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「スナオさんが戻る前にお尋ねします。小野さん、あなたは桧原ハジメの友人ではない。此枝花見ともただの同級生だった。それなのになぜ、この件を彼に持ち込んだのです?」

「それは」

 言い淀む。だが言い淀まれている暇は間宮にはない。

「私には守秘義務があります。また私は裁判官ではないのであなたがどんな問題や秘密を抱えていても、あなたを責めたり裁いたりはしない。私の仕事は調査と推理です。小野さん」

 手元の緑茶をまるでヒサシのようにひと息に飲み干し、小野は真っ直ぐに間宮の目を見た。白い肌を刃物でひと撫でしたような美しい一重瞼の女だった。それでいて黒目が大きい。野暮ったい黒髪も悪くはない。こういう人間が意を決する瞬間を見るのが、探偵間宮最の大きな楽しみだった。

「桧原くんと、此枝くんが、ふたりとも北都くんに嫌われていたからです」

「ふたりとも?」

 聞いたところ、桧原ハジメと此枝花見にこれといった共通項はない。強いていうなら同じ年の生まれで、同じ小学校と中学校に通っていた男性、それぐらいだろうか。此枝花見は音楽一家の子息として周囲から比較的ちやほやされて生きてきたし(本人談なので表現に間違いはない)、桧原ハジメはヤクザの息子というそれだけの理由で周りから疎まれ続けてきた。

「北都西男──ダンサーでインフルエンサーでオンラインサロンを経営している男性ですよね。一応確認はしましたけど。イギリスからの帰国子女で、アメリカのダンス大会で大きな賞を取って、今は日本に戻って活動しているとか……」

「嘘です、それ」

「え?」

「嘘なんです」

 小野の眦がわずかにつり上がる。怒りだ。今、この女性は怒りを抱いている。

「帰国子女は本当です。でもイギリスには2歳から3歳ぐらいまでしかいなかった。俺は英語が母国語だからが口癖じゃったけど、英語の授業での発音はめちゃくちゃでした。此枝くんの方がよっぽど流暢じゃった」

「うわあ」

「アメリカのダンス大会でも大きな賞なんて取ってない。っていうか大会そのものがそんなに大きくないんです。参加すれば全員賞をもらえるような」

「そ、それは……いや、小野さん、あなたなんでそんな詳しく?」

「みんな知ってます。この町の人は、みんな」

 公然の秘密というやつか。最早秘密でもなんでもない気がするが。

「けど、みんな触れられないんです。北都くんのお父さんのことももう調べましたか?」

「あー、元外務省の役人とかいう」

「在英大使館で働いとったらしいんです。それで帰国して、今、この町っていうか市の、市長」

「なんかそんな情報もありましたねえ」

 でもだからなんだって言うんです、という間宮の疑問は小野の怒りに満ちた表情に押し流された。

「探偵さんは都会の方じゃけえピンとこないと思います。けど、こういう、うちらが暮らしとるようなちっちゃい町じゃとそうはいかんのです。お父さんが元外務省の偉い人で市長さん。もうそれだけで北都くんはこの町の王子様じゃった。田舎って、そういうもんなんです」

 この場にヒサシがいれば明るく元気に同意しただろう。ヒサシはどちらかといえば王子様に分類される存在だったが、地元が与えてくる過度なプレッシャーを鬱陶しく感じて実家を飛び出した男だ。

「北都くんのお父さんは、摂津さんを嫌ってました。ヤクザじゃから」

「それは分かる気がします」

「此枝くんの一族にはそんなに何も……悪い感情はなかったみたいじゃけど、息子が花見くんを嫌っていたから、それで自然に家同士の距離ができた、みたいな」

「此枝さんご一家はもう土地を離れてらっしゃるんですよね」

「はい。例のウイルスが蔓延し始めた時に、ご一家で関東に移住されました」

 大移動も小移動も制限されていた時期だったが、例のウイルスの存在はこの土地を捨てる理由としては充分だったのだろう。間宮には此枝一家を責めることはできない。もともとそんな気持ちもないが。

