第二章:村への帰省
「ほら、早くしなさい!」
早朝。母に急かされ、リュックを背負うと自宅の玄関まで走って向かう。寒さで縮こまる体を無理やり伸ばし、制服の上に厚手のコートとマフラーを巻いた姿で母と合流した。
今日から冬休み。私達は、これから絹峰村に向かう。宿泊用のキャリーケースを自家用車に積んだフォーマル姿の母は、早く助手席に乗るように私に目配せした。
村までは自宅から車で数時間かかる。私は、未だ晴れないモヤモヤを抱えながら、リュックを後部座席に投げるように置き、助手席でシートベルトを締めた。
「お義母さんの遺言だから行くけど、あまり長居しないからね」
「うん……」
────きっと、お母さんも村は居心地が悪いんだ。
真っ直ぐ、フロントガラスから視線を移さずそう言った母の姿から、村へは仕方がなく行くのだと伝わってきた。
「でもお父さんに会えるよ……」
「そうね……お母さんも、それだけが楽しみよ」
二人を乗せた車は、ゆっくりと走り始めた。
☆☆☆
村に着いたのは夕方だった。本来なら、お昼には到着する予定だったのだが、高速道路の途中で事故があったり、冬休みの初めなので渋滞が起きたり、そんなこんなで迂回に迂回を重ねた結果、大きく時間をロスしてしまった。
到着を待っていた父と運転に疲れた母が言い合いをしている。
────せっかく久しぶりに会ったんだから、こんな時くらいは喧嘩しないでもらいたい。
そう思いながら、西に傾く太陽を見た。近くの森の中へ太陽が沈んでいく。
あの木は確か……桑の木だったかな。
高校の図書室で友人が見ていた植物図鑑が脳裏をよぎる。友人が、桑の木の青紫色の果実が意外とイケると言っていた。長靴一杯分食べたいとも言っていたのを思い出し、フフッと声が出た。
村の奥を見ると、旅館の方から白い煙が横に長く伸びている。冬だから、温泉をどこから引いているのかがよく分かる。
まぁ、お客さんが泊まっているのかは分からないけど。
遠くの畑で、老人がこちらを見ている。そりゃそうだ。これで大声で喧嘩していたら嫌でも目立つ。他人から見られていると意識したら、恥ずかしさが全身を支配してきた。
「お父さん、お母さん……せっかく会ったんだからさ」
グッと両手を握って声をかけた。父は優しい人だった。私を叱ったことなんてほとんどない。だからこそ言えた。
私を見て、二人はハッとした表情を浮かべた。
「そ、そうね……ごめんなさい」
「俺も悪かった……」
三人は、秋葉家へと向かう。途中、振り返ると、民家から顔を出してみんなが私達を見ていた。
────秋葉さんのとこの孫が帰ってきた。
────秋葉の婆さんが死んだ時は焦ったが、これで安心だ。
────いやぁ、めでたい……めでたい……
背筋が凍った。まだお葬式も済んでいないのに、なんであんなに嬉しそうにこっちを見ているのか。喜ばしいと小声で話す村人達が、不気味でならなかった。
☆☆☆
お婆ちゃんは、暗い和室の中心で布団に寝かされていた。鼻腔を線香の香りが刺激する。私は、これが死の匂いなんだと察した。
布団からはみ出ている肩の部分から、白装束を着せられているのだと理解した。
────白い服を着てはいけないよ。
────白は神様の色だからね。
お婆ちゃんの言葉を思い出す。お婆ちゃんは、神様の衣装を着ている。
「倒れた後、ご近所さんが全部やってくれたんだ……母さんと仲が良かったからって」
お父さんは静かにお母さんにそう伝えた。お母さんは、「それは……良かったわね」と、何とも言えない声色で返事をしながら横になるお婆ちゃんを見ていた。
村の風習で、明日にはお葬式を行い、棺は土葬されるという。その手続きも近所の人たちが手伝ってくれると父は付け加えた。
