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 結局車酔いをしたヒサシのためにサービスエリアでクルマを停める羽目になった。できれば陽が高いうちに現地入りしたかったのだが、難しいかもしれない。アイスコーヒーを片手に間宮は溜息を吐く。どこで買ってきたのか巨大なハンバーガーをふたつ手にしたヒサシが踊るような足取りで喫煙スペースに近付いてくる。

「何それ」

「ジビエバーガーだって。間宮くんも食べるっしょ」

「あんたこれ……」

「領収書切ってもらったから! 経費で落とそ!」

 たしかに足代宿代飯代は持つと言ったが、こんなところでいきなり足止めを食らう予定はなかった。念の為受け取った領収書には、いかにも観光地価格な数字が踊っている。もう赤字だ。個人経営者である私立探偵をなんだと思っているのだろう、この男は。基本的に労働をせず、好みのタイプの女性に肉体で奉仕することで生計を立てているヒサシに間宮の苦労など分かるはずがない。

(ま、そこがいいんだけどね)

 ヒサシは誰にも共感しない。他者を理解しようとしない。目の前で起きた出来事のみを信じる。彼のそういう部分が間宮は好きだった。探偵などという仕事をしていると、どうしてもその場にいる誰かや何かに感情移入せざるを得ない瞬間が訪れる。、と間宮はその度に思う。。奈落に。地獄に。人間の感情が作り出した、関わったものすべてが不幸になる最悪の場所に。

 ヒサシに救われたのは一度や二度ではない。彼は間宮が落ちそうになる度に首根っこを掴んでくれた。そうしていつも、言うのだ。

「間宮くんは探偵でしょ。探偵なら探偵らしくしなよ」

 その通りだ。今回も、ヒサシはきっと間宮をこの世に引き止めてくれる。

「でなんだっけ。そうだ、殺された高校生の話だ」

 喫煙所に他に人がいないのを幸いに、ジビエバーガーをパクつきながらヒサシは車内での会話を再開する。

「なんで遺族が尻込みするのさ。犯人が分かってる明らかな殺人事件なら、裁判でも勝てるだろうに」

「桧原ハジメを殺害した少年たちは呆気なく逮捕された──と、小野美佳子は証言してる。裁判ももちろんあった。加害者が全員未成年だったことと、少年数名が事件への関与を否定したため、判決が出るまでだいぶ時間がかかったみたい」

「で何人が少年院送りに?」

「さっきの資料覚えてる? 17歳の少年ふたり。ほかは5人は要観察で野放し状態」

 ジビエバーガーを食い終えたヒサシは革ジャンのポケットから煙草を取り出し、百円ライターで火を点ける。しぶい顔をしていた。

「なんだかなぁ……そういえば、被害者は美術部で絵を描いてたって話だったよね。それでなんか賞を取ったって」

「ああ、話が前後したね。そう。桧原ハジメは水彩画を描いていて、県内のコンクールで賞を取った」

 ヤクザの子、愛人の息子と遠巻きにされていた桧原ハジメが自分たちと同じ人間なのだと知られるようになったのは、その賞がきっかけだったと小野美佳子は語った。全校生徒の目の前で校長から表彰状を受け取る桧原ハジメは照れ臭そうに微笑んでおり、その笑顔は彼に関わると碌なことにならない、という誰もが抱えていた先入観を吹き飛ばした。桧原ハジメの周りに人が増え始めた。初めは美術部員たち。それからクラスメイト。後輩。先輩。桧原ハジメは、繰り返しになるがふつうの子どもだった。たとえ父親がヤクザでも、母親がその愛人でも、彼自身は、至ってふつうの。

「そのふつうさが、悪い方向に作用した」

「あー……」

 紫煙を吐き出しヒサシが呻く。何かを想像したらしい目付き。彼は弁護士でもなんでもない生粋のヒモだが、おもに子どもの人権を守ると気炎を吐いて活動する兄を持っていれば、こういった嫌な事件を耳にすることも少なくはないだろう。

「親父がヤクザなら金持ってるだろ、から始まったらしくて」

「間宮くん、俺その先想像できるよ」

「私も想像した。それで、その通りだった」

 桧原ハジメは抵抗しなかった。彼はあまりにも孤独だった。ヤクザの子、愛人の子だと弾かれ、外され、省かれて生きてきた。その桧原ハジメがようやく手に入れた、心の底から望んだ高校生活がやっと始まったところなのだ。金を払えば済むのなら、と命じられるままに現金を持ち出した。母親の財布から金を抜くこともあったらしい。足りなくなったら父親に無心した。父親は何も知らなかった。ただ息子が美術部に所属していて、そこで認められ、今も熱心に絵を描いているとだけ思っていた。金はその活動に必要なものだと思われていた。

