ヒサシが選んだ宿泊先は、摂津邸からも駅からもだいぶ離れた、町の中でもかなり辺鄙な場所にあるビジネスホテルだった。この時勢にしては珍しく喫煙可能な部屋に素泊まりで飛び込み、まずはベッドに座って一服した。ツインルームである。ヒサシは間宮を女性だと思っていないし、間宮はヒサシを人間だと思っていない。

「摂津家で何か見た?」

「いや見るも見ないも……というかまずは、人間の指を飛ばす呪いの解明から始めなきゃいけないなって」

 歯切れが悪い。普段のヒサシはこんな喋り方をしない。頭に浮かんだ言葉を一切精査することなくそのまま吐き出す。その市岡ヒサシが、まるで──実兄の、市岡稟市のような物言いをする。

「呪いの解明?」

「間宮くんはどう思う? 人間の指をぶっ飛ばす呪いなんて本当に存在するのかな? 小野美佳子さんが見た『指狩り地蔵』は本物? それとも偽物?」

「畳み掛けるね。私は……私にはなんとも言えない。実物を見ていないし、それはそれとして友人のハナの指は間違いなく失われてる。呪いがあるともないとも断言できないよ」

「それでいい。間宮くんはそのスタンスでいて」

「え?」

 二台あるベッドにそれぞれ腰を下ろし、向かい合って煙草を吸った。ベッドとベッドの間にあるサイドテーブルに置かれたガラス製の灰皿に、ヒサシが吸い殻をねじ込む。

「呪いっていうのはね、あるって思った人間に強く作用するんだよ」

「つまり?」

「10年、もうちょっと前か。指狩り地蔵については小野美佳子さんも、此枝花見さんも、それにインフルエンサーHOKTOも全員が同じものを見て、『呪いはある』という共通の結論を抱いた。それを誰にも言わなかったとしてもね。だから呪えた」

 嫌な言い方だと思った。それではまるで。

「ハナは、呪いを信じなければ指を失わずに済んだってこと?」

「そうじゃない。信じなくても結果は同じだったと思う。ただ、此枝花見さんの指は見つからないままだったよね? そんな風には終わらなかったかもしれない」

「……」

「指狩りを依頼されたこの世のものではないものが持ち去った指」

 煙草を咥えたまま、無意識に右手の小指の跡を摩っていた。切断された間宮の指は海だか山だかよく分からないどこかに捨てられた。二度と見つかることはない。

「間宮くんの調査の結果、インフルエンサーHOKTO……北都西男の関係者で指を失った者は此枝花見さん以外に9人いるということだった」

 下調べのファイルを読んだのだろう。間宮は頷く。

「そのうち、指が見つからなかったのは7人」

「そう」

「この7人は、小学校から大学までこのQ県で過ごし、北都西男と良くも悪くも交流があった」

「それは、要するに」

「指狩り地蔵のことを知っていた7人って言えばいいかな。呪いがかかりやすくなっていた。だから狩られた指も見つからなかった」

 そういう考えには至らなかった。確かに此枝花見を除いた9人のうち、7人はQ県の出身者だ。そして全員男性である。それぞれと軽く接触を試みたところ、誰もが北都西男について詳しく語ろうとはしなかった。

「残りの2人は東京の人間だね。北都西男が活動拠点を移してから知り合った相手」

「どっちも女性。ダンサー志望だったけど諦めたって言ってた」

「大方北都西男が言い寄ってきたのを袖にしたりしたんだろ。想像できるよ」

「悪質すぎる」

「そう、インフルエンサーHOKTOは本当に悪質な人間だ。それは俺にも分かる。それでいて自分の役に立ちそうな相手を見極める能力は高く、結果彼には現在芸能界との顔役みたいなパトロンが付いてる」

