第3話 現地人は思わせぶりな転移者に振り回される

「……はぁ」


 今日はカノンの働くフィアンナの店は休みだ。それだけのことが、こんなにも気分を沈ませるなんて。

 そう、今日は店に行ってもカノンはいないのだ。


 開店している時は訪ねればよかったし、じっと働くカノンを見れた。物足りなさはあったけれど、それでも頑張っているカノンを見て、時折話したり目を合わせてにこっと微笑んでくれたりして、それなりに心は満たされた。

 だけど今日は会えないのだ。本当は会いに行きたい。だが昨日、一週間も毎日来てくれてありがとう、迷惑かけてごめんね。とカノンに言われてしまった。

 気を使わせてしまったのだ。もちろん迷惑のわけがないし否定した。でもカノンは気を遣うだろうし、それに休日はカノンも一人でゆっくりしたいだろうし。


 カノンが家を出ていき、家に帰るだけで寂しかった。もうずっとあの食堂に住みたいくらいだった。その寂しさを忘れる為仕事に没頭するしかなかった。今日は丸一日そうするしかないのか。


 朝ごはんもやる気がでなくて、パンを温めもせずにそのままかじってすませた。

 そして仕事を始めたが、昨日まで早めの昼の時間にカノンに会いに行っていたから、自然とその時間に集中がきれてしまった。


「……ん?」


 昼をどうするか、そろそろ買い出しにもいかないと。と思っていると、ふいにコンコンと玄関のノッカーの音がした。誰だろうか。だがちょうどいい。腰を上げたついでに買い出しに行くことにした。私は財布だけポケットにつめて玄関を開けた。


「こんにちは。えへへ。来ちゃった」

「!? か、カノン!?」


 気だるい体でドアを開けたところにいたのはカノンだった。はにかんだ可愛らしいその姿に、挨拶も返さず私は動揺で声を張り上げてしまった。

 そんなみっともない私にカノンはもじもじと体を揺らした。体の前でそろえた両手は大きなバスケットを持っている。少し俯いて恥ずかしそうにしつつ、カノンはちらちら私を見ながら口を開く。


「その、会いたくて……。め、迷惑だった? その、休日までなんて」

「そ、そんなことない。昨日も言ったけど、私がカノンに会いたくて毎日通っていたんだから。その、来てくれて、嬉しいよ」

「よかった……。あの、お昼、つくってもいい?」


 買い物には行かなくていいらしい。私はカノンを家に招き入れた。

 カノンが家に入っただけで家が綺麗になった気さえ、あ、朝ごはんの時のお皿を流しに置きっぱなしだった!


「あれ」

「あ、それはあの」

「もしかしてお仕事忙しくて? ごめんね、毎日私に会いに来てくれてたからだよね」

「え、いや、ちょっと面倒で、全然、仕事は前倒しなくらいだから大丈夫だ」

「本当? あの、私に気を使わなくて大丈夫だからね?」

「本当だ。カノンこそ、私に気を使わないでくれ」

「う、うん……」


 私がちょっとずぼらしたせいで変に誤解されるところだった。危ない。と言うか、元々カノンが来る前は普通にまとめて一日に一回洗うので十分だったし、部屋の掃除だって毎日はしていなかった。気を付けないと。

 カノンは納得してくれているのかいないのかあいまいに微笑んで、片づけをしてから買ってきた食材を出し始めた。


「すぐ作るから、ケイさんは休んでて」

「いや、カノンこそなれない労働でつかれてるだろ? 買い物までしてくれたんだし、後は私がするから」

「んー。……じゃあ、一緒にする?」

「ああ、そうしよう」


 くすっと笑うカノンにほっとする。もう気にしてない、か?

