第一章:不思議な先生

「面白いね、その話」


 私立椿高校の理科室の奥。放課後の実験準備室の一角で、椅子に座った私に化学担当の”ナルミ先生”は、ふっと笑いながらそう言った。ナルミ先生は、学校一の変わり者と噂されている白衣姿の二十代男性。パッチリした二重に、スッと整った鼻、ナチュラルウェーブの黒髪と、見た目は良さそうに見えるのだが、興味の対象が異常なのだとか。


 私がここを訪れているのが良い証拠。先生は、”怪談”の類が好きすぎる。


 この部屋も実験の準備室なのに、赴任してから勝手に本棚を置いて、古い怪談話や民話を収集しているところを見て、噂通りだと実感した。


「あーあ、言っちゃった……アキちゃんはこれからナルミ先生のターゲットよ?」


 同室しているのは、私の担任のモチヅキ先生。本棚に寄りかかり、気怠げに腕を組んでいる。教科担当は国語で、肩にかかるほどの長い茶髪と縁なし眼鏡が特徴の美人な女性教師。三十代に差し掛かったようだが、見た目は二十代前半で、男子から人気のある先生だった。


 ちなみにアキとは、私のことです。秋葉あきは 紅葉もみじ。だからみんなはアキと呼ぶ。


 私は、そんな言い方ないじゃないかとモチヅキ先生に目配せをした。元々、ここに連れてきたのは、他でもないモチヅキ先生じゃないのと言いたくて仕方なかった。


「僕も絹峰村は知っていますけど、そんな風習があるなんてねぇ。長寿の村って事しか知りませんでしたよ。モチヅキ先生は知ってました?」


「いや……知るわけないじゃないですか」


 勉強不足だったと反省するナルミ先生の隣で、ため息を吐きながらモチヅキ先生は、羽織っているグリーンのジャケットからタバコを取り出すと、口に咥えて火を付けた。


 鼻をつく独特の匂いを嗅ぐと、離れて暮らす父を思い出す。


 夕食後、テレビの野球中継を見ながら部屋で喫煙する父を嫌だとは思わなかった。それが私の日常だった。


 部屋の上空を漂う煙を目で追っていると、なんだか犬みたいな形になっている部分を発見する。しかしナルミ先生が窓を開けたことで急激に形を崩してしまった。


 冷たい空気が私たちの肌を撫でた。


「────村の名前からして、養蚕業を営んでいたと考えて間違いないだろうね」


 ナルミ先生は、私の話をさっきからずっと考えていたようだった。モチヅキ先生が煙を吐き出しながら呆れている。


 ────養蚕。つまりは蚕を飼い、その繭から生糸を取る産業。


「あくまで一意見だけど、御白様おしらさまってのは、かいこのことだろう」


「でも先生、私は蚕なんて見たことないですよ?」


「そうよねぇ……最近は養蚕なんて、聞かないものね」


 ナルミ先生の言葉に回答した私に対し、窓辺へ移動したモチヅキ先生が首を縦に何度も振って同意する。


「過去に養蚕業で栄えていた名残なのかもね」


「白い服を着てはいけないってのもですか?」


 私の質問に、ナルミ先生は腕を組んで「うーん」と唸った。教室の男子がよく真似しているポーズだ。ナルミ先生がこの姿勢の時は、よほど考えている時だ。


「────こう考えたら面白くない?」


 ナルミ先生は、ある仮説を立てた。


 養蚕とは、蚕の繭から生糸を作る。

 白い服を着た人は、言わば蚕の繭だ……と。


「その生命を以って作り出す繭……その繭から取れる生糸は美しい」


 静かに、私の顔を見てナルミ先生は続けた。


「君を見た男性は、君から取れる”糸”を美しいと言ったんじゃない?」


「私から取れる糸……? じゃあ、あの時の恐怖に怯えた顔は?」


「君の後ろに見えたんだと思うよ────」


 ────生命の糸を紡ぐ”おしらさま”の姿がね。


 ナルミ先生は、はにかんでそう言った。


 ☆☆☆


「怖いこと言わないでよッ!!!」


 あくまで予想……と付け加える最中、モチヅキ先生がナルミ先生を蹴った。勢いを付けすぎたのか、はたまた狙ったのか、パソコンチェアに座っていたナルミ先生の腹部にクリーンヒットした彼女の足は、彼の口から嗚咽を漏らさせ、身体を椅子から弾き飛ばした。


