第9話 現地人にとっても馬は珍しくて可愛い

 祭が終わった。最終日となると客足も落ち着き、騒がしいほどの喧騒も耳を塞がなくてもよくなっている。目が回りそうな騒ぎは、次のお祭りまでお預けだ。カノンも疲れているようだが、今日か、何ならもう一日ゆっくりすれば旅行をしても問題ない程度だろう。

 カノンと泊りがけの遠出をする。


 カノンとのスキンシップはとても満足できるものだし、お互いに気に入っているのは間違いない。だけどそれはそれとして、中々次のステップに進んでいないのも事実だ。

 と言うことで恋人になって一ヶ月以上たつし、ちょうど連休だから、と言う建前もバッチリだったので思いきって今回の遠出を誘ったのだ。

 緊張したがカノンももろ手をあげて喜んでくれたので、カノンもきっかけを欲していたのかもしれない。何て言うのはさすがに願望がはいりすぎだろうか。


 とにかく、ついに今日、出発だ。


「えへへ、楽しみだね」

「ああ。休みをいれなくて大丈夫だったか?」

「馬車移動でしょ? 座ってるだけなんだし大丈夫だよ」


 まあそうだが、馬車移動はなれていないと結構疲れるからな。椅子も堅いし長時間見知らぬ人と近い距離に座って動けないのは想像以上に気疲れする。カノンはいかにも世間知らずだし……まあ、急ぐ旅でもないし大丈夫だろう。


 カノンは昨日まで疲労が隠せない顔をしていたが、今日は朝から元気いっぱいな素振りだ。可愛らしい。寝る前のマッサージでも昨日は髪をとかしている時点で眠っていたのに。


「あ、そうだ、最近はケイさんのブラッシングあんまりちゃんとできなかったし、なんなら馬車の中でしようか? ブラシ持ってきたよ」

「……馬車は他の人もいるんだから無理に決まっているだろう。宿で、な」

「あ、そっか」


 笑顔でとんでもないことを言いだされて思わず周りを見てしまった。もう家を出ていると言うのに何を外で言ってくれているのか。

 と言うかこれは、馬車に乗ったことが無いのか、実はとんでもないお金持ちで馬車と言えば個人専用だったのかどっちだこれは。乗ったことも見たことない、と言うのはありえるのか?


 いや、そう言えば馬車ではなく魔道具が引く列車と言うのもある。この辺りではないし、個人がのるにはかなり高価なので遠くから見ただけだが。主要な都市から都市への移動が馬車とは比べ物にならないほど速いのだとか。

 お金持ちがのるのだから、それは一人で馬車を占有するくらいの個室があったりするのだろうか? うーむ。よくわからんな。


 首を傾げながらも、カノンが異世界人なのは秘密にすることになっている。多少変わったところがあるからと、異世界人だなどと夢物語を思いつく人は滅多にいないだろうが、あまり突っ込んだ話はしないほうがいいだろう。

 私は疑問を呑み込んでカノンの手をとり、振り向いたカノンの耳元に口を寄せる。


「カノン、移動中は他の人もいる。あまり出身地を思わせることは言わない方がいいぞ」

「んっ。あ、ごめん、くすぐったくて。うん。そうだね、気を付ける」


 耳を抑えて恥ずかしそうにしながら頷いたカノンは可愛らしい。カノンのいつもの天真爛漫なふるまいが魅力的だが、こう言う時は仕方ない。半日ほどの我慢だ。


 カノンは表情をひきしめた珍しいきりっとした顔になり、私の腕に抱き着くようにして周りを警戒している。小動物のようでとても可愛い。しかも、その小動物は他でもない私を一番信頼して私を盾にしているのだ。その事実が染みこんでくるように私に喜びをもたらす。


 ずっと彼女の傍にいて、あらゆるものから守ってやりたい。そして私だけを見てほしい。と、そこまで願うのは少し強欲がすぎるだろう。カノンは誰とでも仲良くなってしまう人懐っこく愛嬌のあるところも愛らしいのだから。


 馬車は昨夜に声をかけておいた。複数の予約が無いと出発しない日もあるが、ちょうど祭りの翌日と言うこともあり多くの馬車があり、欠便の心配をする必要はなかったが、逆に人が多すぎて乗れない心配があったからだ。

 挨拶をして乗り込むと、まだ先客は一組しかいなかった。早めに来たかいがある。端の席をとり、カノンが他の人と接触しないですむようにと考えていたのだ。

 これは決して嫉妬や独占欲ではなく、カノンは毛が無い分弱いんだから、人にぶつからないようにと言う気遣いであってだな。うん。カノンは何も疑問に感じていないようで、素直に私にくっついたまま出入りしやすい後ろの席の一番端に腰を下ろした。


「うわー。馬車って屋根があるんだね」

「そりゃああるだろう」

「そっか。私が想像してたのちょっと違ったや。ねえ、まだ出ないなら、馬、見てもいい? 私近くで見るの初めてなんだ」

「そうなのか。大丈夫だろうが、勝手に触ったりはせず、私の後ろから出るんじゃないぞ」

「はーい」


 屋根があるとカノンは驚いていたが、あくまで雨風を防ぐための簡易な布性だ。窓もあるし、そこまで圧迫感はないとはいえ、できるだけ中に滞在する時間を短くするにこしたことはない。

