第四章:御白様

 夕方、もう一度、お母さんが迎えに来た。私と母は先生二人と若旦那に頭を下げて旅館を後にする。


「────もう大丈夫?」


 心配そうなお母さんの声は疲弊していた。私が家を出た後、父方の叔父叔母家族が来たみたいだが、あまり面識がないため対応に気を使ったとか。


「うん。ごめんね。お母さん」


「謝らなくて良いのよ……明日には、帰りましょうね」


 祖母の家が見えてくる。中から、知らない人の声が聞こえる。おそらくは叔父叔母家族の声だろう。


 もう、お婆ちゃんはここにはいない。


 大丈夫。入っても、何も起きない。


 自身にそう言い聞かせるものの、まだ恐怖の感情が完全に無くなったわけじゃない。無意識に、お母さんの手を掴んでしまう。


 玄関を開け、土間で靴を脱いだ。


 居間に向かうと、堀こたつを囲んで父と叔父夫婦、叔母夫婦がいた。


 そして、彼らを少し離れたところにある座椅子に、


 ────お婆ちゃんが座っているのが見えた。


 どうして? 足がすくむ。だって、もう、納棺されたはず。


 それに、何で誰もお婆ちゃんに何も言わないの?


 “おしらさまと繋がった生者は、彼女を認識できるようになった。また、繋がった者が亡くなっても、おしらさまと繋がり続けた。おしらさまは、生者と死者とを繋ぐハブの役割を果たした。”


 ナルミ先生の仮説を思い出す。


 全身に立つ鳥肌と、鼓動が早まっていくのは、理解の外側の現象に、頭が警告を発しているようだった。


「お! 紅葉ちゃん久しぶりだね!」


「あら! 美人になったわね! ほら、こっちにおいで」


 叔父さんと叔母さんは私に手招きする。


 それに合わせるように、お婆ちゃんの左手も、こっちにおいでと動いた。


 キラリと、白い糸が見えた。糸は、私の左手に繋がっている。


「────あっ……あの……えと」


 うまく言葉が出せない。動きたいのに、身体が石にでもなったように動かない。


 そんな私の肩を、お母さんが優しく掴んだ。


「ごめんなさい……紅葉、ちょっと体調が優れないみたいで……今日も旅館の若旦那の所で休ませてもらってて」


「あぁ……ショックが強過ぎたかぁ……紅葉ちゃん、母さんと一緒に住んでたもんなぁ」


 叔父さんは、「ごめんなぁ」と言うと、再び話の輪に戻っていった。座椅子のお婆ちゃんは、恨めしそうにこちらを見ていた。


 ☆☆☆


 お母さんに抱きつきながら、別の和室で石油ストーブにあたる。寒さとは別の震えが止まらない。この家の中に、いるだけで気が狂いそうになる。


 お母さんは、何かを察したのか、「大丈夫だから……」と何度も私の背中を撫でてくれた。


「……お婆ちゃんって、もういないんだよね?」


「そうよ……」


「じゃあ、これって」


 私は、左手の小指に巻き付いた絹糸を、お母さんに見せた。しかし、お母さんは、


「ん? どうしたの?」


 と、糸が見えていないようだった。


 ────あぁ、やっぱりそうなんだ。


 ナルミ先生の言った通り、私にしか、見えていない。


「おーい! 手伝ってくれ!」


 お父さんの声が聞こえる。お母さんは、「ちょっと行ってくるね……すぐ戻るから」と部屋を後にした。


 ☆☆☆


 カタカタとストーブの振動音だけが部屋に聞こえる中、後ろで畳を擦る音が聞こえた。


 振り返れない。柵の中で燃えるストーブの炎を、ただただ見つめることしかできない。背中に、ひんやりとした感覚を覚える。


 右手の小指がピクッと動く。こちらにも、同じく絹糸が見えた。


「ありがとう……紅葉さん」


 ストーブの金属部分に背後の存在が映った。


 腰まで伸びる白い髪、赤い瞳、光沢のある白い着物姿。


 そこには、夢に出てきた、おしらさまの姿があった。


「尾花さんがね、あなたも一緒にって……」


 幼い声がそう言った途端、恐怖が和らぎ、代わりに焦燥感が襲った。


 それは、おしらさまの感情。彼女は焦りや不安を常に抱いていた。


 糸を介して、感覚を共有しているような気がした。


 ☆☆☆


 ────忘れないで


 ────私を必要として


 ────消えたくない


 ────存在していたい


 ────病を取り去るから


 ────だから、私を求めて


 ────私を理解して


 私に伝わる彼女の心は、飢えていた。いつ無くなるか分からない信仰心に恐れを抱き、自己を承認する存在を求めて、満たされない渇きに苦しんでいるのだ。それが伝わってくる。