 父親がヤクザだろうが、母親がその愛人だろうが、金はいずれ尽きる。

「なんで遺族は訴えなかったの。そこが分からん」

「言ったでしょ、父親がヤクザだって」

 間宮もようやくジビエバーガーを完食する。ボリュームがすごかった。食後の煙草を咥えたら、傍らからスッと火を差し出された。元ホストが完璧な笑顔を浮かべてこっちを見ている。

「これも小野美佳子の証言だけど、お母さんはもうすっかり疲れ果てちゃっていたみたい。狭い町だから事件のことも住人全員が知ってるような状態で」

「それはなんか分かる。俺の地元もそうだわ」

「だからもう、主犯格の17歳ふたりが少年院送りになるならそれでいいって。もう関わらないでくれって。そんな風になって」

「うん」

「でも。それじゃ済まない人がひとりいるよね」

「お父さんか」

摂津せっつ宣隆のりたか。元々は東京の人間で、関東かんとう玄國会げんこくかいの幹部だった」

 煙草を灰皿に捨て、ポケットに入れていた黒いマスクを身に着ける。そろそろクルマに戻ろう。ヒサシも灰色のマスクを装着している。

「関東玄國会? ずいぶんでかいところが出てきたね」

「小野美佳子さんにその旨伝えたら驚いてた。ほら、Q県は大阪よりもっと西じゃない」

「西日本といえば東條組とうじょうぐみ。お約束だね」

 関東玄國会と東條組は戦前から存在する反社会組織で、それぞれ関東・関西を取り仕切る大組織でもある。令和の現在も法律の網をかい潜って抗争を繰り返している、一般市民からすれば厄介この上ない連中だ。

「東條組も東京に支部持ってたりするじゃない? その感じで、玄國会がQ県に置いた組事務所のトップが摂津」

「支社長的な」

「それでその支社長がまあ……許さないよね、そりゃね」

「お母さんがもう手を引きたいって言っても」

「言っても。摂津宣隆には関係ない。愛人の子でも可愛い我が子だもん。それが同級生の不良に嬲り殺しにされたってなったら……」

 クルマに戻る。ヒサシがきちんとシートベルトを締めるのを確認し、駐車場を離脱、高速道路を走り始めた。

「それじゃあその、野放しになってる5人っていうのは」

「今は摂津の管理下にいるってことになってる」

「ことになってる?」

「前置きが長くなったけど、ここからが本題なんだよ」

 窓を薄く開けて煙草を吸い始めるヒサシの横顔をちらりと見、間宮は続けた。

「死者の復活の話はしたでしょ」

「聞いた。もともとはほんとにその死んだ人間が復活してるのか確認してきてくれって話だったよね」

「もう分かってると思うけど」

「その復活したかもしれないのが桧原ハジメくんだ」

 灰皿に紙巻きを軽くうち付けながら、ヒサシが小首を傾げる。

「ちなみに、DJナイくんと桧原ハジメくんには面識はあるのかな?」

「ある。中学が一緒だった」

「卒業しなかった中学」

「そう」

「同じクラスになったことはなくて、朝下駄箱の前で会ったら挨拶する程度の距離感だったってハナは言ってるけどね。それも向こうから声をかけてくるから返事しただけっていう」

「ハナ……DJナイくんのことか。桧原ハジメくんは中学でも浮いてたの?」

「そうらしい。修学旅行にも来なかったって」

「薬指喪失修学旅行か」

 じゃあ全然他人じゃん──急にそのことに気付いた様子で、ヒサシが大声を上げる。そうだよ、と間宮は答える。

「めちゃくちゃ他人」

「その小野さん? って人、相談する相手間違えてない?」

「いや、合ってる」

 ハンドルを握る手に我知らず力がこもる。既に失われたはずの右手の小指が疼く。体の一部を失う痛みを、痛み以上の屈辱を、間宮は身を以て知っている。

「これは、そんなに大勢の人は知らない話だって小野美佳子さんは言ってたけど」

 くちびるを噛む。息が苦しい。どうせクルマの中だしと思ってマスクを外した。勝負服ならぬ勝負リップは鮮やかな橙を選ぶと決めている。ジビエバーガーでだいぶ色が落ちてしまったであろうくちびるを指先でそっと撫で、間宮は唸るように言った。

「亡くなった桧原ハジメからは──指が一本なくなっていた」

 ヒサシが大きく目を見開く。

「どの指」

「それはまだ」

「現地で確認?」

「そのつもり」

「ていうかさぁ」

 指、指って言ったら。新しい煙草を取り出しながらヒサシが呟いた。

「例のインフルエンサーが関与してるんじゃねえの、これ」

 そう。だから小野美佳子は此枝花見に連絡を寄越したのだ。

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