 俺とソフィーに何があったかくらい頭がいいナタリーにはすぐわかるんだろう。

 何も言わず、同じ時間を共有してくれる彼女の存在がどんなにありがたいか。俺はもう一度彼女に抱きつく。

 

「少しだけこのままでもいいか?」


「大丈夫です。私たちは大事なものを失いました。少しだけ立ち止まるくらいは、神様だって許してくれますよ。私なんてあなたに会わなければ、今でも立ち止まっていたんですからね」

 このすべてを共有しているはずの心が俺の心を癒してくれる。

 ナタリーだってつらいはずなのに、長い時間、俺のために歩み寄ってくれた。


 ※


「みんなは?」

 彼女の優しさに癒された後、俺はそう聞いた。ここにいるはずの父上やオーラリア、アカネがいなかった。

 

 何かが起きたのかはすぐに分かった。

 ついにその時がやってきたんだ。


「つい、先日です。セバスチャンさんから連絡がありました」

 こわばった笑顔を浮かべながら彼女は淡々と事実を報告する。


「王国軍がついに王都を出陣しました。国王自ら率いる王国軍は、公爵領へと向かっています。みんなは、その対応に向かいました」

 ついに、内戦が勃発ぼっぱつしたんだな。


 ※


―1日前、州都(公爵視点)―


 いよいよ、戦争が始まる。セバスチャンの報告で、私は覚悟を固めた。息子を助けることができた。領主としては失格かもしれないが、父親としてはやっと正解の行動をとることができた。


 グレアたちとナタリーを残して、我々はここを離れる。すぐに領地に帰還して、対応を行わなくてはいけない。


 ここを離れる前に、会わなくはいけない人物と密会する。

 こんなことがなければ、会うことはなかったはずの人物と。


「あらあら、反乱の首謀者が、こんなところでお酒を飲んでいていいのかしら? ブランスタインのファイネスト。公爵閣下が飲むには、ずいぶんと安酒ね」


「好きな酒を飲むのに、立場が関係あるかね?」

 彼女は数十年前と変わらないほど若々しかった。


「ないわね。私も一杯もらうわよ」


「ああ、構わないよ。キミと私の関係だ。遠慮はいらない」

 彼女はどこからかグラスを取り出すと、ブラウンの酒を注いでいく。

 相変わらず酒が強いらしい。一気に飲み干していた。


「それで、何年も顔を見せていなかった旧友のキミが何の用だね?」


「あら、ご子息をうまく足止めしていたのは私よ。感謝してほしいくらいだわ」


「キミの方が、私に借りがあるんじゃないかな?」


「それもそうね」

 彼女は笑いながら、2杯目の酒を注ぐ。


「会わなくていいのか、として?」

 禁断の言葉を発すると、少しだけ苦虫をかみしめたように……


「今頃、母親面して、子供を苦しめるだけじゃない、違う?」

 という言葉が返って来た。だが、彼女の存在は、今後の内戦で切り札にもなる。

 

「協力してくれないか?」

 その言葉を聞いて彼女は涼しそうに笑った。

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