第59話 ナタリーとグレア

 ナタリーの怒気を強めた言葉に俺は思わずたじろいでしまう。俺の記憶における幼馴染の後輩は、こんなに余裕がないところを見せたことはなかった。でも、今の彼女は余裕なんてまったくない。年相応の少女のように見える。感情的でいつもの余裕や知性はどこかに消えてしまっていて……


 俺よりもある意味、大人びていて、心にも余裕を持っていた後輩は、いつの間にか女の子に変わっていた。初めて会った時のようなはかなさを持った女の子に……


「ナタリー?」

 俺がそう問いかけると、彼女は涙を浮かべてこちらを見つめる。それはまるですがりつくような必死さすら感じられる。


「申し訳ございません。グレア様。私はここで」とアカネはすべてを察したようにその場を後にした。まるで、この後ナタリーが何ていうのかわかっているみたいだ。たぶん、気を利かせてくれたんだと思う。


「センパイ、私ずっと怖かったんですよ。あなたが殺されてるんじゃないかと思ったら……行方不明になってから考えるのは、あなたのことばかり。こんなことなら、こんなことなら」

 脈絡みゃくらくもなく感情に任せて言葉を発しているように見えた。


「ナタリー……」


「こんなことになるなら、あなたとソフィーさんの婚約が発表される前に、泣いてすがればよかった。私の本当の気持ちをあなたに伝えなくちゃいけなかったのに。私は最低なんです。だから、センパイもソフィーさんも傷つけた。全部、私のせい」

 絶望の色すらおびてナタリーは続ける。


「ごめんなさい。私、ソフィーさんにひどいことを言いました。私は彼女を断罪する資格なんてないのに。私の存在が彼女を苦しめていたのに。でも、彼女が許せなかった。私の大好きなあなたを独占できる立場なのに……私たちの気持ちを踏みにじって、王太子なんかに逃げた彼女のことは許せなかった。私のあなたに対する気持ちを言い訳に使っているみたいで……嫌だったんです」

 それはお前のせいだけじゃない。俺だって、ソフィーだって……悪かったんだ。お前は優しいから。一番悪くないお前が抱え込む必要なんてない。それを口に出そうとするも、ナタリーの剣幕に圧倒されて言葉は出てこなかった。


「ソフィーさんは最低です。私のあなたに対する気持ちも、あなたがソフィーさんに向けていた気持ちも全部わかっていたはずなのに……頭のいい彼女にはすべて理解できていたはずなのに、その責任から逃げてしまった。"センパイを私に返す"なんて理由で自分を正当化して……自己弁護ばかりで周りを傷つける。そんな彼女が許せなかった。なら、最初から婚約なんかしないでよ。私の大事な人をらないでよ。ずっと苦しんでいたのに。やっと折り合いをつけることができてきたのに。こんな形で裏切るなんてひどいよ」

 この後に続く言葉は痛いほど、わかった。


「でもね、私は最低なんですよ。だって、ソフィーさんを嫌いになることもできなかったんです。ソフィーさんと王太子の関係が永遠に隠されていて、私たちの知らないところで完結していて、私たち3人の関係が永遠に続けばよかったのになんて思ってしまうもうひとりの自分がいたんです。自分でソフィーさんを断罪したのにっ。グレア先輩を傷つけて裏切ることになるってわかっているのに。私は、グレア先輩とソフィーさんとずっと仲良くできる未来を選びたかった。そうなって欲しかった。それを望んでしまう私自身が許せない」

 俺は今まで見たことがないナタリーの様子に驚きながら、心は震えていた。

 本来なら、ソフィーについて断罪するのは俺の役目だった。俺は王太子に殴りかかる前に、ソフィーを罰してあげなくちゃいけなかったんだ。


 俺以上にソフィーを好きだった後輩に、辛い役目を押し付けてしまっていた。

 俺以上にソフィーが好きだったナタリーには地獄のような日々だったと思う。父親を政争によって殺された……それも記憶はなくても自分の目の前で……


 やっと心から落ち着くことができたのが、俺たち3人の関係だったのに。その関係も壊れて、俺はダンジョンに幽閉されてしまった。彼女はソフィーを俺に代わって断罪しなくてはいけなくなってしまった。それがどんなに残酷なことだったか手に取るようにわかる。


「ナタリー。俺は――」

 あえて、ずっと封印してきた気持ちを伝えようとした。でも、それは後輩の首を横に振る様子ジェスチャーでさえぎられた。

 

「ダメです。その先は私が言わなくちゃいけないんです。それが私なりのけじめのつけ方だと思うから。もっと早く言えばよかったのに。それが言えなかったから……だから今回は私に言わせてください……」

 俺はゆっくりとうなずいた。「わかった」と彼女の意思を優先させる。


「ありがとうございます。ずっと言いたかったことがあるんです。聞いてください」

 一瞬だけ言いよどんで、決心を固めるように息を吐く。


「ずっと好きでした。初めて会った時から、今までずっと。私はあなたを愛しています。たぶん、初恋でした……」

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