第三章:集線の先

 礼服の上からコートを着たナルミは、村の役場の待合室でソファーに座りながら、参列した葬式を思い出していた。手には小さな黒い手帳とボールペンが握られ、神妙な顔つきのままカウンターを見つめている。


 ────よかったね、尾花さん!


 ────そうだね、一時はどうなるかと思ったけどね


 ────あはははは! 俺も、人のことは言えないけどさ!


 ────”おしらさま”によろしくな! 尾花さん!


 ご遺体を前に、五十代の男が独り言を言っていたのを、思い出す。


 まるで誰かと会話しているような素振り。そう、まるで、目の前の棺の人物とでも話しているような。


「何が……見えていた?」


 呟きが漏れる。カウンターの向こうから名前を呼ぶ声が聞こえた。新人と思われる十代の女性の前に通された。


「こ、今回ご担当させていただく、ウメモトと申します。移住をお考えと伺っておりますが……」


「はは、そんなに緊張しないでください」


 ウメモトさんは、手作りのパンフレットをこちらに手渡した。


 “長寿の村へようこそ!”と大きなフォントで書かれた表紙が可愛らしかった。


「そうなんですよ。長寿の村ってのが気に入りましてね……僕も、長生きしたい物ですから」


「そんな……ナルミ様はまだまだお若いじゃないですか!」


 ウメモトさんは、チラリと後ろを確認する。資料をFAXするのに手間取っている五十代の男女が見えた。どうやら彼女は、上司に今の発言を聞かれたくなかったようだ。


「……なにか、ありました?」


「あ、いえ……」


 こちらに視線を戻した彼女は物言いたげな表情を浮かべるものの、頑張って営業スマイルを作ろうと必死だった。


「噂ですけど、ここの方々は、みなさん天命を全うされるとか……」


「あぁ〜! そ、そうみたいですね!」


「……みたい・・・?」


 詳しく聞いてみると、彼女は最近ここに異動してきたばかりのようだった。


「あっ! でも、ここの村の人達はホント元気ですよ! 全然、病気にならないんですよ! この間なんか、お医者様が────」


 そう言いかけた時、彼女の後ろで咳払いが聞こえた。ビクッと彼女は身体を震わせる。


「まぁ……医者泣かせでしょうね」


 僕は、彼女の言いたかったことを代わりに口にした。小さくコクコクッと首を縦に振って同意する姿を見て、僕は声のボリュームを下げる。


「病気にならないのに、なぜ秋葉さんのところは”脳卒中”なんでしょうね」


「え、えぇ? あぁ……秋葉さん……だからお休みなのか」


 アキさんのお父様は、ここで働いているらしい。この役場では職員のスケジュールを確認していないのか?


「おかしいですね……前に資料をみた時は……」


 彼女は仕事を忘れて、うーんと唸り始めた。


「五十年前からはずっと病死なんて……」


「五十年前? 養蚕の全盛期じゃないですか」


 ウメモトさんは、「養蚕?」と頭の上にハテナを浮かべた。


「それに、白い服は着てはいけないはずなのに、ご遺体は白装束だった」


 それも、亡くなった後ではなく、”亡くなる直前”に着せられたというのが分からない。


「そうなんですよ! 白い服は着ちゃダメって何なんでしょうね!? 死者の色だとか言われてますけど!」


「……死者? 神の色じゃなくて?」


 不満とばかりにウメモトさんは熱弁する。またしても後ろから咳払いが聞こえ、ついには上司と思われる男性がやってきた。


「ウメモトォ! 真面に仕事しろ!」


「ヒッ……!? す、すみません……」


 彼女の上司が僕に向き直る。


「ナルミ様、申し訳ありません……ウメモトに代わりまして、わたくし────」


「あ、いえ……また出直しますね」


 僕はパンフレットを握りしめて役場を足早に立ち去る。後ろから名前を呼ぶ声がするが、無視して外に出た後、パンフレットを脇に挟み手帳を開いた。


 ナルミは、”神=白=死者”とメモする。


 ────白い糸は……生者を繋げる命綱……白は神の色……


 ────そして、白は死者の色……生者と死者は……白で繋がる


「……アキさんを中心に、お婆様の尾花さんと少女が繋がった」


 少女が”おしらさま”なら、並び順は、


 尾花さん→アキさん→おしらさま


 という形になる。


 ────よかったね、尾花さん!