 まるでそれが、私の感情になったように、彼女への同情が渦巻いた。


 彼女へ振り返った。着物姿の少女は裸足で、背中には、赤や青の幾何学模様が描かれた美しい羽根が二枚生えていた。


 彼女の背中から伸びる多くの糸が見えた。彼女を囲うように、周囲の壁をすり抜けて浮遊した老人たちが姿を現す。部屋に入り切らないほどの人数がいることは容易に想像ができた。


 まだまだ余っている糸の先が外まで伸びているのだから。


 彼らには見覚えがあった。既にこの世を去った村の住人達だ。みんな、口々に「おしらさま……私たちが見ていますよ」と、彼女を励ましている。


 ────私も、おしらさまを慰めなきゃ


 思考が一色になる。私たちがいなければ、彼女は消えてしまう。私たちは、彼女にとって必要な存在なのだ。


 おしらさまと村人は、互いに互いを承認し続けて今まで紡いできた。


 彼女と住民は”共生”している。


 ────糸を切ってはいけない


 お婆ちゃんの声が聞こえた。彼女の隣に、お婆ちゃんが立っている。


 この村の繋がりは、彼女おしらさまの生命線なんだと、そう言っているような目でこちらを見ていた。


 ☆☆☆


 ────理解して納得する……できれば理屈として


 ────理解するというのは、平常心を保つのに必要なんです


 ────それこそ、未知の塊……怪異においては重要なファクターです


 彼女の心を理解した瞬間、ナルミ先生の言葉を思い出した。


 ────人の因果や縁という、目には見えない繋がりを糸としている


 ────アキさんには”村以外”の繋がりがいっぱいあるでしょ?


 ナルミ先生の言葉に、段々と、頭が冷静さを取り戻していく。フラットな頭で現状を見ると、それは異常としか言いようがないことに気がついた。


 一人の少女を大勢の老人が囲い、慰めている。これだけの人数がいるにも関わらず、彼女は満足していない。まだ足りないと言わんばかりに、糸の繋がる先を増やそうとしている。


 彼女の感情が辛いものなのは分かる。心に穴が空いたように、何を与えられても貯まることがない。常に飢餓状態なんだから。


 人との繋がりを増やして痛みを和らげたいと思うのは当然なんだ。


 でも、それは根本的な解決にならない。


 彼女を、おしらさまを、この世界にハッキリと認識させてあげなければ、彼女の存在が安定することは無いんじゃないか。それこそ、誰もが知っている神話のように、語り継がれなければならないんじゃないのか。


 今の絹峯村は、完全に利害の一致で繋がっている不安定な状態。


 このままじゃ、永遠に彼女は満たされない。


 さっき、共生だと思ったけど違う。歪な共生関係だ。共依存なんだ。


「私が、貴女と一緒にいても変わらない」


 勇気を出して発した言葉に、少女は顔を歪ませた。


 ────どうして分かってくれないの?


 そんな感情が伝わってくる。


 違う……理解している。だからこその結論なんだ。


 あなたと繋がり、感覚を共有しているから、だから言っているんだ。


「このままじゃいけない……」


 おしらさまを真の意味で安定させる。


 それが、生者として彼女と繋がり、心を理解した私の役割。


「おしらさま……私が広めるから……貴女の存在を、伝えるから」


 ────だから、”糸を切って”!


 そう、強く心の中で念じた。


 ────糸を切ってはいけない


 ────その糸は、彼女の命綱だ


 周囲の老人たちの憤慨した感情が伝わってくる。


 私は、左手の小指をストーブに押し当てた。熱さで指の感覚がなくなっていく。顔が歪んだ。痛みに我慢できず、手を離すと、鈍い痛みを発する火傷した小指に巻かれた糸は、傷ひとつ付いていなかった。


 人の因果や縁という、目には見えない繋がりを糸としているから、カッターや熱で切れるものじゃないんだ。


「一緒にいましょう……紅葉さん」


「それは、できません……私は、明日にはここを出ます」


 少女は、酷く悲しそうな顔をした。今にも泣き出しそうだった。


「人の縁は……目に見えなくても、繋がっています」


 ────だから、糸を切って


 再び、強く心の中で念じた。


 これは、拒絶しているわけじゃない……とも念じる。


 少女は、ゆっくりと私の左手に触れる。火傷で痛む小指に触れると、巻き付いた糸がスルスルと外れていく。この糸は、お婆ちゃんと私が繋がっていた糸。彼女は自分にその糸を繋ぐ。


「これで、尾花さんは私とだけ繋がった……」


 今度は右手に少女が触れる。右手の糸は、おしらさまと繋がる糸。


「────まっすぐ向き合ってくれて、ありがとう」


 そう、彼女は言い残し、周囲の老人達と共に姿を消した。

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