17

 関東にいるはずのヒサシの兄・稟市りんいちは、弟と間宮最の状況を確認することなく言った。

『指を探せ』

「指?」

「例の地蔵がぶっ飛ばした指は全部消え失せたんじゃ」

 口々に応じるヒサシと間宮に、時間がない、と稟市は淡々と続けた。

『死んでから指を切り取られた被害者がいる』

「……桧原ハジメ?」

 思い出すのは間宮の方が早かった。稟市は容赦なく畳み掛ける。

『分かってるなら早く探せ。取り返しのつかないことになる』

「もうなってる。桧原ハジメの妹と連絡がつかない」

 口を挟んだヒサシに、

『だったらおまえがその子を助けに行け。ホームセンターで大好きなバールでも買って。間宮は……そっちに協力者がいるんだろう? 手を貸してもらえ』

 小野美佳子のことだ。彼女の存在はうっすらと、依頼人ということしか伝えていないのに、と間宮は内心稟市の千里眼に舌を巻く。

「稟市先生の方はどうなってんの?」

『問題のインフルエンサーが事故に遭った。軽傷だが意識不明で、搬送先の病院から出られずにいる』

「ヤバいやつ?」

『自業自得といえば自業自得だ。俺はインフルエンサーには興味がないが、始まった呪いは誰かが終わらせる必要がある』

 ヒサシにクルマの鍵を預け、間宮はタクシーで小野美佳子の自宅に向かった。事前に連絡は入れてあった。彼女もスナオと連絡が取れないという。

「指を探せって、弁護士先生が」

 誰の、と発しかけた言葉を飲み込んだ小野美佳子が、きつく唇を惹き結んで黙る。短い沈黙。そして。

「桧原くんの……ですね」

「察しが早くて助かります」

「ほかの人の指は、此枝くんの分も含めて皆お地蔵さんが持って行ってしまった。じゃけど、桧原くんのは違う」

 桧原ハジメは私刑を受け、真冬の河川敷で凍死した。彼の利き手、美しい水彩画を描いた純白の右手の人差し指はまるでノコギリか何かで切り取ったかのような醜い傷跡を残して失われた。検死の結果、指はハジメが死亡してから切り落とされたということだった。

「詳細は移動しながら説明しますが、とりあえずかなり急いでます。心当たりありますか?」

「……ある」

 あります。小野美佳子の普段は穏やかに細められている双眸が、怒りを以って見開かれる。

「じゃけど、まだ持っとるかどうか」

「心当たりがあるなら行きましょう。スナオさんはヒサシが救助に向かいました」

 そうしてふたりが赴いたのは、市内の巨大集合住宅の一角、遠藤という表札がかかった部屋だった。遠藤えんどう卓也たくや。小野美佳子の同級生にして、北都西男の腰巾着筆頭だった男。

! おるんじゃろ!」

 チャイムを乱暴に鳴らし、ドアをばんばんと叩きながら小野が大声を上げる。彼女でもこんな顔をすることがあるのかと間宮はこんな時だというのに呆気に取られる。

 やがて扉が開き、出てきたのは薄暗い空気を纏った五十路と思しき女性だった。小野の顔を見た彼女は重い二重瞼を僅かに上げ、あんた、小野さんよね、酒屋さんの、と掠れた声で言う。

「いきなり、なんなん。失礼な子じゃね」

「卓也さんいます? いますよね。あいつ10年引きこもってますもんね」

「ちょっと」

「行きましょう間宮さん。最悪うちが逮捕されればええだけなんで」

 遠藤卓也の母親──であろう女性の弱々しい抵抗を無視し、小野は部屋の中に押し入った。2DKの、決して広いとはいえない古い団地。室内は整頓されておらず、母子、或いは両親と子の生活が穏やかなものではないと想像するのは容易かった。

