仙狐の稲穂


 『仙狐の稲穂』……アイテム名が表示されるということは、この世の理外の不思議な力を宿しているということか。たわわと実った豊かな稲穂である。俺の家系には農家がいなかったので、お米への造詣は深くはない。でも、目の前にあるこの稲穂が素晴らしい豊穣であることは素人目にも判断がつく。

 アイテム名を指でなぞる。もっと詳細を見てみよう。


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『仙狐の稲穂』

仙狐の力が宿った稲穂

お米は赤い血となり肉となる

食べると祝福を得られるだろう

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「さあ、炊きましょう」

「稲穂からお米を?」

「では、そのまま食べますか?」

「現代人としてはそれも遠慮したいが」

「ふふ。大丈夫です。このお雪、お米の扱いは専門家クラスなのです」


 すっかり明るくなったダンジョンをあとにし、俺たちは不思議な稲をお米として炊くため、裏庭へ戻ってきた。


「見覚えのない道具があるんだが」

「これは足踏み式脱穀機です。明治時代では大活躍だったのですよ」


 どこからそんなものを、というかいつの間にそんなものを設置したのだ。

 お雪は俺の抱いた疑問ごと豊かに実った稲穂を脱穀機にかけ、手際よく籾殻を落とし、そのあとは俺の知らないいくつかの工程を行なっていく。現代では使われていない木製の古めかしい道具の数々を使いこなす様は、奇妙な懐古を俺に抱かせた。

 

「俺になんか手伝えることはあるか」

「そのお気持ちだけで十分です。赤宮さんはシャワーでも浴びてきてはいかがですか。その後はお席について、ごゆるりとお待ちください」


 戦力外通告を受けたので、大人しく俺はお雪の言葉に従うことにした。

 寒々しい縁側で、風呂あがりの喉にカシスオレンジをぶち込んでいると、お雪に呼ばれたので居間へ。障子を開けるとホカホカの夕食が用意されていた。目を惹くのは銀色の白米だ。ツヤツヤどころじゃない。輝いている。


「くっ、こ、このお米は……!」

「これは赤宮さんが勝ち取った試練の褒美にございます。仙力の宿った仙狐のお米、どうぞ召し上がれ」

「これがあの稲穂……」


 俺は生唾を飲みこみ、箸を手に取る。

 垂涎ものの美食に箸を伸ばそうとし……ふと、箸先が止まった。

 こんなちゃんとしたご飯……最後に食べたのは一体いつだっただろうか。そう思いを馳せたからだ。営業をしていた時はいつも急がしかったので、牛丼屋にカレー屋にラーメンに寿司、コンビニ弁当とおにぎり、あとはパンとカップ麺など、これらをローテーションすることが俺の食のすべてであった。会社を辞めた後もほとんど食事が変わることはなかった。俺の怠惰ゆえだ。現代人ならば意外とこういうやつも多いとは思う。


 比べて目の前の飯はどうだ。

 しゃけの塩焼きにお味噌汁、たくあんにほうれん草の和物だろうか。どれも美味そうで、こうして目の前にすると腹がぐうぐうと鳴いて「はやく食べてくれ」と主張してくるじゃあないか。

 この素朴ながら素晴らしい料理は、もちろん、チェーン店でも食べられないことはないだろう。だが、目の前にある品々は全てお雪が俺のためにこしらえてくれたものだ。米に至っては脱穀からやってる。


 気がつけば瞳から涙が溢れていた。まだ一口も食べていないのに、胸がいっぱいになってしまった。俺の心を満たす温かいものはなんだ。忘れていた、懐かしさすら覚える包みこむような優しさにどう報いればいい。


「赤宮さん、冷めてしまいますよ」

「……ああ」


 俺は涙を飲みこみ、箸先をしゃけの塩焼きへ押し付けた。

 ホカホカのしゃけの身はほとんど抵抗なくホロリとほぐれる。しゃけを箸でほぐした箇所に醤油を3滴垂らして口へ運び、ほくほくの白飯を豪快に口へかきこむ。あぁ! 美味い、美味すぎる……っ、悪魔的な美味さだ……! 程よく油の乗ったしゃけの身が、箸先ひとつまみだけで口全体に香ばしい味わいを広げている。おかげで白飯がうまい。というか白飯自体のポテンシャルも高すぎる。ふっくらしていて、噛めば噛むほど甘い。いくらでも食べれる。

 純粋な旨さの暴力。その無呼吸連打に感動の涙を流しながら、感想をもらす暇もなく、俺は一心不乱にしゃけと米を交互に口のなかへ運んだ。たまにたくあんとほうれん草の和物を口に挟む。これが格別に米の甘味とマッチする。そして、次のひと口をまた美味くする。


「はぁ……」


 気がついた時、俺の茶碗は空になっていた。

 否、茶碗だけではない。すべての皿が綺麗に空になっている。

 久しく忘れていた心を満たす夕食に最大の感謝をしながら手を合わせた。


「ごちそうさまでした」

「お粗末さまです」


 お雪はニコリと優しい笑みを浮かべた。

 

「赤宮さん、ステータスを確認してみてください。『仙狐の稲穂』の効果が表れているはずです」


 飯が美味すぎてすっかり忘れていたが『仙狐の稲穂』を食べて、その効果を確認することが目的なのだったな。俺は念じて自分のステータスを展開する。


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【ステータス】

 赤宮禅

 段階:零

 稲穂力:残り一

 体力 十/十

 魔力 十/十

 防御 零

 筋力 零

 技量 零

 知力 零

 抵抗 零

 敏捷 零

 神秘 零

 精神 零


【スキル】

 無し


────────────────────


 段階という表示の下に『稲穂力:残り一』という不思議な表示が追加されている。以前まではなかったステータス項目だ。


「稲穂力を消費することで赤宮さんはステータスを伸ばすことができます」

「それは任意のステータスということなのか」

「その通りでございます」


 通常、探索者はレベルアップを通して、各種ステータスを成長させ、より深い階層のダンジョンへ挑めるように己を強化する。その際、自分のステータスの伸びを選ぶことはできない。人が自分の才能を選べないのと一緒で、どのステータスがどれくらい伸びるのかは神のみぞ知る。

 その事実を知っているからわかる。稲穂力の特別性が。任意のステータスを伸ばせるってことはつまり……できちゃうってことですよね、アレが。

 

「『仙狐の稲穂』をくれる霊狐さんはお狐ダンジョンにたくさんいらっしゃいます。その度に試練をクリアする必要はありますが、一度きりしかもらえないわけじゃないです」

「それじゃあ、たくさん試練をクリアしたらそれだけ美味いお米が食べられるのか」

「その通りでございます。たくさん頑張って、どんどんステータスを成長させてください。その意味では”敏捷”に稲穂力を振って狐の試練をクリアしやすくするのが、おすすめではありますね」


 狐の試練は追いかけっこ。今日は試験官のお情けで『仙狐の稲穂』をもらえたようなもの。正々堂々と勝負した場合、今の俺の足じゃ狐を捕まえることなどできない。

 なるほど、お雪の言う通りだ。まずはしっかりと試練をクリアできるように敏捷を取るべきだな。


────────────────────

【ステータス】

 赤宮禅

 段階:零

 稲穂力:無し

 体力 十/十

 魔力 十/十

 防御 零

 筋力 零

 技量 零

 知力 零

 抵抗 零

 敏捷 一

 神秘 零

 精神 零


【スキル】

 無し


────────────────────


 よし、稲穂力を敏捷に振ったぞ。

 敏捷が『零』から『一』に成長した。

 初めてのステータス上昇……泣きそうだ。

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