「ほんと……寝ているみたいだろ」
お父さんの声が上擦った。涙を堪えているのだ。
でも、私は、悲しいという感情が湧かなかった。
お母さんもそうだ。「そうね……」と無機質に返事をする様子から、私と同じ気持ちなんだと察するのに時間は掛からなかった。
その日は、色々な人が来た。みんな、お婆ちゃんと仲が良かった人達で、私の小学校の時の先生もいた。
「生前、お世話になったもので」
みんな、これが口ぐぜだった。
でも、お婆ちゃんが一体どこで、何をしていたのかは違っていた。ある人は子供の頃から友人だった。ある人は畑仕事を手伝ってもらった。ある人は病院で世間話をしていた。
ただ、どんな人でも、私を見て口元を緩めるのは共通していた。
みんなどこか安心しているように見えてならなかった。
☆☆☆
────私は、灰色の空間に浮いていた。
どこが上で、どこが下か分からない。ここはどこまでも広がっているようにも見えるし、手を伸ばせば壁があるようにも感じる不思議な空間だった。
目の前に、女の子が立っていた。小学校低学年くらいの女の子だ。いつからそこにいたのか、周囲を見渡している間に現れたのか、それとも最初からいたのか、腰まで伸びる白い髪、赤い瞳、光沢のある白い着物姿。
まるで、この世から隔離された別世界の住人。
「────やっと、戻ってきてくれたのね」
見た目通りの幼い声がした。
「ずっと……待っていた」
少女がゆっくりと右手を上げる。真っ直ぐこちらに伸ばした右手を見ると、小指から細い糸が垂れていた。
その糸が、ゆっくりと張られる度に、自分の右腕が持ち上がる感覚を覚えた。
視線を手に移すと、右手の小指に糸が巻き付いていた。
「あなたも待ってたわよね……
少女の言葉に、背筋がゾクッとした。振り返ると、この灰色の世界に似つかわしくないものが浮いていた。
布団に横たわる祖母が、灰色の空間に浮いていた。
尾花とは、祖母の名前。
布団が、カタカタと揺れた。同時に、私の左腕が持ち上がる。左手の小指にも糸が巻かれ、その先には祖母の遺体に繋がっていた。
異質な空間の中で、訳もわからず十字の姿勢を強いられる。自分の意思に反し、勝手に水平に伸びる両腕に恐怖しか感じなかった。
そんなことよりも、お婆ちゃんと少女が、私を介して繋がっている。
一直線に並ぶ私たちは、無機質な空間をただただ漂う。
────ありがとう、紅葉……これで”おしらさま”と繋がれる
「お……ばあ……ちゃん?」
祖母の声が頭に響いた。傀儡のように、カクカクと布団の中から祖母が立ち上がった。
不適に笑う白い少女……動く祖母の遺体……私は、
自身の絶叫で目を覚ました。
☆☆☆
私の声を聞いて、両親が飛んできた。「どうした!?」と肩を揺さぶる父に、私は歯を鳴らすことしか出来なかった。開け放たれた扉から見える廊下が怖くて仕方がなかった。
その先には、祖母の亡骸があるのだから。
その日、私は一人で外に出た。時刻は朝の七時。霧がかかった村の中を一人で歩いていたのは、あの家に居たくなかったからだ。一刻も早く、あの夢の光景を頭から追い出したかった。
何でも良いから、とにかく何か起きてほしかった。
霧に混じって旅館の方から湯気が流れてきた。同時に香ばしい香りも漂ってくる。さらに男女の声も聞こえてきた。
私は、釣られるように旅館の前まで歩みを進める。そこでは、旅館の従業員が、
────お客さん、いたんだ……
「いやーん! ナルミ先生、これ凄い美味しいわよ! チーズが凄い伸びる! 旅行に来て正解ね!」
「モチヅキ先生……昨日はあんなに嫌がってたのに……ホント、良い性格していますね」
────ん? ナルミ先生に、モチヅキ先生……?
