10
楽屋の隅に落ちていた指をポケットに入れ、何食わぬ顔で深夜ラジオの収録に参加した。おもにMC犀が喋り、DJナインフィンガーはそれをニコニコしながら聞く係だった。ラジオなんだから何か喋らないとリスナーに伝わらないよ〜とホスト役の若手俳優に何度も言われたが、正直それどころではない。ポケットの中に指がある。誰に知らせればいい。誰を頼ればいい。間宮最か? でも彼女は今Q県にいるはずだ。それでは──
「花見、体調悪いんか?」
収録を終えて喫煙所で背中を丸めていると、頭上から相方の声が聞こえてきた。はっとして顔を上げる。MC犀がじっと花見を見詰めていた。
「ラジオ中もなんや心ここにあらずって感じやったし」
「いや……あー……うん、大丈夫。大丈夫よ」
「ほんまに? 俺にはカッコつけんでもええんよ」
「ハハ。犀くんは優しいね」
そう、犀は優しい。初めて会った時からずっと。だから花見は犀のためならなんでもする。カナメに任せている案件だって巡り巡って犀になんらかの悪影響を及ぼすようなことになったら──長い付き合いのカナメには申し訳ないが、彼女のことをも切り捨てる覚悟はできている。
「なー花見。明日オフやん、どっか遊び行く?」
「犀くんが行きたいとこあるなら付き合うで」
「ほんと? 俺なあ、ちょい気になる古着屋あって……」
生まれも育ちもラッパーとしての活動拠点もすべてを地元で賄っている犀が東京に来る機会など滅多にない。遊びに行きたい場所があるならどこにでも付き合おう、と思う花見のポケットで、スマホが激しく震えた。また北都か、と思いつつ液晶画面を見ると、
「……市岡弁護士?」
「弁護士?」
「あーうん、前にな。ちょっとこの、指の件で……お世話になった人なんじゃけど……」
とはいえ今は午前4時。弁護士業務を始めるにしては早すぎやしないか。
「出た方がいんじゃね? こんな時間に電話してくるなんて相当やで」
通話ボタンを押す。スマホを耳に当てる。
「もしもし……」
『此枝花見さん? お久しぶりです、市岡です』
「どうも。どないしたんです、こんな時間に」
『4時ですね。申し訳ない。急ぎの用がありまして』
気遣いのできる犀は花見と市岡のやり取りが聞こえない程度に離れた場所で、明るくなりつつある東の空を見上げながら煙草に火を点けている。
『間宮最にご依頼いただいた件』
「……Q県」
犀に聴こえる可能性がある場所で「死人の復活」などと口にしたくなかったので、わざと濁した。市岡稟市弁護士はあまり気にしていない様子で続けた。
「正直面倒なことになってます。此枝さんの周りでは何も起きていませんか』
北都西男のことを告げるなら今だろう。ポケットにも本物だか偽物だか分からない指が入ったままだ。
『此枝さん?』
「聞こえてます。あの、写真送ります』
『しゃ』
しん、という市岡の声を最後まで聞かずに通話を終えた。それからポケットの指を取り出し、手の上に乗せて写真を撮り、メッセージアプリで送信した。
すぐに折り返しがあった。
『これをどこで?』
「僕らさっきまでラジオやってたんですけど、その前じゃから1時ぐらいですかね。急に楽屋に落ちてきて……」
『誰かと話をしましたか』
「クソインフルエンサーから電話が来ましたわ」
それか、と市岡は唸る。
『此枝さん、ご面倒ですがその指は燃やしてください』
「は!?」
大声が出た。犀が弾かれたようにこちらを振り返ってる。片手を振って大丈夫だと示し、市岡との会話に意識を戻す。
「燃やす?」
『今どこですか? ラジオのスタジオ? それとも宿?』
「スタジオ……すね。喫煙所です」
『住所教えてください、大体でいいんで』
言われるがままに地図アプリを立ち上げ、現在地を読み上げる。了解です、と市岡は通話を始めた時よりはだいぶ落ち着いた口調で言い、
『火を点ければすぐ消えるはずです。それは肉でも骨でもない』
「意味が……」
『とにかく燃やしてください。それから次にそういうものが落ちてても絶対拾わないように』
会話を一方的に打ち切られ茫然としたが、犀が戻ってくるまでに片付けなくてはならない。さっきからずっとこっちを見ているのに大丈夫大丈夫と手を振っているが、そろそろ近付いてきてしまうだろう。
指を足元に落とし、ライターの火を近付けた。途端、花見の前髪を焼きそうな勢いの火の手が上がった。
「花見!」
犀が駆け寄ってくる。その瞬間にはもう、指は消し炭さえ残さず無くなっていた。
「なんや今の火!」
「ふ、不審火……」
「不審火!?」
回らぬ舌で言いながらも、花見の目には指が消える瞬間の光景がしっかりと焼き付いていた。狐がいた。真っ白い毛並みの狐が炎の中から現れ、指を咥えて飛び去って行った。
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