「ナルミ先生ッ!?」


 床に突っ伏したナルミ先生は、生まれたての子鹿みたいに震えていた。


 その表情は、「なぜ蹴った?」と言いたそうな、驚きを表していた。


「だ、だから……ここに……来たんでしょ」


 ナルミ先生は、なんとか立ち上がると、私に向かって苦しそうに言った。


「はい……」


 実際問題、”嫌な予感”がしているからナルミ先生のところに来たのだ。


「祖母が……亡くなったんです……脳卒中でした」


 村に残してきた祖母が急逝した。あの村では、老衰は珍しくない。ほとんどの老人が、天命を全うする。しかし、祖母は病気で亡くなった。むしろこちらの方が異常。


 祖母は、亡くなる直前までうわごとのように言っていた。


 ────アキを呼び戻しなさい


 ────”彼女”が寂しがっている


 ────糸を切ってはいけない


 この言葉の真意は分からない。祖母の言う「彼女」が誰なのかも心当たりがない。だが、父は祖母の最後の言葉を尊重し、私達に連絡を入れたのだ。


「……祖母の言葉が、昔から不思議でした。だから、胸騒ぎがするんです」


 私の言葉に、神妙な表情をするナルミ先生。モチヅキ先生すら、無言でこちらを見守っている。


「冬休みに……帰省するんです」


「終業式は今日よ!? 明日から行くの!?」


 モチヅキ先生が大声を上げた。こんなギリギリになって相談事を持ち込んだのを怒られるんじゃないかと、私は身を強ばらせた。


 しかし、私の震える手をナルミ先生が優しく包み込んだ。


「勇気を出してここに来たんですね……それだけで、僕はアキさんにリスペクトを持って接することができます」


 ナルミ先生は、優しく言った。そして、胸騒ぎを解消しましょうと提案してくれた。自分の理解者がいるのが嬉しくなった。


「ドラマの見過ぎよナルミ先生……一個人と仲良くしすぎると校長から怒られるわよ」


「いいじゃないですか、モチヅキ先生? ここは、ヘイヴン……生徒たちの避難所にするのが僕の夢です」


「何を馬鹿なこと言って……」


「モチヅキ先生も、お好きな時にどうぞ?」


 机からチラリと見えたチョコレートと、タバコの箱。銘柄がモチヅキ先生のものと同じだった。


「あら! じゃあ遠慮なく”避難”させて頂こうかしら!」


 ────目が輝いている。


「────さて、ならばやるべきことは一つです」


「な、なんですか?」


「アキさんの不安要素を……理解して納得する……それが一番です」


 ナルミ先生は「できれば理屈として」と付け足した。その真面目な顔。てっきり、お祓いとか言われるのかと思っていたため、少し拍子抜けした。


「納得……ですか?」


「そう、現象には必ず理由があるんです」


 ナルミ先生の発言に、「夢がないわねぇ」とモチヅキ先生が茶々を入れる。


「はぁ……これだから理系男子は……モテないわけだ」


「婚期を逃した人に言われたくないです」


 またしてもモチヅキ先生の蹴りが炸裂した。


「わ、私はね! 高嶺の華なのよ! みんなそう言うもの! 絶対そうだもん!」


「えぇ……高いですよね……エネルギー準位が」


 あぁ……だから暴力でエネルギーを放出しているのか……なんか納得。


 ナルミ先生はビーカーにミネラルウォーターを入れると、バーナーで沸騰させ始めた。コーヒーでも淹れようとしているみたいだった。


 ☆☆☆


「理屈で相手を知るのは大切です」


 そう言って、ライターを取り出すナルミ先生。コンビニで売っている安いライターだ。よく父も使っていたので私でも分かった。


「モチヅキ先生……これは怖いですか?」


「え? ライター? 全然! 私の友達みたいなものよ?」


「でしょうね……」


 右手をブンブン振って笑いながら返すモチヅキ先生は、再びタバコを咥えた。


 その眼前に、”拳銃”が向けられる。


「じゃあ、これは?」


「いやぁあああ!!! 命だけはッ!!! 風呂屋でも何でも入るからッ!!!」


 可愛らしい悲鳴と命乞いが部屋に響いた。それにしても風呂屋って何だろう?