 カノンの提案は中々いい案だ。すぐ目の前なので席をとられるほどでもないだろうが、念のためハンカチを一枚置いて席を確保して先客に会釈して降りた。


「わー、これが、うま……?」

「そうだ。野生の馬は気性が荒いが、こうして幼いころから飼いならされている馬は人懐っこいものだ。目もくりくりで可愛いだろう?」


 私の居たところではこのあたりにいるとは全く種類も違う凶暴な馬しかいなかったから、こっちの馬をみて可愛さにびっくりしたことを思い出す。


「そ、そうだね。うん。改めて見ると、可愛いかも」


 近くで見るのは初めてと言っているカノンだが、何故かとても驚いていたようだ。カノンのいたところは私のところのような馬だったのだろうか。まあ、異世界なのだから全く違っていてもおかしくない。私は深く追求せずに私の背中に隠れているカノンの頭を撫でた。


 そして改めて馬を見る。頭から尻尾まである、茶色い短い毛から飛び出るとげとげした棘が、野生に比べて細く柔らかくなっているのが風にゆれているのでわかる。体の大きさは野生より大きく腕の筋肉がよくついている。

 普段は四足をつくが危険時には後ろ脚だけで立って逃げる馬は、危険の多い環境では瞬間的に力を使う後ろ足の方が発達しているが、飼育されている馬はより重い荷車をより持続して走り続けられるよう前足にも均等に筋肉がついている。

 そのため遠目から見たシルエットが野生と飼育では異なる。手足の爪もしっかり管理されていて短く、牙が飛び出ていることもない。全体的に危険性が下がり、特に違った印象をあたえる目つきは剣呑さがなく、人懐っこそうな感じがでている。


「可愛くないか?」


 私に向かって可愛いと言うくらいなのだからきっとカノンもこの馬の可愛さがわかると思ったのだが、微妙な反応だ。不思議に思ってカノンを見るが、別に怯えていると言うことはないようだ。


「いや、ほんと、見た目にびっくりして。まあでも、確かに目とか可愛いよね」

「カノンは野生の馬は見たことがないだろう? 目つきが全然違って、いかにも人食いと言った顔をしている」

「えっ、に、肉食だったの!?」

「雑食だな。本来は草食動物らしいが、進化の過程で肉も食べるようになったとか」

「詳しいな。野生の馬は俺も見たことがないが、生息地域によって見た目が変わるらしいぞ」


 馬に何かしないかと気にしてこちらを見ていた御者が声をかけてきた。職業にしているだけあって本人も馬が好きなのか、食いつきのいいカノンの態度にやや嬉しそうだ。


「そうなんですね。私は北から来たので、最初は見た目に驚きました」

「そうなのか、見て見たいもんだ」

「あの、この子、名前はなんていうんですか?」

「名前? あるが、わざわざ名前を聞いてくるやつは初めてだな。ピィだ。砂糖が好物なんだが、やってみるか?」

「いいんですか? 是非是非、お願いします」


 さっき挨拶した時は不愛想だった御者は嬉しそうに懐から小さな袋にはいった角砂糖をとりだした。角砂糖は固めてある分普通より少し高い。こじゃれた喫茶店くらいでしか見なかったが、こういった用途にも便利なのか。


 それを受け取ったカノンは嬉しそうに角砂糖を手の平にのせて馬を見る。手のひらをだしながら近づけ、しかし馬が反応しなかったのでひっこめ、私の反対側に回ってそっと近づけ、しかしまた反応されないので不思議そうにしている。


「ははっ、そんな下だと馬の視界にはいらねぇよ。下からそっと鼻先にちかづけてみな」

「は、はい」


 御者の言葉にカノンは神妙な顔で頷き、そっと一歩前に出て手の平を下から上に持ち上げた私より頭の位置の低い馬だが、それでもカノンよりは高い。カノン胸元くらいの位置では見えないらしい。


「ぴーちゃーん、砂糖食べるー?」


 カノンは自分の頭より高く手をあげてゆらゆら揺らしながらそう声をかけた。馬はようやくこちらに興味をもったようで、こちらに頭を向けて鼻先をぴくぴくさせながら首をふるようにして少しさげ、カノンの手に口を近づけた。


「ひゃっ、舌ながーい」


 そしてべろっと舐めて砂糖をとった。くすぐったがりながら嬉しそうに声をあげたカノンに構わず、ぶるぶると顔を横にゆらして味わった馬は嬉しそうにしながら名残惜しそうにぺろぺろとカノンの手を撫でた。


「あはは、可愛いですね」

「まあな」


 無邪気な光景なのだが、何と言うか、文字通りよその馬の骨にカノンが舐められている光景はあまり楽しいものじゃないな。いや、動物相手に何を言っているんだと言う話だが。

 今まで考えたこともなかったが、私は案外、嫉妬深い人間らしい。そう自覚してカノンを傷つけないよう自制しようと思いつつ、私は今夜はカノンの手の平を念入りに上書きしようと心に誓うのだった。



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