女性が、手に持っている中華饅頭にかぶり付き、ビヨーンと中のチーズを伸ばしている。
「村のお土産にどうかと思って作ったんですけど、気に入っていただけて良かったですよ」
「若旦那すごーい! 若いのに村のこと考えて素敵だわ〜」
旅館の従業員は若旦那で、私の先輩だった。二十歳手前だったはずだ。彼はこちらに気がついて、「あ! 紅葉ちゃん久しぶり! 良かったら一つどうだい?」と、中華饅頭を手に手招きした。
彼の言葉に、目の前の男女が振り向いた。その二人に、見覚えしかなかった。
「せ、先生!? 何やってんですか、こんなところで!?」
なぜ、ここにナルミ先生とモチヅキ先生がいるのか。訳が分からなかった。その衝撃は凄まじく、一時的ではあるが、私の頭から夢の内容を吹き飛ばすほどだった。
「あぁ、アキさん。おはようございます」
ナルミ先生は一昨日と変わらない笑顔をこちらに向ける。
「今日は、特別にお休みをいただいたので、モチヅキ先生とデートしているんですよ」
「こ、こんな……何もない所でですか?」
私の言葉に、「何もないとは失礼な!」と、若旦那は声を荒げる。
「ほら、渓流釣りが有名って聞いて」
「今、真冬ですけど……」
昔、お父さんが言っていた。確か、冬は禁漁期間で釣りができないはず。
「あ、あと……ほら、あれですよ……あれ!」
「どれですか!?」
まさかとは思うんだけど……
「先生たち……もしかして私を心配して……?」
「ち、違うわよ! そんなことしたら校長先生に怒られちゃうわ! 私達は、温泉旅行に来たのよ!」
モチヅキ先生がワチャワチャ身体を動かして誤魔化そうとしている。
「へぇ〜! 紅葉ちゃんの学校は、夫婦で先生やってんだね!」
若旦那は、なぜか羨ましそうだった。
先輩も奥さんいるでしょ……と言いそうになる。
「えっ? 夫婦じゃないですけど?」
「婚前旅行!? そんな事が許されるんですか!?」
若旦那は卒倒しそうなほど斜めになっていた。声が裏返っているのが少し面白かった。
「そ、それより……アキちゃん……今日ってお葬式じゃないの?」
モチヅキ先生の言葉が、ズンと私の胸にのしかかった。
「あの……」
私は、昨晩の夢の話を始めた。それをこの場の三人は神妙な顔つきで聞いていた。
ある程度、話が終わったところで、グラリと視界が揺れた。ナルミ先生の顔が横に倒れていく。
「アキちゃん!?」
モチヅキ先生に支えられ、何とか意識を保つ。精神的に参っているのだと、限界に達するまで気が付かなかった。
「紅葉ちゃん大丈夫か!? ウチで休んでけ! 部屋は余ってるから!!」
薄れゆく意識の中、ナルミ先生の真っ直ぐな瞳が私を見つめていた。
☆☆☆
────ちゃん! アキちゃん!
「アキちゃん!!!」
目を覚ますと、心配そうに見下ろすモチヅキ先生の顔が見えた。私が返事をすると、先生は脱力し、畳に座り込んだ。
お礼を言って起き上がり周囲を見ると、旅館の客室だった。壁の時計が十一時を超えている。もう、お葬式は始まっただろう。この場にいるのは私とモチヅキ先生だけ。ナルミ先生の姿が見えない。
「あの、ナルミ先生は……」
「……アキちゃんのお家に説明しに行ったわ」
モチヅキ先生は、「礼服を着て」と最後に小さく付け加えた。
「えっ……礼服? まさか……」
「多分……参列する気みたい」
モチヅキ先生は、壁のハンガーラックを指差した。視線を移すと、女性用の礼服がかかっているのが見えた。
「アイツ……私にも礼服持ってこいって言ったのよ……あり得ないでしょ!? なんでデートに礼服が必要なのよ!?」
そりゃそうだ。
「アキちゃんは心配しないで……さっき私からもお家に電話しといたから」
若旦那が既に電話していたが、電話番号を若旦那から聞いてモチヅキ先生も連絡したらしい。若旦那のお陰で起きるまで待っててもらえたようだ。もう少ししたらお母さんが迎えに来てくれると言っていた。
でも、私はあの家に行きたくなかった。戻ったら、また何か変なものを見てしまいそうだと思うと、戻る勇気がなかった。
そんな時、部屋に若旦那が走ってきた。モチヅキ先生へ電話が来ているという。私達は、電話のあるフロントまで移動した。
「はい、モチヅキですけど────」
〈あ、モチヅキ先生? ちょっと気になる事が出来たから、村の役場に行ってくるので遅くなりますね〉
受話器から漏れた声はナルミ先生のものだった。お葬式に参列している最中に、周囲の人から奇妙な事を聞いたらしい。
〈じゃあ、そういうことで! 勝手に温泉とか入っちゃってください!〉
電話が切れた。受話器を持ったまま、モチヅキ先生は固まっていた。
数秒の間を置いて、
「アキちゃん……こういう男の人とは付き合っちゃダメよ」
と、ドスの聞いた声が放たれた。
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