 慌てるモチヅキ先生と唖然とする私を見て、ナルミ先生は大声で笑った。


「安心してくださいよ、これもライターですから」


 引き金を引くと、銃口に小さな火が灯った。その火がモチヅキ先生の咥えたタバコに火をつける。


「同じライターでも、知っているものと知らないもので対応が変わったでしょ? つまり、理解するというのは、平常心を保つのに必要なんです。何かと戦う時に心強い味方になります」


 ナルミ先生は、「それこそ、未知の塊……怪異においては重要なファクターです」と付け加えた。


「昔の人々は理解不能な事象に対して、名前や姿絵を付けて理解しようとしました。神や妖怪がその典型ですね。」


 “幽霊の、正体見たり、枯れ尾花”……なんて言葉もある。


 今の、科学の発展した時代なら、それらの事象を理屈で説明できるはずだと言うのがナルミ先生の考えのようだ。


 彼が怪談話に興味があるのは、その根本にある原因を理解したいからなのだろう。まさに理系人間。


「アキさんの不安は何ですか? お婆様の意味深な発言? 御白様と呼ばれる謎の神? 白い服を着てはいけないという風習?」


「正直、全部です……」


「でも、一日で全部は厳しいんじゃないの? お出かけの準備もあるでしょ? アキさん?」


 モチヅキ先生に指摘されて、胸が苦しくなる。


「じゃあ、今日は一つだけにしましょう。残りは、電話なりで対応しますよ」


 そう言ってナルミ先生は印刷用のA4用紙にサラサラと自身の電話番号を書くと、丁寧に折り畳んで私に差し出した。


 ☆☆☆


「僕が気になったのは、"糸"という部分ですね」


 ────糸を切ってはいけない


 ────その糸は、命綱だからね


 この言葉が意味するものに彼は仮説を立てた。


「ここでの糸は……」


「あー分かった! "養蚕"を意味しているんじゃない?」


 ナルミ先生の言葉を遮って、閃いたとばかりに両手を打ち鳴らしたモチヅキ先生が割って入った。


「私から取れる生命の糸って事じゃなくてですか?」


「アキちゃんのお婆様は、その糸を"命綱"と言っていたでしょ? 命綱は、人の命を危険から守るもの……なら、養蚕で栄えた村において、蚕の絹糸は村の資金源……人々の生活がかかっているわ」


 だから命綱と表現したのではないか。モチヅキ先生は嬉しそうな表情でそう言った。


「じゃあ、切ってはいけないってのは? もうあの村で養蚕なんてしてないんですよ?」


 モチヅキ先生に対してナルミ先生が反論した。彼の言っている事は正論だった。


「それは……」


「僕も養蚕の線は捨てがたい……本来はその意味で合っていたのかもしれない」


 ナルミ先生は「でも、」と言葉を続ける。


「もう一つ……あります」


 それは、人との繋がり。閉鎖的な村の中で他者との繋がりは人の生死に直結すると述べた。


「村八分ってあるじゃないですか? 僕は、村での生き方を言っているように感じるんですよ」


「……火事と葬式以外、無視するってやつですか?」


「そうです」


 人の因果や縁という目に見えない繋がりを、糸と表現しているのではないか。


 湧き上がったお湯にインスタントコーヒーを溶かしながらナルミ先生は言った。室内にコーヒーの良い香りが広がった。タバコとコーヒーの香りは、職員室を彷彿とさせた。


「そんなに絹峰村の人と交流あるの? アキちゃん?」


「い、いえ……同級生も七人しかいませんし、みんな高校はこっちなので、あんまり……」


 村に仲が良かった人たちがいないわけではない。村で観光用の旅館を営んでいる若旦那とか、近所の世話焼きお爺さんとか、小学校や中学校の先生とか、いることにはいるけど、そこまで仲が良いかと聞かれると自信がない。


「最も……アキさんには”村以外”の繋がりがいっぱいあるでしょ?」


 ビーカーのままコーヒーを啜ったナルミ先生の目は私を真っ直ぐ見つめていた。


 言われてみればそうだ。共に村を出た母に、進学してから新しく出来た友人達。それに担任のモチヅキ先生に、相談に乗ってくれているナルミ先生。


 引っ越して八ヶ月なのに、こっちの方が知り合いは多いかもしれない。


 ボーン! と掛け時計が鳴った。もう夕方だ。時間が経つのは早い。


「おっと、もうこんな時間ですか……気をつけて帰ってくださいね」


「あ、はい……」


 先生方に見送られて実験準備室を後にした。下駄箱まで二人は付いて来てくれた。その顔は、どこか心配そうだった。


 昇降口を出た時、後ろの方でナルミ先生とモチヅキ先生の会話が聞こえた。


 “モチヅキ先生、良かったらデートでもしません?”


 そんなことを言っていた気がした。

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