 ────”おしらさま”によろしくな! 尾花さん!


「あの人は……尾花さんが”視えて”いたのか?」


 ────あはははは! 俺も、人のことは言えないけどさ!


「人のことは言えない……あの男の人もアキさんと一緒?」


 アキさんは、子供の頃に白い服を着て、それを尾花さんに切り裂かれた……


 白い服を着た人は、言わば蚕の繭……おしらさまの繭……


「繭は……他の繋がった人が視える?」


 ────五十年前からずっと病死なんて……


 養蚕の全盛期から病を克服した村人達……衰退した現在まで続く長寿の秘密……


 ────アキを呼び戻しなさい


 ────”彼女”が寂しがっている


「────糸を切ってはいけない……寂しいってなんだ?」


 手帳のページは文字で埋め尽くされた。歩きながら書いたから、歪な文字が大半だった。


 一番下の行に殴り書きされたのは、


 “尾花さんは、アキさんのせいで繋がれなかった”


 という、ナルミの仮説だった。


 ☆☆☆


 モチヅキは、家に戻りたくないというアキの願いを聞き入れ、母親を説得し葬式が終わるまで一緒にいることにした。


 二人で温泉に浸かったり、テレビを見たり、温泉に浸かったり、古いゲームコーナーを物色したり、温泉に浸かったりを繰り返していた。


 充分満足した後、自室へと向かっていく。勢いよく部屋の扉を開けると、部屋の中心に、座禅を組む白装束のナルミがいた。


「うわ出たぁああああああ!!!!!!」


「騒がないでくださいよ……」


 モチヅキは持っていた籠をナルミへ思い切り投げた。中には着ていた洋服と下着が入っており、ナルミに直撃した後、空中でそれらをばら撒いた。


 ナルミの頭部にモチヅキのピンクの下着がパッと乗った。


「はぁ……」


「ため息をつきたいのはコッチよ!? 無料タダで温泉に連れていくって言ったから来たけど、勝手にどっか行くし、アキちゃんのご家族には貴方のせいで頭下げなきゃならなかったし、温泉はアキちゃんと入ったから楽しかったし」


「楽しかったならよかったじゃないですか……」


「てか、なんで私の部屋にいるのよ!? 自室で辞世の句でも読みなさいよ」


 切腹かよ。


「どう見ても、今からハラキリしますって格好じゃない!? なんなのよ、もう!?」


 畳の上でゴロゴロと駄々をこねるモチヅキ。彼女をなだめるアキ。それに対して、ナルミは静かに言葉を返す。


「……おしらさまと、繋がってみようと思いまして」


「はぁ!?」


「ナルミ先生……何でわざわざ」


 ナルミは、自分の立てた仮説を立証するために自ら白装束を纏った。しかし、一向に何も変わらない。外を見ても変なものは見えないし、身体に変化もない。


「繋がり……血縁が関係しているのか? それなら、血縁者のアキさんを利用して、おしらさまに繋がったと考えるのが自然か……」


 独り言を繰り返すナルミに呆れたモチヅキは、窓を開けてタバコに火をつけた。アキはテーブル横に座布団を敷いて座っている。


「なんでそこまで調べるのよ……」


「モチヅキ先生だって、アキさんが心配でしょ?」


「そりゃ……そうだけど」


 モチヅキは、ナルミが避難所となりたいと言っていたのを思い出す。隣でちょこんと正座するアキは、二人を見て安心そうな顔をした。


「それに僕は未知を理解したい……例え、世界を超越した存在だったとしても」


「……理屈がどうのこうの言ってなかった?」


「初めは、村全体で集団催眠にでもかかっているんじゃないかと思っていましたよ。アキさんの夢も、不思議な言葉や伝承を意識するあまりに見た悪夢と思っていたのですが……」


