スピードの向こう側へ
敏捷ステータス『二』は俺の想像を超えていた。
自分が速いことを認識すると、途端に体が軽いことに気が付く。まるで羽毛のような軽さ。通常人類を超えた速力を発揮したことで、体は自分の運動能力を学習した。今なら次の一歩でどれくらい進めるのかがわかる。
腕の動かす速度も違う。腕の質量が減ったことで速く動かせるような……もちろん、実際にはそんなことないのだろうが。
「きゅえ」
「なんだ不満そうだな」
「きゅえ〜」
「お前……遊びたりないのか?」
「きゅえっ!」
霊狐を下ろしてやると、狐はスタタターっと走り出した。
あの試験官さん、俺、もう捕まえたのですが。
まさかのノーカン狐だったというのか。
「まあいい、何度でも捕まえるまで」
俺は狐を追いかける。
敏捷ステータスは俺の意識の内外で、作用しているようだった。俺が意識すればその効果は最大限発揮され、逆に意識しなければある程度にとどまる。意識外でも作用しているようで、無意識に俺の体の動きが俺の自覚以上に素早くなってしまっていることもある。
「直線を走るくらいならコントロールしやすいけど……」
曲がり角などを曲がると、体が自分のものではないような奇妙な感覚を覚えた。複雑な運動になるほど、操作難易度は上がりそうだ。
「きゅえ」
狐は上品にお座りして敏捷に振り回される俺を待っていてくれた。
「お前、俺が慣れるのを待ってるのか」
「きゅえ」
「そうか……狐は試験官じゃなかったんだ、師匠だ」
こいつは試練をクリアしたらご褒美をくれるだけの存在じゃない。
俺に授けた力の使い方までも教えてくれるんだ。
面倒見のいい霊狐とダンジョンを駆けまわった。全身運動はステータスに振り回される体の支配権を取り戻すのに効果的らしく、俺は自分の速さを御することができるようになっていった。
1時間もすれば、俺は正確に速度を調整することができていた。
「きゅえ〜」
第三の霊狐が光る霧になっていく。
ダンジョンが明るくなり、俺はたわわに実った『仙狐の稲穂』を受け取る。
「師匠、ありがとう」
あまりにも速い師匠との別れに、俺は涙がこぼれないように上を向いた。
その晩、お雪に『仙狐の稲穂』を炊いてもらい食し、稲穂力を迷わずに敏捷に振り分け、敏捷は『三』に成長した。
え? なぜ迷わず敏捷に降ったのかって?
俺は師匠との訓練を得て学んだのだ。
速さこそ至高であると。
「速ければあらゆる攻撃を躱すことができます、速いということは強いということなのです。速さとは正義であり、文化であり、最終解答です!」
お雪は重度の敏捷教徒なようでスピードの素晴らしさを熱く語ってくれた。おかげで俺は自分の考えが間違いではないことを強く確信できたのだ。速さこそが最強だと。
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【ステータス】
赤宮禅
段階:零
稲穂力:無し
体力 十/十
魔力 十/十
防御 零
筋力 零
技量 零
知力 零
抵抗 零
敏捷 三
神秘 零
精神 零
【スキル】
無し
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夜、お狐ダンジョンへ降りる。
ここは黄金の稲穂畑のように明るい。走り回るのに適している。
敏捷『二』の世界でさえ、俺は速力を持て余していた。師匠の導きがなければまともに走ることすらできなかっただろう。敏捷『三』を使いこなすためには訓練が必要なことは想像に難くない。
俺は立身出世しなければならんのだ。お狐ダンジョンのおかげで俺は探索者として強くなっている。今ダンジョンビレッジへ舞い戻れば、多少はやりくりできるようになっている……はずだ。
俺は速く動くことを意識する。スイッチのようなものが入ったのを感じる。歩く。速い。もうわかる。歩行速度が上がっている。今までの歩幅と足の回転率との差異を体に覚えさえ、慣れさせる。
よし、次はジョギングだ。
いいぞ、悪くない。
今度は走ってみよう。
少しずつ少しずつ速度を上げる感じで。
瞬間的な回避能力も確かめよう。師匠は反復横跳びをするように教えてくれてたっけ。
師匠に教えられたメニューをこなしながら、俺は自分の速さを支配下に入れていく。
「なんか体が……重たいな」
1時間ほど訓練して動きには慣れてきた。
しかし、奇妙な感覚に襲われた。重たいのだ。
「……服?」
重たさの正体に気が付く。
服である。俺はもうかなりの速度で動けるようになった。最大速度を出せば、空気を硬く感じるほどだ。速く動きすぎて、空気の壁にぶつかっているのである。俺の感じる重さとはこの硬さなのだ。服が原因だと思ったのは、俺自身は速く動いているが、服は速くは動いていないためだ。動き出す瞬間、服はとても硬く感じるのだ。
上着を1枚脱ぐ。
おお、ずいぶん軽くなった。
さっきより身軽だ。
でも、まだ微妙に動きづらい。
肌着を脱ぎ、ボクサーパンツ一丁になる。
軽い、素晴らしい解放感だ。
俺は今、速さの到達点にいるのか。
いや、違う、まだ、これは極みではない。
「そうか……速さを極めるということはこういうことなのか」
俺はパンツを放り捨てる。
思えば俺を鍛えてくれた師匠たちは服を着ていなかった。狐は速さ、すなわち強さを極めるために服を着ないのだ。強さの正装とはすなわちこれなのだ。
今の俺はただの敏捷『三』ではない。
敏捷『三』+正装だ。
「我が師たちよ、ようやく俺もあなたたちの思想に近づけました」
これが完成形。
否、これでようやくスタート地点。
さあ、鍛え行こう、スピードの向こう側へ。
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