第68話 決別

 ソフィーの言葉を聞いた時、心はぐちゃぐちゃに乱された。

 あの誰にでも優しかった彼女の元からは誰もいなくなってしまったという憐れみは感じた。それは嘘ではない。そういう選択をした元婚約者へ複雑な気持ちを抱く。


 だが、一番驚いたことは、彼女からの愛の告白に対しては、単なる同情心よりもはるかに大きく拒絶感を強く抱いてしまったことだ。たぶん、数か月前なら幸せを感じたであろうその甘い言葉は、今の俺にとっては地獄から伝わった「呪いの言葉」にしか聞こえなかった。どうして、ここでそんな言葉を発することができるんだ。ある意味恐怖すら感じてしまう。


 やはり、俺の中ではもう彼女との関係は完全に破綻しているんだ。そう強く自覚させられた。立場や時間軸が違えば、最高の幸せをおぼえたはずの言葉が、今の俺にはただ重荷にしか感じられない。


 そして、誰にでも優しく凛々りりしかった俺の元婚約者は、完全に死んだ。その事実が突きつけられた、今の目の前にいる女は、ソフィーの皮を被った別人だ。心は砕かれて、自分の事だけしか考えられなくなっている哀れな悪魔。彼女をこうした王太子への恨みを強く感じる。だが、もう俺にはどうすることもできない。


「俺の知っていたソフィーは、完全に死んだんだな」


 思わず言葉にしてしまった拒絶の言葉に、彼女はうつむきながらかろうじて聞き取れる大きさでつぶやいた。


「あなたの知っていた昔の私が偽物なのよ」

 すべてを否定する彼女の言葉に、心がきしむ。だが、俺の考えを変えることはできない。もう、戻れる場所ではないんだからな。ここに彼女がいなければ、もしかしたら許すことができたかもしれない。だが、ソフィーは、守護竜がいるはずのこの場所まで王太子と一緒に来ていた。この事実はもう何も隠すことができない。


「そうかもしれない。結局、俺たちは、あんなに長く一緒にいても、お互いのことがわからなかったんだな……」

 虚しさだけが残る。

 そして、真実を伝える番だ。深呼吸して、今度はこちらの言葉を伝える。この言葉を発すれば、俺たちの関係は完全に終わる。それがわかっていて言葉はつむがれる。


「都合が良すぎるんじゃないか?」

 思った以上に冷たくなった言葉だった。


「えっ?」

 ここで拒絶の言葉が出たことは、彼女の予想外だったんだろう。俺は続ける。すべてを覚悟したうえで。


「俺や大事な人たちを殺そうとして……ナタリーや父上のことを苦しめるだけ苦しめて。守護竜が死んだと分かったら、王太子を捨てて、こちらに乗り換えようとする。この世界は、お前の論理だけでできているわけじゃない。ソフィーが一体何をしたいのか、俺にはわからない」


「なんでそういうことを言うの?」

 

「それは俺のセリフだ。どうして、俺たちのことを信じてくれなかったんだ。どうして、俺がいなくなったあと、ナタリーや父上に相談してくれなかったんだ。どうして、俺の大事な人たちを追い詰めて殺そうとしたんだ。お前はさっきから肝心なところを答えてくれない。答えようとしないっ」


「それは――」

 俺は時間的な猶予ゆうよを与えた。もしかしたら、彼女は俺に正解を用意してくれているかもしれない。はかない夢は、沈黙によって潰される。


 長い時間が経った。やはり、彼女は言いよどんだままだった。なにか言って欲しかった。だが、沈黙が彼女の答えなんだ。


 一番悪いのは王太子だ。それはわかっている。

 だが、どうしてここまで事態を悪化させてしまったんだ。さっき、ソフィーは自暴自棄と言った。わからなくはない。もし、彼女がただの友人だったら、素直に同情しただろう。でも、彼女が元婚約者で、自分の家族や恋人をソフィーが殺そうとしている今の状況で、そんなことは言ってられない。


「ソフィー、俺とお前はもう敵同士なんだ」


「待って、グレア」

 すべて決裂して、俺はこの場を後にしようとする。転移結晶がないこいつらをここに放置すればどうなるかなんて、明白だ。だが、助けてやる義理なんてない。下手に助ければ、大事な人たちが殺されるかもしれない。かつて、愛した婚約者は敵になってしまったのだから。俺にできることは、こうならない運命があったんじゃないかという可能性にすがるだけ。


「離せよ。俺には、婚約者がいるんだ。婚約者がいる男に、女がたやすく触れるのはルール違反だろ」

 そう言って、彼女の手をはたき落す。

 ソフィーの表情が絶望に落ちていく。


「婚約者……まさか、ナタリーさん? どうして? なんでここで? もしかして、昨日噴水の近くで見た……は本当にあなたたち2人だったの?」

 目に見えて動揺する彼女のことを憐れみを持った目線で一瞥いちべつし、俺はこの場から離れようとする。


「お前に言う義理も義務もない」


「いや、いやよ。待って、グレア。おいていかないで。私は、あなたを……」

 悲痛な声を背中で聞きながら、俺は転移結晶を発動した。

 悪女の絶望の声が最後に聞こえた。


「どうして、私はこんなにあなたを愛しているのに」

 彼女の最後の言葉は、最上級の呪いの言葉だった。


――――

次回は3月7日火曜日に更新予定です。

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