第2話 死の迷宮

「(死の迷宮ラビリンス……っ。俺は、あんな最悪の場所に連れていかれるのか)」

 死の迷宮ラビリンス。それは、イブグランド王国北東にある最悪のダンジョン。世界最難関ダンジョンと呼ばれ、最奥には圧倒的な力を手に入れることができる宝があるとされている。その魅力に取りつかれた数多くの冒険者たちが、攻略に挑戦したものの、そのダンジョンは凶悪な魔物たちとトラップの巣窟で、未だに完全に踏破した者はなく、S級冒険者最上級パーティーですら、地下20階までしか到達できていない。


 挑戦者パーティーの全滅率は、6割を超えており、全員が地上に逃げ帰ることができただけでも、奇跡と呼ばれる。


 プロの冒険者すら不可能とされるダンジョンに幽閉だと……

 きっと、護衛などはいない。幽閉とは、名ばかりで、モンスターのエサにされるために、地下にただ放置されるだけ。おそらく、1時間後には、俺はモンスターに襲われて骨ごと消滅させられている。


「悪く思うな、若者よ。これもすべては王室が存続するための犠牲なのだ。我々は、ひとりの青年を死に追いやり、正義を執行する」

 何を言っているんだ。俺は、ただ婚約者を寝取られた怒りを王太子に向けようとしただけなのに。それも、こちらは手を出してもいない。手を出してきたのはあいつだ。俺は完全な被害者なのに。


 どうして、こんな理不尽なことが成立するんだ。


「言いたいことはわかる。だが、王室がそれを否定したのだ。この国では、それは悪となる。お前は婚約者に暴力を振るっていた愚かな公爵家の長男で、王太子殿下は悪魔のようなお前から女性を救った正義の人。それが正史となる。歴史は、常に力を持った者にしか微笑ほほえまない。グレア、お前にはその力がない」


 執行人は無慈悲に笑った。


「……」

 俺は声にならない悲鳴を上げる。しかし、さるぐつわをされている口では、ただの低い音にしかならない。情報局員たちは、俺のその無残な姿を見て、嘲笑あざわらいをしていた。


「薬で眠らせておけ」

 バランドがそう命じると、俺の口元に布が押し付けられた。変に甘い香りに誘われて、意識はゆっくりと消えていく。


 ※


「おら、早く起きろ」

 肩を蹴られて、むりやり目覚めさせられると、そこは固い地面だった。俺の体は泥で汚れている。灯りは、バランドが持っている松明たいまつだけ。太陽の光は洞窟の壁によって、完全にさえぎられている。


 ここはもう死の迷宮ラビリンスの中なんだと強制的に認識させられる。それと同時に恐怖で、心臓の高鳴りが早くなり、体の震えが止まらなくなる。暴れようにも、拘束具のせいで体を動かすこともままならない。体中から変な汗があふれてくる。嫌だ死にたくない、誰か助けてくれ。


「運べ。いつもの場所だ。あの落とし穴から、地下に落とす。これはあくまで幽閉刑なので、殺すなよ。死ぬにしても、獄中死でなくてはな。安心しろ、グレアよ。死刑ではないから食料くらいは渡してやる」


 ふたりの大男たちにかつがれるように、運ばれた俺は全く抵抗ができないまま、運命が果てる場所に連れていかれた。


 少し大きな部屋に出ると、バランド達は準備を始めた。中央には、おそらく俺が落とされる穴があった。地下へと続く穴だ。


 先に食料などが入っている袋が投げ込まれる。男たちは、俺に抵抗された時のためだろう。剣や槍を抜いた。拘束具は、バランドの槍によって器用に割かれて、俺を自由にする。しかし、逃げようにも、部屋の入口は入ってきた場所にしかなく、武装した男たちによって封鎖されていた。


「それでは刑を執行しよう。さあ、自分から穴に落ちろ、グレア。下手に抵抗して、無理やり落とされるよりかは、生存率は上がる」


「なっ」

 できるわけがない。ここから穴に落ちるのは、自殺行為だ。凶悪な魔物と罠の巣窟そうくつに落ちて、奇跡的に地上に戻ることなんて……戦闘の訓練もしていないシロウトの自分にできるわけがない。


