ダンジョンは危険な場所
穴を掘って辿り着いた先。暗く、埃被った、遺跡のような風貌の四角い部屋だ。四方のうち三方を薄茶けた石煉瓦の壁に囲まれており、残る一方、俺たちの視線の先にだけ通路が続いている。不気味な雰囲気だ。とても進もうとは思えない。
床に触れてみる。足元も基本的には石煉瓦作りである。建材の知識があるわけではないし、建築学を修めているわけでもない。古い建物に詳しいわけでもないが、それでも俺が触れているソレらが人工物であることはわかる。自然発生的に生まれる形状ではない。幻でもなさそうだ。
「赤宮さんのために特別なダンジョンの召喚させていただきました」
召喚なんて可能なのか。自然に考えるのならば、この一室だけとっても地下にこっそり整形するのは非常に大きな労力がかかる。ゆえに昨日の夜助けた狐が、頑張って用意したと考えるのは理屈が通らず、この地下空間はずっと前から俺の家の地下に広がっていたと考えるべきだ。
とはいえ、ダンジョンという言葉が出てきたのでもはや”普通の世界”で生きてきた俺の常識など役に立たないのかもしれないが。
一般人の俺がダンジョンについて知っていることは多くはない。せいぜい『ダンジョン内は探索者しか活動できない』『恐ろしいモンスターがいる』『稀少資源が眠っている』くらいだ。
最も深く理解しているのはモンスターの恐ろしさだろうか。これに関しては度々、体験として知る機会があった。ダンジョンの外でたまに見かけるのだ。公共放送で非常事態宣言を知らせる不気味なサイレンが公共放送によって流れ出したら、それがダンジョンからモンスターが外へ漏れ出たサインだ。俗にいうダンジョンブレイクである。
ダンジョンブレイクは近年、多発している災害の一種だ。俺が大学生くらいの時からか、ダンジョン関連のニュースが増えて、機動隊がモンスターを戦っている映像が流れるようになった。
なんでもダンジョンの出現頻度がこの数年爆増しているらしく、ダンジョン財団━━ダンジョンを管理している怪しげな組織━━の首がまわっていないらしい。かつてダンジョン財団は、すべてのダンジョンを人間社会から隔離し、社会の安全を守っていたようだが、ダンジョン飽和の時代では、その全てを社会から切り離すことができないようだ。
近年は普通に生活していても度々、ダンジョンブレイクを経験し、モンスターを目にする。ちなみに俺の住んでいるこの賃貸が格安なのは、住所がダンジョン出現率において世界トップクラスの地域だからだ。危険すぎて住民の引越しが相次ぎ、ゴーストタウン化が進んでる。住む場所を探すには困らない。家賃も安い。ちなみに街の名はネオ群馬シティだったりする。
そんなこんなでモンスターの恐ろしさをよく知っている俺である。
美しい狐の娘が好意で贈ってくれたこの薄暗い地下空間が、魑魅魍魎の巣窟と知っているので、とてもとてもこの場に長居する気にはならない。
「とりあえず、一旦出よう」
「ここは凄いダンジョンなんですよ! ちょっと覗くだけでも━━」
「外に出ないというなら死人が出るぞ。俺という名の死人が」
モンスターの危険はもちろんあるが、より前提的な危険もある。ダンジョン内は探索者しか活動できない。探索者とはダンジョン内を自由に動きまわれる特別な因子を持つ”選ばれし者”たちのことだ。俺のような一般人がダンジョンに足を踏み入れると、充満している未知の元素が有害に作用し、深刻な健康被害をもたらすらしい。いつだったかネットの記事で読んだ。
「赤宮さんに死んでもらうわけには行きません……でも、せっかく召喚したのに……」
お雪はしょんぼりした顔をする。ふわふわのお耳と尻尾は垂れさがり、見るからに元気がなくなる。恐ろしくガッカリしている。人の機微に敏感な俺ではないが、それくらいはわかった。彼女を悲しませたくはない。
「お雪がダンジョンを召喚してくれたことはすごく嬉しい。冒険に出かけたくてワクワクが止まらないよ」
俺は精一杯の笑顔を作ってボディランゲージで両腕を振り回す。
「赤宮さんが奇行を……すでに深刻な健康被害が出ている……」
ええい、誰のためにやってると思って。
恥ずかしくなったので咳払いで誤魔化す。
「まあいいです。ダンジョンに戸惑ってしまうのも無理はありません。心の準備をいたしましょう」
お雪の調子がすこし戻った。お耳と尻尾が活発になって上向きになっている。うむ。わかりやすくて助かる。チョロい。
俺とお雪はダンジョンをそそくさと出て、地上へ戻ってくる。
俺は思案をめぐらせる。ダンジョンかぁ、ダンジョンねぇ……俺にどうしろと言うんだ。どれだけ考えても結論は変わらない。普通の人間ではそれを利用する方法がない。俺の手に余る存在だ。そもそも危なすぎるし。
探索者と呼ばれる者たちにとってはお宝の眠る垂涎ものの価値が宿る迷宮。ダイヤの原石や芸術品などに似ている。然るべき者にとって価値を生み出すという点で。
探索者は夢のある職業だ。超常的な能力をふるいモンスターを倒すさまはまさしく現代の英雄と呼ぶにふさわしい。名声を獲得し、人々に尊敬される職業だ。羽振りも非常にいい。湯水のようにお金を稼ぐブルジョワ探索者も世の中にはいるらしい。
羨ましいとは思う。でも、同時に手が届かないこともわかる。そこには選ばれし者しか辿り着けない。
「素直に警察とかに任せるのがいいと思うんだ」
「そんな! せっかく特別なダンジョンを召喚したのに!」
「特別だろうとなんだろうと、ダンジョンは選ばれし者にしか微笑まないんだ。お雪、俺は選ばれし者じゃないんだよ」
ジリジリと燃える煙草の先端。
年末の憂鬱な灰空に紫煙が登っていく。
「赤宮さんはわたしにおでんをくれました。絶対に選ばれし者です」
「メチャクチャな論理展開をするじゃあない。おでんをあげるなんて……俺じゃなくても普通に良心のある奴ならそうする」
「むぅ」
「そんな顔しないでくれ。俺は普通のやつなんだって。お雪、お前の厚意を無碍にして悪いと思ってる。でも、俺は他人の期待に応えられないダメなやつなんだよ」
お雪は腕をくみ「ふむ」と思案げにする。俺はきっと酷い顔をしていたと思う。疲れきった表情だったのだろう。実際、穴を掘った疲労はあっただろうが。
「顔つきが熊に捕まった死にかけの鮭だったので、何があったのかと思っていたのですが、なるほど、これは重症ですね。赤宮さんは悲観の病気かもしれません」
まあ、間違えてはない。
「行きましょう」
「? 行くって、どこに……?」
「もちろん、赤宮さんが選ばれし者かどうか確かめにいくのです」
お雪は言って朗らかに笑む。白いふわふわ尻尾がゆさゆさと揺れている。
俺は渋々と腰をあげた。期待はしていないが……俺が選ばれし者か否か、確認くらいはしていいかもしれない。
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