第13話 現地人は転移者に翻弄される

 カノンが可愛すぎる。夜のことは一旦忘れようと思ってもカノンがずっと可愛すぎてことあるごとに意識してしまう。


 例えばお弁当を買うのひとつとってもはしゃいでて可愛いなと思えば半分こしようね、と軽く言ってくる。ひとつの食事をわけあうのは夫婦のやることだ。

 私の故郷が古いだけで最近ではゆるいのかもしれないが、自宅に人を招いて共に食事をするだけでもそれなりに親しい間柄でないとなかなかしないものだ。

 この辺りまで南下すると気候的に屋外での食事も珍しくないとは言え、人前でひとつの食事をわけあうのは大胆すぎないだろうか。


 もちろん恋人しかしないような恥ずかしい行為と言うわけでもないし、兄弟では菓子を分けあうことも珍しくはない(と言うより奪い合うのほうが絵面はただしい)が、食事となるとひとつの肉をわけあうのが結婚式での大事なイベントとして受け継がれてるので、どうしてもそのイメージが強い。

 私が勝手に意識してしまうだけかもしれないけど、カノンは言動も行動もいちいち私をときめかせる。


 花をみるのだって腕を組んでくるし。初対面からスキンシップが多かったので室内なら気にならなかったが、ここは屋外なのに。そんな見せつけるようにされるといくらなんでも、カノンは無邪気だからでは片付かず、誘惑されてるのではなんて邪推をしてしまう。


 ついには食事の時なんて、半分にちぎったとはいえ私の口元に直接もってきて「あーん」って、いや、無邪気が過ぎるだろ。なんだそれ。外でそんなことしちゃ駄目だろう。普通に。いや断れなかったけども。

 これは誘惑なのか、それともわざと家で二人きりの時にしていないのはからかっているのか? いやいや、カノンにそんな気はないに違いない。でもじゃあどういうつもりなのか。もしかしてこれも文化の差なのか? いや、食べ物をわけあって食べさせ合うとかどんな文化だ。


 いますぐカノンを抱きしめたくなるのを堪えたが、この後ボートに乗って周りから離れた見えにくい場所に行くのが不安になってきた。見えにくいと言っても当然壁がなくて丸見えなのにおかしなことなどするわけない。

 ただいい景色を見て思いを高めて夜に備えるつもりだ。だが、カノンがこの調子で何をしてくるのか分からないので少し不安だ。ちゃんと自制しないと。


「わー、すごい。近くで見るともっときれー」

「たしかにな。花弁が落ちているのもいいな」


 そう思って気を引きしめて乗ったボートだったが、よく考えたら操縦するのだし横並びには座れない。向かい合って座っている以上、理性のとけるほど誘惑をされるはずもない。

 私は当初の予定通り、ボートからの光景をしっかり楽しむことができた。水面を浮かぶ花びら、それらが泳いでまとまり、岸辺に集まっている様子。美しい。この水の流れに沿う花びらと言うのはいい。創作意欲がそそられる。今まで見なかったのがもったいないくらいだ。

 この水辺に突き出すように出た枝葉を見上げ、一面の花びらで視界が埋まり、隙間から見える大空のバックとのギャップもとてもいい。


「あ、ケイさん、見て見て」

「ん?」

「えへへ、花びらつかまえたー」


 空にやっていた視線をおろすと、楽しそうなカノンが胸の前であわせていた手を開いて、中の花びらを見せてきた。落ちてきたのを掴んだのだろう。子供の頃に似たような遊びをしたことがある。

 早く手を動かしすぎると、手の動きでできる風で飛んでしまうので、中々捕まえられなかったものだ。


「花弁はひらひらしているから掴むのがむずかしいだろう。よく捕まえたな」

「えへへ。ひらひらしてるとしたくなるよね。ふーっ」


 そんな無邪気なかわいらしさに和んでいると、カノンは微笑みながら目を細め、ふっと手の平に口を寄せてボートの外に向けて吹いて飛ばした。

 その何気ない動作の艶めかしさに、私は心臓を鷲掴みにされたように魅了されてしまった。

 花弁の華やかなピンク色は可愛らしく、純粋に美しい。だけどカノンと組み合わさると、一枚の絵にしたいほど綺麗で、そして思わず自分の腕の中に閉じ込めたいほど魅力的だった。


 距離があるからと油断していた。カノンの無邪気なスキンシップは子供っぽい荒さもあり、なれもあってそれだけでおかしなムードにはならないのだからくっついて顔を見ない方がましだった。

 カノンの花咲くように可憐な笑顔こそ、私が一目で恋に落ちて私の心をつかんで離さないのだ。落ち着いて向かい合うことこそ危険だったのだ。

 こんなに美しい風景の中で、だけどそれ以上にカノンに私の目は吸い寄せられる。花すらカノンの引き立て役でしかない。


 どうしようもなくときめいて、今すぐカノンを抱きしめたい。だけど同時に、どうしようもなく私の中に様々な創作アイデアが沸いてくる。この美しさを、この感動を、この思いを、どう形にすれば人に伝えられるだろうか。

 カノンの仕草、花を見上げる楽しそうなカノンの様子、それらはさきほどよりずっと、私の中の世界を色づけてくれる。カノンにときめくと同時に、あれもこれもと形にしたいイメージが沸いてくる。