 二人で料理をすると、一緒に住んでいたのが懐かしくすら感じられた。カノンと一緒ならすぐに片づけるのも全く手間にならないし、そもそも料理自体面倒なのにカノンと一緒なら楽しいくらいだ。


「ケイさん、さっきお仕事前倒しなくらいって言ってたけど、午後からお仕事、する?」

「しない。全くその予定はない。何かあるなら暇つぶしに付き合おう」

「ほんと? よかった。って言っても、えへへ。何があるってわけじゃないけど、ケイさんとゆっくりしたくて」


 一週間ぶりのゆったりした交流だからか、なんだか前よりカノンが可愛く見える気さえする。

 昼食を食べて片づけも済ませてから、カノンは嬉しそうに私の手をとってソファに隣り合って座った。


「んふふ。ケイさんはあったかいね。ふわふわで気持ちいい」

「そうか」


 そしてスムーズに身を寄せてきた。私は毛が長いので体温も常に高めだ。暑苦しいと言われたこともあるし、実際自分でも夏は暑すぎるが、カノンが喜んでくれるなら長毛種に生まれてよかった。


「……あの、こんなこと言って、変に思わないでほしいんだけど」

「どうしたんだ? 何でも言ってくれ」


 もじもじと私の肘の毛先をいじりながら上目遣いを向けてくるカノンに、何かはわからないけど極力かなえてあげたいと思いながら促した


「その、ぎゅってしても、いい?」

「!? あ、ああ。いいけど」


 突然のお願いに動揺したけれど、別に変なことではなかった。と言うかすでに十分ぎゅっとしているのでは? と思っていると一瞬離れてから勢いよく横から抱き着かれた。

 ちらっと見るとスリッパを脱ぎ捨ててソファの上に立ち、私の頭を胸に抱いて全身で寄りかかってきている。ぎゅってそういうこと?


「はー、痛くない? 大丈夫? 嫌だったら言ってね?」

「それはいいんだが……」


 カノンは私の頬に頬ずりしながら右手で私の耳を指先で撫でたり曲げたりしている。左手は首に手を回して喉元までの毛をふわふわと軽く撫でている。

 不快感はないのだが、どうにもくすぐったい。優しいタッチが気持ちいい気もするが、あちこちに触れている感触がして全体的にはやはりくすぐったいと感じる。


「楽しいのか?」

「うん! 昔からケイさんみたいな子が好きで、すごい、癒される……」

「そ、そうか」


 私みたいなのが昔から好きって、え、さらっと言ってるが、私のことが最初からタイプだったと言うことなのか!? スキンシップ多めの子だと思っていたが、もしかしなくても最初からそう言うつもりでぐいぐい来ていたのか?

 ちょ、ちょっと待て。混乱してきた。


「平日も会えてて心強かったけど、でもやっぱりこういう風にできないの寂しかった。……ごめんね」

「ん? どうしたんだ?」


 もしかして告白でもされる流れなのか? とドキドキしていると何やらカノンはしょんぼりした風に謝罪してきて頭が冷える。

 冷静になれ。カノンがそんな恋愛肉食系なわけがない。そもそも異種族同士でなんて稀だ。私が変わり者なだけだ。たまたま出会った異世界からきたカノンがそうなわけない。


 とにかく慰めたくて右手をのばしてカノンの頭を撫でる。頭といってもカノンの頭はちいさいので少しおろすとすぐ顎に指先があたる。

 指先で頭半分を撫でるようにすると、カノンは左手を私の手に添えてから頬ずりをやめ顔を離した。向かい合うと上目遣いにカノンは私を見上げてくる。

 うう、可愛い。可愛すぎる。


「私から勝手に出ていった癖に、こんな風に押しかけて、振り回して。ごめんね。ケイさんは優しいから受け入れてくれてるけど、ほんと、迷惑だったら、いつでも言ってね」

「……カノン、もう、はっきり言うぞ」


 うるうると私を見るカノンのその顔と言葉に、私は苛立ちを覚えた。もうこんな関係は嫌だ。こんなに距離のある、遠慮しあってお互いの顔色をうかがうような関係はやめにしよう。