「クソが」

「クソみたいな人間が報われて、まともに生きてる人間が損をする。世の中はそういう風にできてるじゃん間宮くん」

「そうかもしれないけど」

「でも俺たちはこの案件を片付けることで、そんな歪んだ世の中を少し正すことができるかもしれない」

「あんた、ほんとにヒサシ? なんか、稟市が喋るの聞いてるみたい」

 ベッドに倒れ込みながら問うと、あはは、とヒサシは軽く笑って。

「バレた? 兄ちゃんならこう言うかな〜って真似してみた。似てた?」

「似過ぎててムカつくよ。あんたらほんとに兄弟なんだね」

「逆にほんとは兄弟じゃないって思われてたの? って気持ちよ、俺は。まあいいや。俺は別にこの指狩り連鎖が永遠に続いても俺や俺の周りの人間に影響がない限りどうでもいいと思ってるけど、間宮くんが真相解明の依頼を受けて、稟ちゃんが俺にその手伝いを命じた。それに逆らうわけにはいかないから、真面目に対処方法を考えるよ」

 コンビニで買ったペットボトルの烏龍茶の蓋を開けながら、ヒサシは続けた。

「とにかくそういうシステムで、呪い、特に今回の指狩りは呪いを信じた者に特に強く作用するようにできている」

「死人の復活の方は?」

「名探偵間宮最さんの意見を先に聞きたいな」

「意見なんかない」

 正直な感想だった。

「スナオさんから直接話を聞くことはできなかったし、小野さんと話してると私まで感傷的な気持ちになってくるし……こんな案件引き受けなきゃ良かった」

「間宮くんはそのままでいいよ」

 二度目だ。自分自身をまっすぐに肯定されているのか、それとも幾ら考えてもどうにもならないんだから何もするなと制されているのか、そのどちらでもないのか分からなくなる。

「さっき摂津邸でトイレ借りた時にさ、スナオさんとちょい話をしたのよ」

「話?」

「摂津宣隆は三回結婚して二回離婚してる。二回目の離婚の相手はスナオさんの実母だ」

「だから?」

「三回目の結婚の相手はいったい誰だ? 気にならない?」

「……ならねーよ。それは本題と関係ない」

 会話を続けるのが面倒臭くなってきた。化粧でも落とすかと体を起こし、ベッドの足元に置いていたバッグの中から化粧ポーチを取り出す。

「俺は気になったね。だってあの家変だっただろ? あんなに大きいのに人間の気配がない」

 口紅を、マスカラを、アイシャドウを落としながらヒサシの声を聞く。彼がこんな風に流暢に喋れるなんて知らなかった。厄介ごとの現場には常に兄と一緒に来て、悪いものの祓いもその後始末もすべて兄に任せっぱなしのお調子者の弟。それが間宮の知っている市岡ヒサシだ。

「間宮くんさあ。って知ってる?」

「!」

 

 唐突に飛び出した響きに心臓が跳ねた。知っている。というか。

「オカルト好きでしのみや知らないやつなんていないでしょ。現代の魔女、四宮しのみやの女たち」

「それ〜。現代の魔女という言い方はちょっと違うかなと思うけど、まああの人たちはね、鏡に映らないとか死人を蘇らすとか、魔女っぽい要素を色々持ってはいるから……」

「え、待って」

 死人を蘇らす? 

「何それ」

「そのまんまだよ。四宮は死者の復活を司る。日本中探してもあの人たちだけだね、そんなことができるのは」

 唐突すぎて混乱した。間宮が知っているの情報は──魔女と称される通り女性だけの集団である、江戸時代以前にまで遡ることができる長い歴史を持っている、四宮神社跡地と呼ばれる場所が都内にあるが現代のしのみやは本拠地を持たず常に放浪している、男性を必要とせず女性だけで歴史を紡ぎ続けている、ということぐらいだろうか。特に最後の『男性を必要としない』という点については都市伝説としてしのみやを知る者たちの間でも意見が分かれていて、人間は単為生殖をできないのだから本当は一族の中に男性がいるという説、そもそもしのみやという一族自体が血のつながりに重きを置いていない説などが飛び交い──

「俺の知ってる四宮は、確かに男性を必要としない。呪いもワザもすべて口伝で残し、ひと欠片の活字も世に残さない」

「私も一度だけしのみやについて依頼を受けたことがある。同僚に四宮姓の人間がいて、鏡に映らないって噂があるけど本当なのか調べてくれってさ」

「映った?」

「映らなかった」

「間宮くんも四宮に接触してたんだね」

「その一回だけだよ」

「十分だと思う。あの人たちには関わらない方がいい」

「どういう、」

「摂津宣隆の三番目の妻が四宮だって話」

 クレンジングシートが床に落ちたのに、しばらく気付けずにいた。

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