 五十年前から続く長寿の謎が解けない。病にかからないなんて、まるで何かに守られているようだ。そう考えたら、未知の存在を疑ってしまう。


 例えば風土独特の寄生虫やウイルス……そればかりは知見でどうにかなるものではない。なら、辻褄が合うような話でも作ってみようではないか。


「病気の人は村の外に運ばれるとかじゃないのー?」


 モチヅキはタバコをふかしながら適当に返事をする。


「それなら尾花さん……アキさんのお婆様の説明がつきませんよ」


 ────こう考えたらどうだろう? 


 ”蚕”は、村から必要とされていた。それは、紡ぐ糸が人々の生活を支える命綱となっていたからだ。糸の需要は、全盛期を迎え、蚕に対する念は神格化された。


 そんな人の情念が”おしらさま”を生み出した。しかし、おしらさまは、衰退する養蚕業を憂いた。自身への信仰心が薄れていく。今まで自分の存在を認めてくれた人々が離れていってしまう。


 村という場に、おしらさまという神が根付いた。彼女はここから動けない。だから村の中で彼女を必要とする者が必要だった。


 彼女は、自分を確立する別の”需要”を生み出した。それは、村人から病を取り払うこと。彼女を信仰し、繭と同色の”白い服”を着ていた村人を優先し、糸を繋げた。


 おしらさまと繋がった生者は、彼女を認識できるようになった。また、繋がった者が亡くなっても、おしらさまと繋がり続けた。おしらさまは、生者と死者とを繋ぐハブの役割を果たした。


「……ねぇ、それだと、白い服を着ちゃいけない理由って何も無いんじゃない?」


 タバコの火を消したモチヅキが、口を挟んだ。


「……繋がった生者が村の外に出ないようにするため」


 せっかく糸を繋いでも、村から出ていってしまったら、彼女は認識されない。実際、アキさんはそうだった。尾花さんが、亡くなる直前に白装束を着せられたのもそのため。


「うん? 矛盾してるわよ? 白装束で糸が繋がったなら、アキちゃんのお婆ちゃんは脳卒中にならないんじゃないの?」


「……尾花さんがアキさんを呼び戻した理由がそこにある」


 尾花さんは、糸が繋がれなかった。それは、既に秋葉家の血縁者におしらさまと繋がった者がいたから。


 血縁者が近くにいれば、仲介者として役割を果たす。しかし、アキさんは村を離れていた。だから尾花さんは生前に糸が繋がれず、病に伏せた。


「アキさんが戻ったことで、尾花さんは死後に繋がれた……」


「じゃあ、死者を繋ぎ止めておくのはなんで?」


「生者に繋ぐ糸が命綱なら、死者に繋ぐ糸は引き綱ってところでしょうか」


 自分という存在を認識し続ける存在として、死者の魂を繋ぎ止めている。


「引き綱って、ペットじゃないんだから……」


 死後、首輪をはめられて、今までの精算と言わんばかりに神を支えるだけの存在になることに、何の得があるというのか。


「────僕は、意識なんて死後は無に帰すと考えていました」


 人の意識なんて、脳内の化学反応に過ぎないと、そう考えていた。


 タダ、今回の仮説が当たっているのだとしたら……


「その考えが変わりつつあります……まるで、この世界には、僕たちの知らない大きな規則があるんじゃないかと……そう思わざるを得ない」


 その規則を……世界のことわりを理解したい。


「……アキちゃんは、もう大丈夫ってことで良いの?」


 モチヅキはアキの肩を抱いた。ナルミの仮説……妄想話が正しいなら、彼女の祖母を、おしらさまへ繋げるための仲介者としての役割は果たしている。


「……だと、良いのですけど」


 気がかりなのは、あの言葉。

 

 ────彼女は寂しがっている


 もし、おしらさま自身が、アキさんを欲しているとしたら……

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