「北都──西男は、本当に呪いの力を持っているのでしょうか」

「間宮さん、『指狩り地蔵』の話は聞きました?」

「霊感弁護士から一応。小野さんたちが修学旅行に行った時に起きたっていう」

 事故、と言いかけてやめた。小野は此枝花見の薬指の消失を呪いの仕業だと信じている。

「此枝くんが転校して行ってから、北都くんはどんどん偉そうになりました。うちらにはよう分からん創作ダンスを体育館で披露するから見に来いとか、高校に上がってからは大学生のダンスチームに誘われてクラブで踊ることになったけえチケット買えとか」

「うーん。ヤクザよりヤクザ」

 スナオがこの場にいないからこそ口にできる台詞だったが、正直な感想ではあった。そのチケットも正規の値段での販売ではないだろう。ダンスチームに誘ってくれた大学生とやらにも金蔓としか見られていなかったと想像に難くない。

「ほいで……桧原くんの、絵が」

「コンクールで賞を貰ったっていう、水彩画」

「それです。秋でした。10月じゃったと思います。桧原ハジメくんはほんまに真面目な生徒じゃったて顧問の先生も言うてました。ほじゃけえ、放課後も部室で一生懸命絵を描いて、それが報われたんじゃねって」

 ここまでならいい話だ。努力は報われる。どんなに周囲から疎まれ弾かれても、ひとつのことを懸命にひたむきに続けていれば、いつか誰かが見つけてくれる。そんな美談。

「賞を貰って……そしたら、現金ですよね、みんな。うちもですけど。桧原くんの周りに人が増え始めたんです」

「良い意味で? 悪い意味で?」

「最初は良い意味じゃったと思います。言い訳にしか聞こえんかもですけど、うちも、うちの友だちとかも、みんな桧原くんには興味があったんです。探偵さん、桧原くんの顔とか見ましたか?」

 遺体の写真なら、と答えようとしてやめる。首を横に振る間宮に、小野は肩から提げていた小さな鞄から白い封筒を取り出して、そっと差し出す。

「みんなでカラオケに行った時に撮った写真、古いケイタイに残っとったんです。画像が荒いかもしれんけど」

 わざわざ現像して持ってきたのか。礼を言って封筒の中身を取り出す。5葉の写真。小野美佳子は今とあまり変わりがないように見えた。今も昔もどこか幼い。彼女以外にも制服姿の女子生徒がひとり、ブレザーを着た男子生徒が3人写っており、

「この子が桧原さんですか」

「はい」

 画質の荒い写真でも良く分かる栗色の髪、先端が軽くカールしているのは生まれつきのものだろう。くっきりとした二重瞼、薄くて端の垂れた眉、男子生徒ふたりに両脇から肩を組まれて、片手にマイク、もう片方の手でVサインを作る表情には喜びと戸惑いの色が見て取れる。

「人気者に、なったんですね」

 そんな感想しか口にできなかった。ひどく切なかった。彼がもう生きていないということが。あまりに酷い死に方としたという現実が。

「はい。桧原くんのこと、みんなが好きになりました。親がヤクザじゃからなんじゃあって。そんなことに、その時気付いてももう遅かったのに」

 小野の声が震えている。泣かないで、と言おうとしたところで、廊下に通じる引き戸が大きな音を立てて開いた。ヒサシとスナオが立っていた。身長差が頭ふたつ分ぐらいある。

「間宮くん、そろそろいい?」

「え?」

「一旦俺らホテルに引き上げた方が良さそう」

 なんで、とは尋ねなかった。ヒサシのこういう勘は当たる。そもそもこの世のものではないものへの対策として彼を連れてきたのだ。そのヒサシがこうも強い口調で言うのなら、応じる以外の選択肢はない。

「小野さん。また連絡します」

「はい……」

「スナオさん、お茶とお菓子ご馳走様でした。私たちしばらくQ県におりますので、何かあったらご連絡ください。こちらからも、連絡させていただくかも」

「分かりました。では、玄関までお送りしますね」

 外に出ると夕日が沈んでいくところだった。空が燃えるような橙色だ。未だ蘇った死人には会えていない。此枝花見に何をどう説明したものかと考えながら駐車場に向かうと、ヒサシにクルマの鍵を奪われた。

「ホテル予約してるんだっけ?」

「いや。適当に素泊まりできればいいかなって」

「じゃ俺が選ぶ」

「あんま高いとこにしないでよ、経費だからって」

 冗談めかして言う間宮を、ヒサシはマスク越しでも分かるほどに皮肉っぽい表情で笑った。

「俺ら、もう結構ヤバいよ」

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