「おら、早くしろっ」

 比較的に小柄な男が剣を抜いて、こちらに近づいてきた。もう、終わりだ。俺は覚悟を固めて、怨嗟えんさの声をしぼりだす。


「俺は、お前たちを許さない。たとえ、ここで死んだとしても、王太子とお前たちを呪ってやる」

 震えた声でにらみつけた俺に対して、奴らは冷酷だった。


「期待していた反応をありがとう。さぁ、時間だ。もう、会うこともないだろう、グレア」

 バランドは死刑執行人のように、機械的な声で俺を絶望に落とす。抵抗しようとした瞬間、さきほどの小柄な男が俺を押さえつけようとして乱闘となった。そして、俺とその男は一緒に地下へと落下した。


「バランド様、どうしましょう。カミラが一緒に落ちてしまいました」


「ふん、バカな部下が一緒に死んだか。構わない。撤収だ」


 ※


 俺たちは、固い地面に叩きつけられて、苦痛でもだえていた。


「嘘だ。どうして、俺まで一緒に落下しなくちゃいけないんだ。お前のせいだぞ。俺は、情報局のエリートでここで死ぬわけがないのに。なんで、なんで……」

 さっきまで威勢がよかったはずの小男は、泣きそうになりながら叫んでいた。暗闇に目が慣れていないせいで、どこにいるかもよくわからない。俺は必死に、先に落ちてきたはずの荷物を探り寄せた。


 何としても生き延びる。そして、あいつらに復讐ふくしゅうしてやる。


「俺は絶対に生き延びるぞ。お前みたいな王室に歯向かったバカな貴族とは違うんだ。きっと、仲間たちが助けに来てくれる。そうだ、あのルートを使えば……助かるはずだ」

 小男は、何やら詠唱を唱え始める。そうすると、奴の左手がまぶしいほどに輝き始めた。光源魔力ロミールという松明の代わりになる魔力だ。


 そして、男は狂ったかのように走り出した。俺を置いて、ダンジョンの狭い通路を無警戒に進んでいく。おそらく、通路を曲がったのだろう。手の光が急に見えなくなった。その瞬間だった……


『おい、来るな。やめろ、嫌だ。うわわああぁぁっぁぁっぁぁぁあああああああ』

 壮絶な断末魔がとどろく。けもののような悲鳴が聞こえなくなった。俺は、恐怖に震えながら、松明の灯りをつける。男が置いて行った剣を握り、近づいてくる危機に身を縮こませる。


 ブヨブヨした緑色の巨体がゆっくりと通路を動いてきた。顔などはなく、ただ液体状の毒々しい魔物。透明な体の中には、さきほどの男がつけていたはずの鎧だけが浮かんでいる。それは少しずつ泡立っていき形が崩されていく。男がどうなったのかは、明らかだった。


 グリーン・スライム。危険度B級上位の魔物。普通のダンジョンなら地下20階程度の階層にしか生息しない凶悪な魔物が、ゆっくりと俺に近づいてくる。強力な酸の体液を持つ熟練した冒険者パーティーじゃなければ、倒せない脅威。それをシロウト一人で戦わなくてはいけない。


 震えは止まらない。


 ※


―王都(ソフィー視点)―


 あの最悪の日の翌日。私は、殿下に殴られて意識を失った婚約者のグレアが心配で、彼の部屋に向かった。どうしても謝らなくちゃいけない。許されるわけがないのは、わかっている。でも、優しい彼に甘えて、自分は欲におぼれた。


 昨日、誰もいなくなった後、泣きながら誕生日プレゼントだったはずの床に散らばった壊れたアクセサリーを、全部回収して修理に出した。彼が用意してくれたプレゼントを見ながら、自分の中でも何かが壊れる音がした。


 部屋をノックしても、返事がない。不安になる。自分がどんなに最低なことをしてしまったのか、突きつけられる無音の時間だった。


「開けるよ、グレア……」

 耐えきれず、部屋のドアを開くと、そこには誰もいなかった。いや、何もなかったと言った方が正しい。本来あるべき彼の私物は、すべて無くなっていた。初めからグレアなんていなかったように。


 絶望と恐怖。優しかった婚約者が消えてしまった。自分のせいで……


「やだよ、グレア……」

 私は、彼の部屋の床に崩れ落ちて、泣き叫んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る