 入るな、と乱暴な文字で書かれた紙切れが貼り付けられた奥の和室。ずかずかと短い廊下を進んだ小野が扉を力任せに蹴って開けた。


 暗い部屋だった。乱れ切った部屋だった。異臭がする。長く風呂を使っていない人間の肉体から発される独特の匂い。酒の匂い。食べ物が腐ったような匂い。色の判別がつかないほどに汚れたカーテンを締め切った部屋の中、唯一の光源、古いノートパソコンの前に縮こまるようにして座っている人間がいた。

「エンタク」

 小野美佳子が呼ぶ。なんや、きさん、誰じゃ、と遠藤卓也が呻く。彼が言葉を発するたびに室内の匂いは強くなった。マスク越しとはいえ耐え難い。しかし小野をこの場に置いて間宮が外で待機というわけにはいかないし、訳の分からない女ふたりに押し入られた遠藤卓也の母親が警察に通報している気配もないので、間宮もこの部屋に留まることにする。

「小野じゃ。オノミカ。もう忘れたんけ」

「オノミカ……なんじゃ、ブスオノか」

 小野が会話を先導していなければ、間宮は遠藤を殴っていた。こちらを見もせずにパソコンの画面を注視し続ける、分厚い眼鏡をかけた痩せぎすの汚れた男。

「ブスで悪かったな。それよりエンタク、われ、指隠しとるじゃろ」

 遠藤の肩が小さく揺れる。僅かに顔を動かし、ゴミ溜めの中からようやく顔を上げた男が、知らん、と呟いた。

「なんの話じゃ。たいぎいのお」

「たいぎいんはうちも同じじゃ。間宮さん、探しましょう」

「え、えっ!?」

 腐海のような部屋に土足で踏み込んだ小野は(このために彼女は靴を脱がずに遠藤邸の玄関を突破したのだと間宮は今更気付いた)、カーテンを開け、陽光が差し込むことですべての穢れが剥き出しになった6畳の狭い部屋をぐるりと見回す。

「やめえ! ブスオノ!」

「うるさい! われ、北都に言われて何人の指切った!?言えるか!?うちの目ぇ見てちゃんと言えるか!?」

「…… !」

 小野の剣幕に怯んだ様子の遠藤の目が泳ぐ。その視線が示す先に、間宮は飛びついた。年代物の桐箪笥。そのいちばん下の段──

「開けるな!」

「って言われたら即開けちゃうのが私立探偵ってもんでね」

 本当は軍手が欲しかったが、今は贅沢を言っていられない。狼狽した顔で立ち上がる遠藤はしかしその場ですっ転び、もう何年同じ場所に座っていたのだろう、また匂いが強くなる。己の身を支える筋力さえ失っているのか。


 引き出しを開ける。腐臭はなかった。そこにはざっと見たところ、二桁を超える数の透明の小瓶が置かれていた。すべてに白いラベルが貼られ、名前が書かれている。


 中には切断された指が、入っている。


 桧原ハジメの指を引っ掴んで腐海を脱出した。遠藤の母親は玄関に座り込んだままカタカタと震えていた。警察を呼ばなかったのではない、呼べなかったのだ。自分の息子が、他人から奪った指を引き出しに隠していると知っていたから。

 待たせていたタクシーに飛び乗って、間宮はすぐにスマホを取り出す。

『はい市岡』

「間宮」

『見つけた?』

「どうにか」

『そのまま、ヒサシと合流して』

 稟市の声はあくまで淡々としている。彼になにが見えているのか、間宮には分からない。

「この……これはどうしたらいいわけ?」

『摂津家で蘇っている被害者の男性には、今間宮くんたちが回収した指が足りていない。よって不完全。その指を加えることで、完全にする』

 タクシーの運転手に聞こえないように声を落として喋っていたが、さすがに眉間に皺が寄った。完全にしてどうするんだ。死者の復活なんて、それ自体が倫理に反している。自然の法則を無視した行いだというのに。

『完全にすれば終わる。やり方を説明するから聞いて、協力者の方にも伝えてくれ。四宮が相手じゃヒサシは長く戦えない──』

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