第63話 夢か現実か(逆NTR要素アリ)

―ソフィー視点―


 本来なら護衛もつけずに、見知らぬ街を歩くのはまずい。でも、こうでもしなかったらやっていられない。


 だって、じっとしているだけで、殿下に対する嫌悪感のようなものや、かつて自分がいたあの場所へのあこがれに変わっているのを自覚してしまうから。


 戻りたいなんて口が裂けても言えない。私にはそんな資格がない。


 懐かしいにおいがした。ここで思い出せるわけがない香りが、私の心を揺さぶってしまう。


 3人で仲良く過ごしていたあの日常を思い出す香り。


 街の中央では名物になっている噴水があった。この街の噴水は、若い女貴族には有名だ。ノランディの街の噴水で告白したカップルは永遠の愛で結ばれる。そんな噂が流れていた。


 憧れなかったといえば嘘になる。私だって女だ。白馬の騎士のような男性と、そういう素敵なシチュエーションになったらどんなに良かっただろう。


 どんよりとした気持ちで噴水を眺めると、1組のカップルが抱き合っていた。遠目では、顔まではよく見えない。私は思わず目を背けてその場所から逃げ出してしまう。今の絶望的な状況と、幸せいっぱいの目の前のカップルを否応でもなく比べてしまうから。でも、それだけじゃなかった。


 顔まではよく見えないはずなのに、なぜか私はそのふたりがよく知っている顔のように思えてしまった。背格好せかっこうのせい。それとも本人? そんなのありえない。ナタリーさんは公爵領か自分の領地まで帰っているはず。


 そして、男の人が……私の元婚約者なわけがない。グレアのはずがない。だって、彼は私のせいで死んでしまったんだから。こんな悪夢のような状況になって、私の頭はおかしくなってしまったんだろう。これが贖罪しょくざいの気持ちの表れなんて反吐へどが出る。どうして私はこんなに都合がよくできているの。あの指輪が発見された場所は王都の郊外で、彼がこんな遠くの場所にいるわけがない。


 私は自己嫌悪からグレアと彼女の幻影をあのふたりに写しているだけにすぎない。


 そうに決まっている。

 でも、彼が生きていたら?


 罪悪感による圧力で粉々になった心は、復元されていく。


 たぶん、私は……


 彼に会いたくなってしまう。もう一度、あの優しい声を聴きたい。裏切ってしまったことを謝りたい。もう二度と戻れないことはわかっているのに、もしかしたらという希望が心の中にわきあがってしまう。


 ※


「そして、少しだけあなたの気持ちを軽くしてあげます。これが友人として私があなたにできる最後の事。もう私は絶対にグレア先輩を諦めません。彼は絶対に生きている。探し出してみせる。そしたら、もう手放しませんからね」


「最低っ。もう二度と先輩に近づかないでっ!!」


 ※


 最後に聞いたナタリーさんの言葉が呪いのように脳内に響き渡る。もし、彼女の執念が奇跡を起こしたというならば……


 ふたりは神に祝福された次元の運命を持っている。私の付け入るすきなんて一切ない。そもそも、私とグレアが婚約できたこと自体が奇跡だったんだ。本来ひかれあっていたはずのふたりの間を邪魔したのは私。グレアとナタリーさんは、そんな邪魔な私を温かく受け入れてくれた。それなのに……


 私は裏切ったんだ。


 その重大さに戻りかかっていた心は砕かれる。この再生と破壊の苦しみをあと何回味わえばいいのよ。


 後ろを振り返った時、カップルは私の事なんて気にも留めないように、抱き合いを続けていた。


 ※


「――結婚を前提に付き合ってくれないか? 俺もたぶん初恋だった」


「はい、また、ひとりぼっちになっちゃったかと思いました」


 ※


 ふたりの恋は成就じょうじゅしたようだ。

 恋に落ちた様子のふたりは時が止まったかのように動かなくなった。

 

 私の頭はあのふたりをグレアとナタリーに変換していた。

 失恋の絶望に、嫉妬しっと心が燃え上がり、すべてを焼き尽くしてしまう。この世に私なんていらなかった。そう思えてしまうほど、美しい瞬間。私が奪ってしまったはずの大事な時間。


「嫌だ」

 頭をかき乱して、耳を塞ぎ、その場所から逃げ出す。


 たぶん、同じ罰を受けたんだ。グレアもナタリーさんも……

 今の私と同じ苦しみを味わったんだ。


 宿の自分の部屋に駆け戻る。

 

 あんなのはきっと見間違えだ。私がグレアやナタリーさんとの幸せな時間を思い出したから、見せられた脳の錯覚。だって、グレアは死んで、ナタリーさんがこんな場所にいるわけがない。


 頭と心が痛い。グレアを裏切り、ナタリーさんに彼を返すと言ったのに……覚悟していたのに、グレアを奪われる幻覚を見るだけで、私の心は粉々に砕かれるような痛みを覚えてしまう。


「こんなに、私は彼が好きだったの?」

 自己嫌悪とともに、グレアへの気持ちが大きくなっていくのを感じる。

 もう二度と戻れない場所なのに。


 私は自分の荷物から、彼の遺品の指輪と最後にプレゼントとして用意してくれたアクセサリーを取り出す。どうして、粉々になった元婚約者からのプレゼントを業者に修理させたのか今までわからなかった。でも、今ならわかる。


 私は彼を愛していた。それを今になって痛感させられるのは、地獄の苦しみでもある。


 吐きそうなほどの拒絶感を抱きながら、私は自室のベッドにもたれかかって精神の地獄へと落ちていく。

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