「え? う、うん! 覚悟決める! 言って!」


 私の真剣な声音に察したのか、カノンは一瞬きょとんとしてからぎゅっと私の右手をとって両手で握ってそう気合をいれたように応えた。

 少し緊張する。でも大丈夫だ。断るなんてこと、ない、と思いたい。


「私は、カノンと一緒に暮らしたい。異世界人だからとか、心配だからとか、そうじゃなくて、カノンのことが好きだから一緒にいたいんだ」

「け、ケイさん……本当に、いいの? 私みたいな、全然、役にも立たないし、そんな風に言ってもらえるほど、自立も全然できてないし、恩返しもまだなのに」


 私の言葉にカノンは目を見開き、頬を赤くして嬉しそうにどこか期待したような表情でそう私に確認するように問いかけた。

 カノンも私と同じ気持ちでいてくれている。その確信が私の背中を押してくれる。こうなったらもう恥ずかしいもなにもない。私の思いの全てをぶつけよう。


 私は右手でカノンの手を挟み込むようにして握り、まっすぐに目をあわせる。カノンのブラウンの目は私の故郷にあった大樹に似ている。近くにいると何も思わなかったけど、離れるとあんな立派な大樹は滅多になくて、全てを受け入れる様に穏やかに記憶の中にあってくれた。

 それと同じくらい、深い包容力を持ったカノンの目。その色味は見ているだけで落ち着く。大丈夫だ。どんな私でも、きっとカノンは受け入れてくれる。


「恩とか、そんなのどうでもいい。いや、恩があると思ってくれるなら、それでもいい。むしろ恩返しだと思って、私と一緒にいてほしい。それだけが私の望みだ」

「っ……うん!」


 恩返しと言うなら一緒にいてほしい。そんな押しつけがましくて自分のことしか考えていない私の欲望。

 だけどカノンは心底嬉しそうに、それこそ自分の望みだと言うように笑顔で頷いてくれた。それだけじゃなく私に身を寄せて、まるで私にすべてを任せる様にぎゅっと寄り添ってくれる。


 その無邪気な仕草に、どきどきと、私の胸が高鳴る。


 カノンも私と暮らすのを心から望んでくれていた。こうして抱き合うのも、自分がしたいからしていたのだ。

 もしかして、もしかして本当に、ただの同居人ではなくて、友達ではなくて、そう言う意味も入っていると思っていいのでは?


「ひゃっ」

「! ご、ごめんっ」


 そう期待がむくむくと沸いてきて、私の胸元にすり寄るようにしている幸せそうなカノンを見ているとたまらなくなって、私は頬をよせるようにしてペロリとカノンの頬を舌で舐めてしまった。

 途端くすぐったそうに肩をすくめるようにして身を縮こまらせたカノンに、私は自分でも驚きながら謝罪した。な、なんてことをしてしまったんだ。

 こんな、断りもなく一方的にすることじゃないのに。自分が恥ずかしくってたまらない。


「本当にごめん。その、そんなつもりじゃなくてだな」

「え? ふふ、そんな必死に謝らなくても。驚いたけど、嫌じゃないよ」

「えっ、い、いいのか?」

「うん。好きなだけしてくれていいよ?」


 人を舐めるのは最上級の愛情表現だ。親が幼い子供にするのは例外として、それ以外の相手にするのはこれ以上ない求愛行動だ。私とカノンのように成人している赤の他人同士でするというのは、恋人や夫婦でしかありえない。

 いくら異世界で異文化だろうとは言っても、同じように四肢を持ち二足歩行で似たような生活形態の文化をもつのだ。この行為の意味が異なることなんてないだろう。


 つまりこれは、私の告白にカノンが応えたのだ。


 しかもそんな軽く、好きなだけって。そんな、そんな風に言われたらもう……っ!


「か、カノン! ずっと、ずっと一緒にいてくれ!」


 私はカノンを抱きしめながらその頬をぺろぺろと舐めた。今度はちゃんと自覚をもって。


「あはは、うん! ずっと一緒だよ!」


 カノンはそれにくすぐったそうに笑いながらも、笑顔で私に抱き着き返して応えてくれた。

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