 ここにきてよかった。カノンと美しい景色の組み合わせは、私の創作意欲をこれ以上ないほど奮い立たせてくれた。


「わ、風」

「カノン……っ!」

「えっ」


 だけどもちろん、私のこの激情はとても抑えられるものではなかった。

 残ったささやかな理性がいきなりボートの上で立ち上がると言う危険行為を阻止したけれど、私は人目も気にせず前のめりになって膝をついてカノンの手を取った。


 風にゆれるカノンの長い髪をそっと払う仕草なんて、まるでそのまま風にのってカノンそのものが消えてしまいそうな儚い美しさで、そうせずにはいられなかったのだ。

 だけどその手を胸に抱きしめ、もう片方の手でカノンの頬に触れたのは完全に私の意志だ。カノンを思う気持ちがあふれて、少しでも触れずにはいられなかった。人目さえなければ抱きしめて、舌だってでていただろう。


「け、ケイさん?」

「……すまない、急に。その、つい、風が、寂しくみえたから」


 湖の上で吹く風は少し冷たくて、よりカノンが儚い花の精に見えた。寂しがり屋の風が、カノンを連れ去るような予感さえ感じさせるものだった。だけど言い訳だ。風なんて、庇うようにボートが揺らぐほどの強さではなかったのだから。


「……ふふっ、じゃあ、私、膝にのろっか?」

「え、いや、それはちょっと、恥ずかしくないか?」


 カノンが私の頬の手を取って、手を合わせるようにして両手を握りながら提案してくれたが、思わず顔をそらしてしまう。目を合わせたままでは頷いてしまいそうな魅力的な提案だが、さすがにのるわけにはいかない。


「え? 馬車の時はしてたのに?」

「その時は必要だったからで、必要性が無いのに人前でくっつくのは……」


 馬車の時はカノンのお尻の為、と言う大義名分が合ったが、そうでなければ人前で触れ合うのはすこしはしたないことだ。南に行くとスキンシップが多くなる傾向があるし、特に若者はところかまわずくっついている人も最近はいるみたいだが、さすがに意味なく膝にのせるのはもう、バカップルと言われても仕方ないレベルだ。

 私の勝手な気持ちでカノンに付き合わせるのは悪いし、純粋に恥ずかしい。まあ馬車の時も新婚旅行だからしてるのもあると思われたみたいだが、まあそれは実際に理由があったのだから問題ない。だが今はそう言う建前はないわけで。


「んー? じゃあ、ボートって揺れて不安だし、私がケイさんとくっついて安心したいって理由じゃ、駄目かな?」

「! そ、それは、駄目じゃない、かな」

「じゃあそうするー」


 カノンはにこーっとそれこそ花が咲いたような笑顔で私の手を一度離して立ち上がる。それを見て慌てて自分の場所に座りなおした私の膝に遠慮なく座ってきた。


「おっと」

「えへへ、ありがとう」


 その動きは危なっかしく、ボートが少し揺れた。水上での動きになれていないのか、今のは普通に危なかった。だが思わず肩を抱く私に振り向いたカノンには危なかったと意識もないようだ。その危機感の微塵もない気の抜けた笑顔は可愛らしくて、私は体が熱くなってくるのを自覚する。

 カノンが優しすぎる。こんな完璧に可愛くて優しく寄り添ってくれる恋人がいるとか、私、恵まれ過ぎでは? 今すぐカノンを全身で抱きしめて隅から隅まで愛であいたい。


「ねぇ、ケイさん」

「ど、どうしたんだ?」

「あのね、ちょっとした質問で、ちょっと唐突なんだけどさ」

「質問? まだボートの時間にも余裕はある。何でも聞いてくれ」


 理性がどこかへ行ってしまいそうなのを堪える私に、カノンは無邪気に会話を始めるので、私もなんとか意識をもどす。落ち着け私。夜にいくらでもゆっくりする時間はあるのだから、すでにバカップルと見られている状態とは言えこれ以上はありえないことだ。

 関係ない会話をして気持ちを落ち着けないと。


「ケイさんの、好みのタイプってどんな感じ?」

「こ、好みのタイプ?」


 動揺しすぎて声が裏返ってしまった。咳払いしてごまかすが、なんだ、好みのタイプって。


「うん。ケイさんって恋人にするにあたって、どういうタイプが好みかなって」


 そのままだった。いや、どうしてそんなことを? すでに恋人なのに? もしかして私の好みのタイプに自分をあわせようと? そんなことをする必要は全くないが、それを言うともし違う意図だったら自意識過剰すぎる。ここは無難に聞かれたことに答えよう。


「まあ、そうだな、可愛くて、明るくて、元気で、小柄で、髪がきれいで、物怖じしない笑顔が可愛い子、かな」


 まあカノンだが。今まで恋人なんて高望みを意識したこともないので、私の好みはカノンの全部なわけだが。それをストレートに言うのは恥ずかしい。

 だがまあ、ここまで言えばカノンを指してることはわかるだろう。


「ふむふむ。なるほどね! じゃあ私、髪は綺麗にするようにしてみよっかなー?」

「カノンの髪はもう十分綺麗だよ」


 私の答えに嬉しそうにしながら、自分の毛先をつかんで見るカノン。変に変わってほしくないし、無理をして髪をいためても大変だ。そもそもカノンしかいないことがわかるよう、あえて髪といったのだ。カノンなら髪を短くしたって、どんな状態でも好きだ。


「そ、そう? えへへ」

「ああ。……と、ところで、あー、なんだ、カノンの好みのタイプ、聞いてもいいか?」

「あ、うん。えへへ。私の好みのタイプはぁ……ケイさん、かな! えへへ。なんてねっ」


 あー! 可愛すぎるだろ! なんだこの、可愛すぎる!!!


 言って出会ったばかりなのに好きになってくれるなんて、もしかして私みたいな長毛種が元々タイプなのかなとか、ちょっと期待していただけなのに。私って、私が好みって。

 しかも自分で言って照れてはにかんでいるのが可愛すぎる。


 私はカノンの可愛さにノックアウトされながら、なんとか理性が倒れないよう気合で支えた。

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