第34話 祝杯&闇落ちしていくソフィー

「それじゃあ、皆。酒は行きわたったよな?」

 俺は、仲間たちを見渡す。とっておきのワインとマーリン秘蔵のウィスキーを注いだ食器が、仲間たちの目の前に置かれていた。さすがに、このダンジョンではコップも貴重品なので、ありあわせの食器に酒を注いでいる。酒を飲んだこともないスーラやロッキーも試しに飲んでみたいということで、少しだけワインを注いだ。


「準備万端ですぞ、グレア殿」

 仲間たちとの別れを終えたボールスは、吹っ切れたように笑っていた。顔はない。だが、心から楽しんでいるのがよくわかる。


「情報局から強引に奪っておったウィスキーを飲むのが、こんなに楽しみとは……お主についてきたのは正解じゃったな」

 マーリンは年代物のウィスキーをストレートで飲むようだ。いつもは見せたこともない笑顔を見せている。ボールスにも嬉しそうに自分からウィスキーを分けていた。「男の門出かどでじゃ。遠慮はいらんよ」ととっておきのボトルからなみなみにボールスのグラスに注いでいた。


 俺は、昨日の残りのワインを楽しむことにした。スーラとロッキーも同じだ。


『ボク、お酒って初めてだよ~』と緑の巨体は楽しそうにプルプルと体を振るえている。ロッキーもスーラに同意するようにうんうんと首を縦に振っていた。


 よし。じゃあ、皆に酒もいきわたったことだし、祝杯を挙げようとしよう。今回は、取れたてのポテトを塩とベーコンで炒めたものがつまみになっている。あと、オニオンを丸ごとひとつ煮込んだスープだ。


「みんなのおかげで、王国の守護竜は討伐できた。俺たちは計画を、一段階進めることができたんだ。今日は、楽しもう。乾杯っ!!」


「「「「乾杯」」」」

 種族も違う仲間たちが、異口同音いくどうおん楽しそうに食器をぶつけ合う。俺はワインを一気に飲み干した。酸味と渋みが、水分を欲していた身体にいきわたる。たぶん、安物のワインのはずだ。だが、王都で飲んでいたどんな高級ワインでも味わえない旨さに、身体が震える。渋いはずのワインが、甘く感じられる。なにかを成し遂げた時に飲むワインは、こんなに旨いのか。知らなかった。


 生きている充足感。すべてが満たされていたはずの王都や学園では味わえなかった仲間たちと、お互いの命を預ける信頼感。そして、そこから生まれる幸福感に、俺は満たされた。


 人間、スライム族、魔族、アンデッド、無機物。出自も種族もまるで違う俺たちは、一つの絆で結ばれている。種族すら安々と越えた信頼関係。王都で見てきた貴族による権力闘争のギスギス感がまるで遠い昔の出来事のように感じられる。こいつらに会うために、俺は今まで生きてきたんじゃないかな。


『グレァ。なんだか、身体がポカポカするよォ』とスーラは、身体を預けてくる。初めての飲酒で、ほとんど水分でできているスライムにはやはりワインは劇薬だったか。


「絶対に身体に毒を混ぜるなよ。今なら、俺、一瞬で溶けるからな」

 酔っぱらいの暴発に、ちょっとだけ怖がりながら、俺たちは笑った。ロッキーも身体の一部を溶かしながら、ヘロヘロだ。


「久しぶりのウィスキーはやはりうまいですな。これはとてもフルーティーで」

「ボールス殿、やはり、あなたは飲める側でしたか。ささ、遠慮せずに、もう一杯」

「おお、かたじけない。マーリン殿は、さすがに良いボトルを知っておられるな」

「はは、これも年の功じゃよ。ボールス殿は、好きなボトルはありましたかな?」

「詳しくはありませんが、冒険者時代はブランスタイン12年を愛好しておりましたな」

「ああ、あれはいい酒じゃな」


 年配コンビであるふたりは、楽しそうにウィスキーをぐびぐびと飲んでいた。

 俺たちは、仲間として幸せな時間を共有した。


 ※


―学園(ソフィー視点)―


 しばらく、殿下と会えない日々が続いている。なぜか、焦燥感しょうそうかん嫉妬しっとを感じている自分に驚く。私はすべてを捨てて、殿下の恋人になったんだ。大丈夫よ、心配しなくても。彼は私にいつも優しいじゃない。今は、ただ公務が忙しいだけで……


 そう必死に信じようとしていた。そうしなければ、今までの人生で築いたすべてを殿下にあずけた意味がなくなる。


 周囲に白い目で見られながら、私は学園に復帰した。今まで仲良くしてくれていた人たちは例外なく、私から離れていった。親友だと思っていたマリーさんは、同じ授業でも、目すら合わせてくれなくなった。


 殿下も私の所に来てくれなかったことで、孤立感が強くなる。


「あら、ソフィーさん。今日も殿下と一緒じゃないの? もしかして、捨てられちゃったのかしら? かわいそう」

 私が一人で廊下を歩いていると、学友の中でも特に名門のアンリ侯爵令嬢に呼び止められる。彼女は、私のことを昔から敵対視していた。外様のブーラン貴族出身のくせに、ミザイル公爵家と婚約した私を逆恨みしていたんだろう。実際、彼女の実家は、グレアとの婚約をもくろんでいたといううわさも聞いたことがある。


 私がいなかったとしたら、グレアはナタリーさんと婚約するに決まっている。婚約者だった私でも、あのふたりの関係には……思うことがあったのに。ふたりは素晴らしい人格を持っていた。お互いにひかれあっていたはずなのに、国の安定を望んで、自分の気持ちにふたをして……恋心を犠牲にしようとしていた。言葉にされなくてもわかる。私は、そんなふたりの関係にプレッシャーの様なものを感じていた。罪悪感に押しつぶされそうだった。神様が定めた運命のカップルを政略結婚という事実で引き裂く悪役令嬢。それが私じゃないかと恐怖していた。


 私ですら本当の意味で選ばれなかったんだから。あんたみたいな性悪女なんて、選ばれるわけがない。アンリに何度もそう吐き捨てようと思った。その暴言を必死に飲み込んだ。


 この女は、私が殿下と親しくなると手の平を返したかのように、突然優しくなった。将来に向けて、王族と親しくなりたいという下心を見透かしながら、私に突然優しくなり、お茶会に誘ったり、わざとへこへこびを売っていたのをおぼえている。でも、殿下としばらく会えていないことがわかると、態度を一変し、すぐに強気なものに戻っていた。


 実家と事実上、縁を切られた私への優越感のようなものを持っているように見える。それがとても気に入らない。


 そして、自分の中に悪魔が生まれたのがわかった。私は今までめこんだ負の感情がマグマのように爆発しそうになっていことを自覚した。これは八つ当たりだ。殿下が、私の元に来てくれないから。でも、私は王族に選ばれた特別な人間。


 だから、こんな女の尊厳なんて、踏みにじってやる。あんたが突っかかって来なければよかったのに……


 バラのとげで傷ついた手がズキズキと鈍い痛みを伝えてくる。その痛みがイライラ感を増幅させる。


「あら、いくら名門貴族とはいえ、たかが田舎貴族の娘のくせに、ずいぶん大きな口を叩くのね」


 その瞬間。廊下の空気は凍りついた。

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