11
寝て起きた目の前で、シャワーを浴び終えたらしい市岡ヒサシが全裸で体を拭いていた。間宮は深く溜息を吐き、二度寝を決め込もうと平べったい布団の中にもぐり込む。
「寝ないで間宮くん! 起きて!」
「うるせー。朝からチンケなもん見せられて萎えてんだわこっちは」
「チンケな……!?失礼だよ間宮くん! 俺はこの孝行息子で食ってるのに!」
「あーはいはい職業ヒモね。今年で30になるのにいつまで続けんのよ」
「前から思ってたけど間宮くんって寝起き最悪だよね。とにかく起きて、進展があったよ!」
進展。その響きに飛び起きる。睡魔は消え去っていた。
「間宮くんの依頼人に、悪質インフルエンサーから接触があった」
「なっ」
「通話だけだったみたいなんだけど、その後依頼人が指を見つけた」
指を。此枝花見が、指を。
寝起きの頭がひどく混乱している。どう解釈すれば良いのか。
「指については稟ちゃんが回収した。偽物だったらしい」
「にせもの?」
「肉も骨もない、なんていうの? 動物の毛皮を丸めて指に模したもの、とでもいえばいいのか……」
訳が分からない。誰が、なんのためにそんなものを。
「間宮くんとりあえずシャワー浴びてきなよ」
「ああうん」
「そんで化粧しながら俺の話聞いて」
そういうことになった。
生ぬるいお湯を頭から浴びると、少し気持ちが落ち着いた。バスルームから出てきた間宮にヒサシがタオルを手渡す。下着を身に着け、シャツを羽織って鏡台の前に座る。
「話してもいい?」
昨日。此枝花見ことDJナインフィンガーとその相方のMC犀は、ラジオへのゲスト出演のために東京を訪れていたらしい。生放送が始まる直前、花見がひとりで楽屋にいるのを見計らったかのようなタイミングでスマホが鳴り、出てみたら悪質インフルエンサーこと北都西男からだった。10年以上ぶりに声を聞いたので、花見は一瞬相手が誰なのか分からなかったという。北都は花見に対して一方的に恨み言を吐き散らし、あの修学旅行の時に起きた事故は呪いなのだと断言した。そうして花見に自分のことを恨んでいると認めろと執拗に迫り、花見は北都のことなど忘れていたと正直に答えたがために押し問答が繰り返され、最終的に北都はこう叫んだのだという。『どうして、俺の目の前に毎日指が落ちてくるんだよ!!』と。
「毎日指が落ちてくる?」
「そう」
「それももしかして……」
「稟市曰くインフルエンサーの方は実物を見てないから断言はできないけれど、依頼人が拾った指と同種のモノである可能性は高いって」
ファンデーションを塗る手が止まる。偽物の指。呪いを使って10人から指を奪い、その後自分自身も両手の指すべてを失った北都西男の前に、そんなものを降らせる理由はなんだ?
「間宮くん言ってたよね。遺体で発見した桧原ハジメも、指を切られていたって」
「言った」
「小野さんに、どの指か確認した?」
瞼の上に藍色を乗せながら、した、と間宮は短く応じる。
「右手の人差し指」
「利き手?」
「確か、そう」
「でも、北都西男が呪いをかけた10人の中に桧原ハジメは……」
「いない。更に言うと桧原ハジメの指は死後切断されたものだった」
つまり。
「小野さんが言ってた。北都西男は桧原ハジメを嫌ってたって」
「彼は、自分より目立つ自分より性格の良い人間が本当に嫌いなんだね」
「それと、北都西男の父親が元外務省で今は市長をやっているから、この町の人間は皆息子の振る舞いを見て見ぬふりしてたって」
「クソ田舎のクソ縮図だ。でももう大体見えたかな」
「……桧原ハジメを追い詰めた学生たちの裏にいたのは北都西男」
「摂津さんも気付いていたんだろうな。だから実刑にならなかった5人に対して法的措置を取らなかった。一般人からしてみれば、法律よりもヤクザの私刑の方がよっぽど恐ろしいだろうからね」
口紅を差す前に煙草を咥えて火を吐けた。指を狩る男と10年ぶりに蘇った男。そのふたつを繋げるのが。
「四宮の女」
「稟ちゃんもそう言ってた。昨日さ言ったじゃない俺。四宮は死者の復活を司る」
「本気で言ってるの?」
「厳密には完全な復活じゃないんだよ。獣の骨や皮、場合によっては人間の皮膚なんかを作って人形を作る。それに魂を吹き込むのが、四宮のやり方」
此枝花見が拾ったという偽物の指の存在が脳裏に浮かぶ。たとえば摂津の3人目の妻だという四宮の女が、偽物の息子を蘇らせたのだとしたら。
「目的が分からん」
「俺が想像するにひとつは復讐」
間宮と同じように煙草を咥えながら、ヒサシが言った。
「この町の人たちは桧原ハジメがいじめ殺されるのを見て見ぬふりしてた。その人たちに対する復讐。おまえたちも加害者だぞという警告」
「小野さんみたいに罪悪感を抱いてる人だっているのに」
「実際に子どもを殺されたらそんな罪悪感には何の意味もないって感じるんじゃない? まあ俺は独り身だからこれは想像だけど」
ヒサシの声には感情がない。けれどそれで良いと間宮は思う。こんな推理を情感たっぷりに披露されたら、さすがに動揺してしまう。
「もうひとつは──新しい四宮の確保」
そのヒサシの声が、不意に真剣みを帯びた。煙草を吸い終えくちびるに紅を差す手が止まる。鏡に映る市岡ヒサシは、彼にしては珍しく何かに追い詰められているような顔をしていた。
「新しい、四宮?」
「昨日、この話もちょっとしたよね。四宮は男性を必要としない。すべての呪いも祝いも女性だけで行い、また女性のためだけに行動する」
「でも、じゃあ、なんで摂津さんに」
「四宮の目的は摂津さん本人じゃない。摂津さんのところにいる、たったひとりの女性は誰?」
「……スナオさんか!」
昨日聞いたばかりの電話番号を慌ててタップする。コール音だけが無限に繰り返される。メッセージを送っても一向に既読が付く気配がない。念の為小野美佳子にも連絡しようとした瞬間、間宮の手の中のスマホがけたたましく鳴り始める。発信者は、
『市岡稟市弁護士』
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